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黒のドラゴンとブロンズ通りの魔法使い  作者: 外宮あくと
第二部 謀略の獣 真実の名前
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序章

 少年は震えていた。

 男たちの怒号と命乞いの悲鳴が聞こえる。

 ガギンガシャンと、剣と剣が組み合わされる音。次いでグジュリと湿った音と、くぐもったうめきが怖気を誘う。


 逃げ惑う足音。甲高い悲鳴。威嚇する猛獣のような怒声。どうっと人が崩れ倒れる鈍い音。

 少年の耳に、容赦無い暴力と破壊の音が伝わって来る。今、部屋の外で繰り広げられている、殺戮の鳴動だった。


 一つまた絶叫があがり、少年が潜む部屋の扉が激しい音を上げて開けられた。ダンと床が踏みつけられた。ガチャガチャと金属の擦れる音をたてて、誰かが入ってくる。

 明かりの消えた薄暗い部屋の片隅で、幼い少年は養育係の女とともに息を潜めていた。


 血の気を失った少年の唇が震えていた。とっくに腰は抜け、恐怖のために思考は停止していた。一体何が起こったというのか、そんな疑問さえも浮かばない。ただ、自分は今ここで死ぬのだという思いが漠然と頭に浮かんでいた。

 何者かが迫ってくる。

 二人が隠れていたついたてが、勢い良く引き倒された。


 真っ黒な男がいた。見上げるほどに大きな男だった。背に廊下の照明をあび、その姿は影になっている。甲冑の輪郭だけが、ギラリと光っていた。

 男は壁のように立ちはだかる。肩で荒い息をし、獣の唸りを発している。


 大剣を振りあげた。

 養育係の女が、恐怖にかられて悲鳴をあげて走りだした。

 男の腕がサッとしなり、その背を大剣が切り裂いた。女はあっけなくボロ布のように床に倒れ伏した。


 少年は声も出せない。大きな目を見開いて、吸い付けられるように男を見つめた。目を離すことが出来なかった。

 男が少年に向きなおる。兜の下で、男もまた目を大きく見開き彼を見据えている。スリットからその目が見えた。右目だけがギラギラと光る。

 隻眼だった。


 ああ、死神が来た。

 少年は呆然と男を見上げていた。


「があああ!!!」


 男は咆哮し、大剣を振り下ろす。

 少年は瞬きもせずそれを見ていた。

 白光が閃く。


 少年の額のほんの数センチ手前で、剣は動きを止めていた。

 男が苦しげにうめき、唇をギリギリと噛み締めている。その唇から血がこぼれていた。

 剣が小刻みに震えている。男の腕が、いや体が震えていた。首をうなだれ、ガタガタと全身を震わせる。ガハッと大きく息を吐き出し、男は大剣を投げ捨てた。

 そして、少年の腕を掴んで言った。


「来い。逃げんるんだ」


 少年は男の言った言葉の意味を理解できなかった。自分はもう死んだのかな、とただ男を見上げていた。

 男は、呆然とし立ち上がることのできない少年を、小脇に抱え上げると部屋をでて走りだした。


 少年は自分の身に起きていることが、何一つ理解出来なかった。

 この男は誰なのか。何をしようとしているのか。自分はどうなるのか。

 どこをどう走ったのか、まるで解らない。気が付いた時は、家財道具がつまれた荷馬車に乗せられていた。男は、その荷馬車の持ち主らしき夫婦に何枚もの金貨を渡して、少年をできるだけ遠くに逃がせと命じていた。


 馬車はすぐさま走りだす。

 町が焼け、人々が逃げ惑っている。真っ黒な空を、赤い炎が染め上げている。

 王宮がシルエットになって浮かび上がる。その尖塔に、巨大なドラゴンの姿があった。

 黒のドラゴンは天に向かって炎を吹きあげる。そして炎が空に裂け目を創ると、その中に吸い込まれていった。


 ああ、と少年は息を吐き目を潤ませた。感動を覚えていた。恐ろしくも美しいドラゴンに見とれていたのだ。

 ゆっくりと視線を地に戻すと、少年は後ろを振り返った。

 自分をこの馬車に乗せた男の姿が、急速に遠ざかっていく。そして彼が脱いだ兜がその足元に転がった。

 少年は男の顔を見たいと思った。だが、馬車はどんどんと速度をあげ遠ざかってゆく。男の顔を判別することは出来なかった。

 小さな影になった男が、膝を折り崩れるように地面にひれ伏した。

 それが少年が見た、男の最後の姿だった。


 あの人は、誰だったんだろう。僕を助けに来てくれたんだろうか。それとも本当は、僕を殺したかったんだろうか……。





 黒竜王が起した事変は、実に様々な人々にそして多くの人びとに影響を与えた。

 町が焼かれた際に、家や家族を失った者のことは言うまでもない。


 魔女にくみした魔法使いや廷臣たちは、当然ながら処罰を受けた。

 だが、己の意志とは関係なく操られていた者までも、処罰の対象となったことは痛ましいことだった。

 彼らの為に家族は赦しを乞うたが、叶えられることは無かった。ここでもまた、多くの人生が変えられてしまったのだ。


 自分もこの衝撃的な事変によって、生き方を考え直す事になった。そして自分の置かれている状況を、やるべきことをはっきり認識したのだ。

 友を信じ続けようと誓った。自分は影となって、彼を支えることが役目なのだと悟ったからだ。



 ああ、それなのに。……このザマは何だ!

 体が燃えるように熱い。身の内を炎が蹂躙する。悪意が雪崩れ込んでくる。

 もがき喘ぐ程に、魔が食らいついてくる。

 ああ! 炎が体を焼き尽くそうとしている!

 情けない。自分は次代を背負う魔法使いではなかったのか。ここで負けてしまうのか。いや、負けられない。裏切れないのだ。


 意識が遠のきそうになる度に、我が身に爪を立てる。この体をあけ渡してよいはずがない。己を失わないように、自分の名を何度も何度も心の中で叫び続けた。

 焼ける。細胞がプチプチと音を立てて焼けてゆく。

 諦めてはいけない。自分にはやるべきことがあるのだから

 もっと叫べ! 叫べ! 叫べ! はね退けるんだ!


 ――――――。


 どれだけの時間そうしていたのか。

 長い間叫び続けていたことだけは判る。

 そしてふと気付けば、地獄の猛火は去っていた。先ほどまでの苦痛が嘘のように消えている。

 体のどこにも異常はないようだ。追い払えたのか、アレを。

 大きく安堵の息を吐いた。助かったようだ。体の力が抜け、自然に笑みがわいた。

 死ぬことよりも、為すべきことを為せなくなることを悔しく思う。この身を奪われなくて本当に良かった。


 それにしても、と思う。

 世界とはこんな色をしていただろうか。

 全てが赤茶けて見える。

 そう、まるで血を被ったように。

 …………綺麗だ。


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