46 炎の魔物VSブロンズ通りの魔法使い1
「痛で!」
暗い地下通路にテオの声が響く。
思い切り派手に尻もちを着いていた。城がズズズンと大きく揺れた拍子に足を滑らせたようだ。埃がはらはらと舞い落ちてくる。壁のレリーフにも小さなヒビが走っていた。
座り込んで腰をさすりながら、テオはそれを見上げた。
髑髏の騎士のレリーフが変わらずにそこにあった。
「地上に着いたようだな……。宝玉も無事だしまずは一段落か」
安堵の笑みが浮かんだ。
が、すぐに厳しい表情に変わる。
「まだ大仕事が残ってはいるがな……」
息せき切ってリッケンが扉を開けた。
王宮が大地に戻るのを見届けるやいなや、彼は魔法騎士団の一人を捕まえると、その飛竜を強引に借り受け王宮へと戻ってきたのだ。
バンと勢いよく開いた扉に、アインシルトが振り返る。
そこは王の居室であった。
リッケンが、ゴクリと唾を飲んでかすれた声を発した。
「へ、陛下は?」
アインシルトがニコリと応える。
「……ご無事じゃ。貴殿はご覧になられましたかの。あの勇姿を」
「はい」
「わしはこれ程までに感動したことなど、今までありませなんだ」
うっすらと涙さえ浮かべて、彼は薄衣の奥を見つめていた。
天蓋付きのベッドに、人影が横たわっている。その脇に、アインシルトは座っていた。彼は手に持ったドラゴンの意匠のマスクに眼を落とし、愛おしげにさすった。
「とうにわしを超えておられたが、ますます手の届かぬところに行っておしまいになったようじゃ」
ようやく息が整ったリッケンは、眼を細めて頬をゆるめた。
これで終わった。この国は守られた、そう感じた。
「お戻りになられたか。今はお休みになられているのですね。では老師よ、あちらで……」
眠っている王を気遣い別室で話そうと促す上級大将に、アインシルトは首を振って答えた。
「冥府の王は去った。じゃが、アンゲリキは深手を負っておるが生死は不明じゃし、アヤツの双子の弟が生きていた。あのアンゲロスが」
「……なんと」
リッケンの眉間に深いシワが刻まれた。
一瞬で、安堵が焦燥に変わった。
「リッケン殿。まだ終わっていないのじゃ。……ブロンズ通りの魔法使いは、もうこの城を出て行った頃じゃろう」
「双子の魔法使いを追って?」
「聞かぬ弟子でしてなあ」
アインシルトは、なおもマスクを撫でていた。
リッケンは薄衣の奥に目を凝らす。人影はピクリとも動かない。まるで息すらしていないかのようだった。
「……お目覚めには、ならないのですか?」
「そのような余力はありますまい。いかほどの魔力が残っているかも、定かではありませんからな」
「老師もですか?」
リッケンの目は、アンゲロス達を一人追ったというテオに、なぜ手を貸さないのかと解いたげだった。彼を危険にさらして、平気なのかと。
アインシルトは、悲しげに笑った。
「最早、わしは足手まといじゃ。ここで、無事を祈ることしか出来ぬ老いぼれよ」
***
テオは王宮前広場の中央に佇んでいた。
大きな剣を無造作に引きずっている。両手持ちの大剣だ。重量もかなりある。王宮の広間に飾ってあったものを、勝手に持ち出してきたようだ。
冥府の王は去り王宮も守られたが、彼にはまだ仕事が残っていた。どこにいるとも知れない精霊に小声で呼びかける。
「デューク、追っているか? ここに連れて来い」
王宮は既に以前の通りしっかりと地面の上に建ち、何者にも侵されない堂々とした風格を見せている。テオはそれをじっと見上げた。
半分が燃えるような朱に染まり、もう半分は真っ黒な影を作っている。直に、日が暮れ夜がくる。
風がさっと流れ、青い光球が現れた。
「お待たせしました。魔女の方は、すでに隠されてしまったようで見つかりませんでしたがね」
光りの中からデュークの声がしたかと思うと、ゴウっと赤い火柱が立った。
テオは素早く剣を握り、身構える。
「まあいいだろう。片割れだけでも引きずり出せたならな」
デュークが火柱の後方に現われた。顎に長い指をあてて、したり顔で笑ってる。時間さえあれば魔女を見つけ出すことも可能だったのですよ、と目配せを送っていた。
炎が揺れて、アンゲロスの顔を映しだした。苦々しく、頬を歪めてさらに燃え上がる。
「勘違いも甚だしい。こちらから来てやったのだ。……冥府の王が退けられてしまうとは計算外だった。せめて、お前の体をもらおうか」
テオとデュークに挟まれて、炎はイライラと火花を飛び散らしている。
「二人がかりか? 義侠心があるなら、一対一で堂々勝負と行くべきでは?」
テオは剣を構えてふんと鼻で笑う。
「気にするな。ソイツはオレの屁みたいなもんだ」
「……屁、ですか……」
自分を指さし、デュークは大げさにハアっと肩を落とす。これまでにも主の暴言は数あれど、こんな低俗かつ屈辱的なものは数少ない。やれやれと自嘲気味呟いた。
「まあ、義侠心なんてものを振りかざすよりはマシですけどね……」
