37 炎の魔物1
ニコとベイブは、ブロンズ通りを西に向かって移動していた。それは王宮の方角だ。王宮にたどり着いたとして、何ができるかなど解りはしない。
しかし、じっとしていられないのだ。少しでもテオの手助けになることがあるならばと、その思いのみで動いていた。
激震に突き上げられ今にも倒壊しそうな建物に、ニコは強化の魔法をかけながら進んで行った。ベイブは、怪我人を見つける度に治してやる。二人に出来る、精一杯だった。
前方から、今にも転びそうによろめく馬を引く男の姿が見えた。黒ローブ姿だ。馬の上にはスーツ姿の男がたてがみにしがみついて乗っている。よく見ると、黒ローブはクレイブだった。王宮から逃げ出してきたのだろう。
ニコに気づいたクレイブは、驚いたように声をあげた。
「何をしている! 逃げないのか!?」
クレイブと一緒にいる男は王宮の役人らしかった。彼が王宮を出る時に、拾ったのだろう。その若い男は度を失い、呆然と前を見つめているだけだった。
この地震がただの自然災害などでは無いことは、もう誰もが気づいている。稀代の魔女の復讐が始まったのだと町の人々は叫び、王宮から遠ざかろうとしているのだ。王宮が標的であることも、既知の事実である。
その王宮へ向かおうとしている二人に、クレイブは呆れ驚きの声を上げたのだ。
ニコはムッと顔をしかめる。
「逃げたくても、逃げられない人がいっぱいいるんだ! あんたも魔法使いなら、少しは手伝ったらどうなんだ!!」
ニコは礼儀を忘れ、激しく怒鳴った。公認魔法使い組合代表ともあろう者が、ただしっぽを巻いて逃げるだけなのか、傲慢なだけの臆病者なのかと、彼を軽蔑したくなった。
対してクレイブは無言で憤慨し、目を見開いた。
「半人前がほざくじゃないか。魔法ってのはこうするんだ」
そして右手を一閃させた。すると、通りに立ち並ぶ家々がピタリと動かなくなった。
地震の揺れが収まったのではなく、建物を地面から数十センチ浮かばせたのだ。
「強化だけでは、より強い力にはいつかは負ける。まあ、これも一時しのぎに過ぎないが」
鮮やかだった。
魔法使い組合代表は、伊達では無かったのだ。クレイブは魔法をかけ続けた。頭から血を流して倒れていた男にサッと手のひらを向けると、その傷は瞬時に消え去った。
ニコは、この男を少々見くびり過ぎていたことを反省した。
その時、ニコたちの後方から、赤い光の線がサッと駆け抜けていった。
大地に刻まれた巨大な五角形の一辺だ。光が通り過ぎると、ぴたりと揺れがおさまった。
さっとクレイブとニコは目を見合わせる。五角形はどんどん縮んでいる。光の移動とともに、地震のエネルギーが王宮に集中しようとしているのだ。
ニコは光を追って走りだした。ベイブがそれに続く。
クレイブは舌打ちをして、怒鳴った。
「待て! 行っても足手まといになるだけだ!」
「そう、足手まといになるだけだ……」
不意に、スーツの若い男がつぶやいた。
陰湿な響きがこもっている。一同を一瞬にして総毛立たせる声だった。ニコとベイブが同時に振り返る。
茫然自失としていた男がいつの間にか馬から降り立ち、ベイブに歩み寄っていた。
「特に、こちらのお嬢さんはね……非常に、邪魔だ」
男が笑っている。
ねっとりと冷たい笑み。もしも蛇が笑ったとしたら、こんな顔になるんじゃないかとニコは思った。
その蛇の視線に射すくめられ、ベイブは動けなくなっていた。ブルブルと震えている。
「四つ目のゴブリン……あの森で、死ねばよかったのに」
地をはうような不気味な声。
ニコの心臓が恐ろしい速さで脈打ち始めた。アンゲリキなのか?!
男は右手を差し出し、ベイブに手のひらを向けた。炎が渦巻き、震える彼女に向かって一直線に飛び出した。
「やめろーー!!」
ニコは、咄嗟にベイブの前に立ちふさがる。
防御呪文を叫んだ。しかし、これでは間に合わない。力が及ばない。
ニコは歯噛みして目をとじる。
ごめんベイブ! すみませんテオさん! と心のなかで叫んだ。
ブオン! と大音響が耳を貫く。
薄目を開けると、目の前で炎の渦が砕け散っていた。
完璧なシールドが二人を守っていた。これまでに無いほどの強固で大きな障壁を作り出すことに、ニコは成功していたのだ。
男の顔が僅かにゆがむ。続けざまに攻撃に繰り出したが、ニコのシールドの前に全て四散して消えた。
「すごい、ニコ……」
ベイブが彼の手を握った。
驚いていたのはニコの方だった。こんなに上手く魔法を使えたのは初めてだった。
ふと、右足の付け根辺りがじんわりと熱くなっているのに気づいた。ポケットの辺だ。テオから預かったペンダントトップが入っている。それが熱を帯びていた。お守り代わりだ、とテオは言っていた。
これが僕に力を貸してくれたんだ、とテオへの感謝の念と共に、勇気が奮い立ってくるのを感じた。ベイブを守るんだ。テオさんとの約束を守るんだ。ニコはそう思う。
シールドの中にベイブを残して、ニコは男に向かって飛び出していった。
「火焔! いけえーー!!」
巨大な炎の竜巻が、スーツの男めがけて襲いかかっていった。
******
騎士団の魔法使いたちの放った、何本もの炎の鎖が大蛇を縛り上げていた。だが、大蛇が雄叫びを上げて身をよじる度に、その鎖は一本二本と切れてゆく。
