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黒のドラゴンとブロンズ通りの魔法使い  作者: 外宮あくと
第二部 謀略の獣 真実の名前
53/148

2 夢と現の狭間2

 ニコとベイブが、キャットがいないことに気付いたのは昼近くになってからだった。

 高熱を出したテオに気を取られ、猫から少年に戻っていたことなどすっかり失念していたのだ。

 猫だった頃はよく勝手に出て行っていたし、いつも目線のかなり下にいるものだから、目に入らなくても気にならないことが多かったのだ。


 テオをベッドに寝かせ一息ついたところで、ニコはキャットを探しに出かけた。

 しかし瓦礫に阻まれたり、復旧作業に忙しく働いている人たちや、給水の長い行列に行く手を塞がれたりと、思うように動けなかった。うろうろと歩き回った末に、一人の男を呼び止めた。


「すみません。十二~十三才くらいの金髪で巻き毛の少年を見ませんでしたが。女の子のようにも見える少年なんですが」


 男は少し迷惑そうに立ち止まった。


「悪いな! 知らねえよ。探し人なら、向こうの広場でみんな張り紙してっから、オメーも行ってみな」


 そう言って、足早に立ち去ってしまった。

 ニコは、礼をして広場へ向かった。

 大勢の人がいた。何枚ものボードに掲示された張り紙を、皆必死に見て回っている。肉親や知人の安否を確認しに来ているのだろう。


 ニコはボランティアの女性から、紙を受け取った。

 キャットが張り紙を見に来るとは思えなかったし、情報が得られるような気はしなかったが、一応を連絡先などを書き、ボードに紙を貼り付けた。


「キャット……どこに行ったんだろう」


 小さな男の子が、サッと彼の前の走り去っていった。

 かなり明るい栗色の髪が、日光の加減で金髪のようにも見えた。男の子が走っていった先に、母親らしき人がにっこりと笑っている。


「あ!」


 ニコは、唐突に思い出した。

 テオの部屋を掃除した時にでてきた写真。ネズミの死骸と共に、黒猫のキャットが放ってよこした写真。

 不鮮明な記憶だが、あの写真に写っていた小さな金髪の子どもは、少年に戻ったキャットだったような気がするのだ。

 彼をどこかでみたような気がしたのは、やはり勘違いではなかったのかもしれない。





 家ではベイブがずっとテオの看病をしていた。

 テオは一度起きて水を少し飲んだあと、また眠ってしまった。


「側にいてくれたんだ。ありがとう」


 目覚めた時、そう言ってベイブの頬にふれた彼の手の感触がまだ残っている。熱い手だった。熱はまだ下がりそうにない。

 ベイブはテオの額のタオルを取り替えた。


「元気になるまでずっと側にいるから……。早く、いつものテオに戻ってよ」


 ベッドに肘をついて頬杖をつく。

 こんなに間近でこんなに長い時間、彼を見つめたことはなかった。苦しげに熱い息を吐く彼を見ていると、ベイブの胸も苦しくてたまらなくなってきた。

 テオの熱は下がることは無く、そのまま二日が過ぎた。



***



 ずっと夢うつつが続いている。起きているのか眠っているのか、自分ではよく解らなかった。

 グレーの瞳の女が、心配げに自分を見ている。誰だ。見たことがある。何処で見たのだったか。彼女の瞳は、胸をざわつかせる。声をかけようとしたら、その姿はすっと消えてしまった。ひどく気分が沈み込む。もう少し見ていたかったのに。


 きっと自分は夢を見ているのだと思う。

 時々、ニコの声が聞こえてる。アインシルトの声も聞こえた。リッケンもいるのか?