「勝ちゃいいんだ。勝てばそれが正義さ。お前なら解るはずだ、アンゲロス。そうやって生きてきたんだろう」
「その通り」
ぐっと柄を両手で握り締める。
生きているかのように、剣はドクリと脈打ち、刃がグンと伸び上がった。もとより長い刀身が更に伸び、幅も増した。切っ先がぎらりと光る。青白い靄のようなものがゆらゆらと立ち上っていた。
「はああああ!!」
アンゲロスに向かってダッと走りだした。同時にデュークが背後から素手で炎の魔物を抑えこむ。
魔物に上段から神速の一刀が浴びせられる。
ブンと風を切り、デュークの鼻先をかすめた。炎の顔が見事に二つに裂かれた。
そしてアンゲロスは幾つかの火の玉となって、飛び散っていった。
テオは返す刀で火の玉を追い、切り裂く。白光する軌跡。
炎も切り裂く魔剣だった。
デュークは目を吊り上げてバッと跳び退く。
「私まで斬るおつもりですか? ……まあ、屁ですからね、気にもならないと!」
「どうせ死なねーだろ!」
テオは構えなおす。
文句を垂れる精霊には見向きもしなかった。
「そう、この程度で死なぬのは、我も同じ。恨みの炎は消えはしない!」
散り散りになっていた炎がひとつに集合する。
「……アンゲリキを傷つけた罪は重いぞ! 必ずあがなわせてやる」
「んなもん、知るかぁー!」
大剣が唸りをあげ、再び炎を両断する。
しかし、今度は切断されることはなく、炎は蛇のように刀身に巻き付いてテオに迫ってきた。
青い靄が炎に吸収されていっていることに、テオは気付いた。
「ゲイル!」
突風が炎を押し戻してゆく。
炎は引きちぎられていった。そして渦巻く風の勢いに四散するかと思われた次の瞬間、アンゲロスの高笑いが響き渡った。
テオの大剣がまとっていた靄は完全に消え失せ、大きさも元に戻っている。剣の魔力を完全に吸収されてしまったのだ。
しかも炎は風の魔力までも取り込み、一気に巨大な炎の竜巻に変化した。そして一瞬にしてテオを取り囲む。怒りに顔を歪ませ、何か叫びかけた彼の姿は、炎の中に隠されてしまった。
「これは、いけませんねえ」
独りごちるデュークの爪がギュンと伸びた。それは鋭利な刃だった。
飛びかかり、炎を切り裂く。
「ギッタギタにしてやりたいんですが、如何せん炎が相手では、手応えがない」
「はっはっは! 燃えろ! 生きながら焼かれて、苦しみ悶えろ!」
アンゲロスの高笑いが続く。
デュークはめちゃめちゃに腕を振り回し、炎を引きちぎる。目を凝らすと、ゴウゴウと燃える炎の中にうっすらと人影が見える。腰を折って屈んでいた影が、真っ直ぐに立ち直る。
「どいてろ、デューク!」
炎の中からテオが叫ぶと、精霊は即座に飛びのいた。同時に、炎に横一線のきらめきが走った。その煌きは、テオを中心にぐるりと一周していた。
炎が上下に切り裂かれる。
「何!?」
数度、煌きが炎の内部から吹き出し、境目が広がっていった。
そして、その隙間からモウモウと白い煙が上がった。水蒸気だ。
「ぐぐ……」
炎の中に、アンゲロスの苦悶の表情が、いくつも浮かび上がった。太い蛇のように巻き付いていた炎がゆるゆると離れ、火の玉に変わる。
テオの姿があらわになった。水平に剣を構えていていた。
炎の中で、回転して振り回していたものらしい。服は焼け焦げ、体中赤くやけどしている。
しかし彼は不敵に笑っていた。そして何より不可解なことに、全身がキラキラと光る水の膜に覆われていた。
この水がテオを守り、またアンゲロスの攻撃を退けたのだ。足元からは、まだコンコンと水が湧き出している。そして水はするすると上昇してゆき、テオを包む水の層はどんどんと厚くなっていゆくのだ。
プクプクと小さな空気の泡が、人型の水の中で上昇と下降を繰り返していた。髪が水流でゆらゆら揺れる。小さな気泡がその髪に捕まり、真珠のように輝いた。
テオに変化が生じていた。
構えていた剣を、ゆっくりと降ろす。姿かたちは変わらないのに、別人のように見えた。水の中の彼は肌が透けるようで、女性のようにさえ見える。それも、とびきりの美女に。
もともと端正な顔立ちをしているが、女性的なものではない。それが表情一つ仕草一つで驚く程に美しくなり、女性のように見えてしまう。
挑発するように笑う唇が妙に艶っぽい。天に向かって伸ばした腕の動き、その指先まで誘うように蠱惑的だった。
「おおぉ! その倒錯的な姿ステキです。惚れていいですか?」
デュークはブラボーと手を叩いて喜んでいる。テオに起きている変化への疑問など、塵ほどにも無いらしい。むしろ余裕で賞賛を送っているのだ。
火の玉は、バチバチと火の粉をまいて怒声をあげている。
「おのれ水妖か!」
「私はウンディーネ。この男に手出しする者は何人たりとも許しません」
それは確かにテオの声だったが、別のものがしゃべっていた。
水の精霊、ウンディーネが彼に憑いているのだ。