ジノスは騎士団に指示を与える。また何本もの鎖が蛇に向かって飛び、ギチギチと締めあげて拘束するが破られるのは時間の問題だろう。
ジノスは舌打ちした。そしてアインシルトに叫んだ。
「老師! あの向こう見ずなクソ魔法使いの左目とやらを取り戻せば、ヤツも少しは使い物になるんですか?!」
白ふくろうはビオラの飛竜が王宮へと向かっているのを確認し、ジノス飛竜の隣に寄ってきた。
「そうじゃ! 支配を解かれ、奪われた魔力も取り戻せるしの。……しかし、クソは余計じゃぞ。あれでもわしの愛弟子じゃ」
「これは失礼しました」
ジノスは薄く笑って、仲間の魔法使いのもとへ飛竜を操った。
アインシルトへの質問は、左目を取り戻してやろうなどと考えた故ではなかった。彼を当てにしてはならない事を確認しただけだった。
ジノスは、確実なものしか信じないと決めていた。戦闘中とあればなおさらのことだ。
白い飛竜は、王宮の庭に着陸した。
すぐさま飛び降りようとするテオの腕をビオラがつかんだ。
「待って」
テオを引き戻すと、いきなり彼女は両手で彼の頬を包みこんだ。
ビオラに、がっちり頭を固定されてしまった。
「……お?」
思わずときめいてしまう。振りきれないことは無かったが、美女にこんな事をされては抵抗できない。何かを期待してしまうのは仕方のないことだろう。
「私の目を見て」
ビオラの顔が目の前に迫り、その目が青く輝いた。
唖然とテオは目を見開く。軽いめまいを覚えた。
ビオラはテオの口に向かって、ふっと軽く息を吹きかけた。たったそれだけのはずだったのに、熱い空気の固まりのようなものが、口いっぱいに押し込まれてきた。有無も言わさず、それは喉に侵入してくる。
思わずゴクリと飲み込んだ。嫌悪感は無い。むしろ充足感があった。それは喉を通り過ぎ、腹の中で穏やかなぬくもりを発し始めた。温かな力がゆっくりと全身に行き渡ってゆく。
ビオラが手を離した。
「回復魔法よ。一時的なものじゃなくて、継続するように魔法玉にしたの」
「キスされるのかと思った」
「……あなた、バカなの?」
「いやあ、それほどでも」
「……腕の傷は直に治るし、その力はまだしばらく残ると思うから、必要があれば使ってちょうだい」
ビオラは少し頬を染めて、飛竜から飛び降りた。
頭をポリポリ掻いてからテオもそれに続く。
「回復魔法か、ありがたい。もう腕の痛みが引いてきている。しかし残念だなあ、あんなに見つめるから、オレに気があるのかと思ったのに」
「勘違いしないでよ。あなた回復系呪文からきしダメだって聞いたから、あげただけ。私は好きな人がいるって言ったでしょう」
「ああ、言ってたっけなあ。まさか、アインシルトのことじゃないだろうなあ」
「そんなわけないでしょ」
「オレに鞍替えしたほうがいいんじゃないか?」
「からかわないで。私のことなんて、これぽっちも興味無いくせ」
「そんなこたぁ無いさ」
テオは、はははと笑って、ビオラを追い抜かし回廊を走っていく。
人気のない建物の中に、二つの足音が大きく響き渡った。扉を開け、広間を駆け抜け、階段を登っていく。テオは王の居室に向かっていた。
途中、廊下の窓から空を見上げる。厚く渦を巻く黒雲の中で、爆発が起こる。大蛇のシルエットが一瞬浮かび上がった。
飛竜の一団が散開する。
「アインシルト……」
こぶしを握った。
「デューク、アインシルトを守れよ」
つぶやくと、今度は静かに歩きはじめた。
扉の前についた時、息を切らしたビオラが追いついてきた。
部屋の前にはリッケン上級大将が厳しい顔つきで立っていた。それに気づいた彼女は、そっとテオの後ろに隠れる。
「!」
リッケンの手がすっと顔の前まで上がりかけ、ハッと動きを止めた。
テオのローブが血に染まっているのに気づいた。
「……怪我を」
「大丈夫さ。魔女のペンダゴンが迫っている。直にここは押しつぶされるだろう」
テオは腕に巻いていた布をほどき捨てる。テオは王宮が潰されると、恐ろしいことを言う。
重臣であるリッケンに遠慮して、テオに声を掛けるのをためらっていたビオラは焦りを感じ始めた。結界の完成を急がねばならないのに、二人の様子が落ち着き払って見えるせいだった。
王だけではなく、王宮そのものも守らねばならない。インフィニードの王家に古くから伝えられている宝玉を守るためにも。
しかし、ビオラはどうすればいいのかは知らされていなかった。ただ、テオを王宮に連れて行くようにと言われているのだ。
我慢できず、口を開いた。
「テオ、早く結界を!」
「ああ」
テオは静かな声で言った。
「もう、ここに兵を残していても意味が無い。今すぐ城下にでて、市民の救護に……。ビオラ、君も」
「ゆくぞ」
リッケンは深くうなずき、ビオラの肩に手を置いた。
ビオラは数瞬戸惑ったが、すぐにリッケンとともに足早にその場を離れた。
一人残ったテオは、胸のペンダントを外した。
「こいつの出番ってところだな……」
手のひらに乗せた黒いペンダントトップが、キラリと光った。
グッと握りしめ、そして重い扉をゆっくりと押し開いた。
部屋の奥で、漆黒の王ディオニスが出迎えていた。