 いや違う、やっぱり自分は目覚めていたのだと思いなおし、返事をしようとするが、すぐに別の声が聞こえてきて、どちらが夢か解らなくなる。

 そして次第に体が重たくなってゆく。自分に呼びかけてくる声が大きくなってきた――――。


『……』

『……テオ……』


『なぁテオ。僕たち大人になったら、アインシルト様みたいな魔法使いになれるかなぁ』

『別にオレはなりたくない』

『えー! どうして?』


 ああ、ユリウスだ。懐かしいな。ドリスとオレとユリウス、三人で修行したんだ。

 あの頃は楽しかった。

 彼らも、親から離れてアインシルトのもとで一緒に暮らしていた。年もみな近かったし、すぐ友達になった。互いに競い合って励まし合って……心を許せる友人だった。


『僕は両親に捨てられたんだ。魔力をコントロール出来なくて、屋敷を焼いていしまったから……。父も母も、僕にもう会いたくないんだ。だから、一度も来ないんだ』


 ユリウスがそう告白した時、オレは嬉しくなった。


『オレもだ! 小さい時はポルターガイスト起してばかりだったって。それで、ここに放り込まれたんだ。厄介払いさ』


 ユリウスも同類を見つけて、ホッとしたように笑っていた。

 彼は貴族の子息だったし、ドリスのようにただ魔法を習う為に、ここに来ているのだとばかり思っていた。それが似た境遇と知って、オレたちは一層親しくなった。


『テオ、いいか! 上手く魔法を使えたほうが、ドリスにキスできるんだ』

『オレが勝つに決まってる』

『勝手に私を賞品にしないでったら!』


 ドリスは真っ赤になって怒ってたな。

 オレたちは、何かにつけ競争ばかりしていた。勝ったり負けたり、楽しかった。この勝負はオレが勝って、ドリスにキスしたんだ。で、思いっきり平手打ちされたっけなあ……。


 悔しそうにしているユリウスを、オレは指差して笑った。そしたら、本気で殴ってきた。ムカついてオレも殴り返した。

 ユリウスとは何度も殴り合いをしたが、これが最初だった。こいつ、ドリスを好きなんだと、この時気が付いた。

 彼女をめぐっては微妙な関係が続いたが、それでもオレたちはずっと親友だった。


 ――――ああ、ミモザだ。満開の黄色い小花。

 三人で過ごした最後の春だ。


『近衛隊に志願したんだって?』


 ユリウスはオレをうさん臭そうに見ている。


『そうさ。いけないか?』

『別に。でも、お前もアインシルト様のような王宮付き魔法使いを目指してるんだと思ってたよ。軍人志望だとは知らなかった』


 オレは頭上のミモザの花を見上げた。

 黄色い球状の小花が、枝いっぱいにたわわに咲いている。花は木全体を黄色く染め上げ、風にゆれていた。春を告げる美しい花。あの人が大好きな花だ。


『オレはずっとただの魔法使いさ。そろそろこの王宮での修行も終わる。でも近衛隊に入れば、またこのミモザを見る機会もあるかなと思っただけさ』


 王宮の庭園に咲く、この見事なミモザをいつまでも見ていたいと思っていた。

 懐かしい。


 でも、同時に痛い思い出だ。この先は、できれば思い出したくないんだが――――。


『……ところでだな、言いにくんだけど、言った方がいいよな。…………お前、聞きたいか?』


 ユリウスが眉をしかめている。オレの方を見ようとしない。


『言えよ』

『ドリスはここに来ない。お前とはもう終わりにしたいってさ』

『…………は? ……はああぁぁ!?』


 まさに晴天の霹靂へきれき

 この日は満開のミモザを一緒に見ようと、待ち合わせていたはずだ。それなのに、いきなりの別れ。言葉も出なかった。


『おい、テオ。聞いてるか』

『聞こえない』

『……オレは伝えたぞ』

『知らん! ……嘘だろ? なんでだ?』

『さあな。お前と一緒にいるのが辛くてたまらないって泣いてた。お前、なんかしたのか?』

『オレといるのが辛いだって?!』

『だいたいなあ、オレだって彼女に気があったのに、お前に横からさらわれたんだぞ! なんで、お前らの別れ話に巻き込まれなきゃならないんだ』

『辛いって? なんでだ。なんで辛いんだよ。オレって、そんなに嫌われてたのか?』

『ったく、ケンカの度に仲裁させられて、あげく一年足らずでこれだ。オレの身にもなれってんだ』

『なんでだー! オレが何をしたー! オレの何が悪いって言うんだー!』


 思わずユリウスの襟首掴んで、怒鳴ってたな。

 振り仰いだミモザが金色に輝き、あまりの美しさにクラクラと目眩がした。


 ――あなたが私を知ろうとしないのは、必要ではないからでしょう


 ドリスの言い分は全く理解出来なかった。なぜそんなことを言うのか。軽い気持ちで付き合っていたつもりなど、微塵も無かったというのに。

 オレは無様にも未練がましく引き止めたが、無駄だった。


 彼女は去っていった。文字通り、アインシルトの弟子というキャリアも捨てて、アソーギを去っていったのだ。

 そんなにオレの顔が見たくないのか、嫌なのかと、情けなくて最後は涙も出なかった。



***



「また、うなされてる……。ヤな夢でも見てるのかな」


 熱がまったく下がらないテオの額に、ニコは濡れたタオルをそっと置いた。

 時々ぼうっと目を開けて、水を飲んだりするものの、正常な意識があるようには思えなかった。

 いつまでこんな状態がつづくんだろうか。


「私も嫌な夢みちゃった」


 ベッドの端に頬杖をついていたベイブがつぶやく。


「この家から誰もいなくなっちゃうの。ガランとして、何の音もしなくて……。あたしもニコもテオも、いないの。みんなバラバラに何処かへ行ってしまうの。もう誰も戻ってこない。……とても怖かったわ」


 ベイブはふるると身震いをして、自分の肩を抱いた。

 みんな、何処へ行くというのだろうと、ベイブは不安な夢の余韻に、身を震わせる。テオの寝顔を見つめていると、このまま目覚めないのではないかと、恐ろしくなる。


「ベイブ……ただの夢だよ。大丈夫。テオさんは元気になるし、ずっとみんな一緒だよ」


 ニコは、彼女の背に優しく手を添えた。


「そうだ……」


 ニコはポケットから鱗を取り出した。

 手のひらにのせ、ベイブに見せた。


「これがね、ドラゴンが召喚された時、不思議なものを僕に見せたんだよ。なんて説明したらいいのかな……あれはドラコンが目にした光景なのか、記憶なのか……」


 ニコは詳しく思い出そうとするが、あの時一瞬にして流れこんできたイメージはあまりに多様で膨大だった。一つひとつを正確に覚えてはいられなかった。


 何千枚ものスライドを一気に見せつけられたようなものだ。しかし、強烈に頭に残っているシーンもある。

 それは火を噴くドラゴンや、毒々しく笑うアンゲリキ、焼けた町を馬で駆けるテオの姿だった。

 思い浮かぶものは一つだ。


「多分、前回召喚された時の、そうクーデターの夜の出来事を僕に見せたんだと思うんだ」

「……なぜ、あなたにそれを見せたの?」

「分からないよ。どうしてテオさんが、鱗を持っているのかも謎だしね」


 ニコは考えこむ。

 ドラゴンを召喚できるのは黒竜王のみだとしたら、鱗は王が所持してしかるべきなのに、なぜテオの胸でペンダントとして揺れているのか。

 黒竜王も、ペンダントはテオのものであるとして、返却している。

 アインシルトはテオの仕事は王宮の守護だと言っていた。

 鱗もまた、彼が守護を任されているのだろうか。


「何にせよ、テオさんはドラゴンと黒竜王のことをよく知っているってことだよね。僕らには話してくれないだろうけど」


 ニコは鱗をポケットにしまった。

 そしてテオを見つめる。


「僕で役に立てることは無いですか? ……テオさん」


 呼びかけに反応することなく、テオは眠り続けていた。


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