35 五芒星2
揺れが止まる事は無かったが、少し穏やかになったようにニコは感じた。
ふと横を見ると、テオが小さく呪文を唱えている。ニコはそれが強化の魔法だと気が付いた。
先日教えてもらったばかりの魔法だ。家が倒壊しないように、構造を魔法の力で強化させているのだ。多分この家だけでなく、周辺にもその効果が伝わっているはずだ。
ニコも一緒に呪文を唱えた。
テオがチラリと彼を振り返る。
「オレよりも上手いな。もの覚えがいい」
親指を立ててウインクした。
こんな時でもテオは邪気のない笑顔を浮かべてくれる。ニコは不安が和らぐのを感じた。
その時、バン! と扉が大きく開け放たれた。
金髪の女が倒れこむように飛び込んできた。
「ビオラ!」
テオが即座にテーブルから這い出し立ち上がった。
息を弾ませて、彼女は叫んだ。
「テオ! 来て頂戴! このままでは町が破壊されしまう。王を守って! お願い、あなたが必要よ。アインシルト様が待っているわ」
「ああ」
テオはビオラに歩み寄る。
昨日ニコに言ったように、アインシルトの指示に従うつもりなのだ。
それを、小さな手が引き止める。
「危ないわ、テオ。魔女に殺されるかもしれない。この地震、本当に魔女の力なの? もっと違う何かじゃないの? ……行かないでよ! あなた王様を守りたいなんて、これっぽっちも思ってないじゃない! 何のために行くの!?」
ベイブはローブを掴んで離さない。
うっすらと涙を浮べている。しかし、弱々しい涙ではない。強い意志が込められている。どうしても行くというなら自分を納得させてみろ、と言っている。
テオはひざまずいて、彼女を見つめた。
「……このまま町が破壊されるなんて我慢できない。オレはこの町が好きだ。町のみんなを守りたい。いや、何より今のオレの生活を守りたい。……崇高な使命だなんて思っちゃいないさ。ただの私情だ。エゴなんだ。ニコとお前とオレ、三人での暮らしが幸せで大切だから。……失いたくない」
ベイブの頬を優しくなでた。
胸がドキンと鳴り、彼女は唇を噛んでうつむいた。言葉を返せなかった。
もしも、命令だからとかこれが自分の使命だからなどと言ったなら、ちゃんちゃら可笑しいと笑ってやったのに。散々我がまま放題やってきて、今さら王への忠誠だとか祖国の為にとか言ったって、そんな嘘っぱち誰が信じるかと罵ってやりたかったのに。
それなのに彼は、私情だなどと勝手な事を言う。自分たち三人の暮らしを守りたいからだなんて。
ベイブの手が小さく震える。
テオはその彼女の手を握ると、そっとローブから引き離す。
「ニコ、ベイブを頼むよ。いいな」
ニコが小さく頷くのを確認すると、ビオラと共に通りへ出た。
ベイブの不安で切なげな視線が、その背を見送った。
彼を行かせたことを後悔することがありませんようにと、彼女は祈った。
ブロンズ通りに大きな白い飛竜が降り立っていた。その飛竜は大人しく主が戻ってくるのを待っている。それはビオラの飛竜だった。
魔法使いの家を出たビオラはさっとその背に飛び乗り、目でテオに合図する。素早くテオも飛竜の背に乗った。
ビオラが手綱を引くと飛竜は、ザンと翼を伸ばし数度羽ばたくとふわりと舞い上がった。グングンと上昇していく。あっという間に町が小さくなり、空の高みへと運ばれていた。
そして見下ろすと、大地に描かれた光の図形がどんどん小さくなっているのがわかった。中心点の王宮に向かい収縮している。その縮む五角形から外にでた地域では揺れが収まっていったが、内部はより激しく揺さぶられていた。
城だけは、魔法使いたちの力とアインシルトの仕掛けた守りの効果によって、その揺れから免れているようだ。
黒く渦巻く雲が低く垂れ下がってきていた。
テオが、また左目を押さえて呻いた。
「どうしたの?」
ビオラは不安げにテオを振り返る。
「……いや、なんでもない」
アンゲリキには自分の魔法が全く通用しないことはわかっていた。それでも、自分にしか出来ないことがある。テオは毅然を顔をあげ、前方を見すえた。
ビオラは飛竜を旋回させ王宮を目指した。
「アンゲリキ、こい……」
「テオ、アインシルト様は結界を完成させろと仰ってたわ。アンゲリキは私と騎士団で何とかするから、あなたは王宮に向かってちょうだい」
ビオラは懇願するように言った。
「あんたじゃ、その大役に耐え切れないね」
テオは空を見上げた。風が髪をなぶる。
「王を守ることが大切なんじゃない、この町を、人を守るんだ。王なんて誰だっていい。代わりはいるさ。アンゲリキを倒すことが重要なんだ」
「テオ! それは違うわ! 魔女を倒しても、今黒竜王が死んでしまったら、この国はフラクシオ王国の蹂躙を受けるわ! 強く恐ろしい黒竜王がいてこそ、今のインフィニードがあるのよ」
「そんなことはない。国を守るのは、王一人の仕事じゃないんだ。国中の一人ひとりの力だ。いっそ王政なんて廃止すればいい」
「……あなたって、とんだ夢想家なのね」
ビオラは、平行線のまま話がつかないことを悟り、溜息をついた。
王宮上空に差し掛かった。
どろどろとした黒い雲がまた一段と下がってくる。そして、真っ黒なその雲が生き物のように蠢きはじめた。
「あはははははは……」
甲高い女の声が響いた。雲が巨大な顔を浮かび上がらせている。
テオとビオラは、空一面の顔を見上げた。
押しつぶされてしまいそうな圧力を感じた。
「ふふふふ。来たのね……。会いたかったわ」
魔女アンゲリキの顔を写しとった雲が、雷鳴のような声を上げた。
それを見上げた途端、テオは叫ぶ。
「火焔!」
テオの両手のひらから、アンゲリキめがけて紅蓮の炎が上がった。
真っ暗な空を赤く染め上げる猛火は、魔女の唇から吐かれた一息であっけなく消え去った。
「フレア!」
続いてテオの右手に真っ白な火球が出現し、みるみる膨れがる。
アンゲリキに向かってその巨大な火球が放たれる。まるで小型の太陽のようだ。膨張を続ける熱エネルギーが、魔女の鼻先で大爆発した。
爆風に白い飛竜があおられる。
魔女は、その顔を四散させていた。
「……はははは」
しかし、笑い声は止まらなかった。
「ムダなことを。片目のお前が私に勝てるとでも? バカにするものではないわ」
薄暗い怒りのこもった声だった。
***
ニコははいずるように通りに出た。外は薄暗く不気味な地響きも聞こえる。
灰色の空を見上げた。稲妻が走り空一面真っ白に輝いたかと思うと、すぐまた雲に覆われた灰色の空に戻る。
地面は揺れ続ける。石畳にバリバリと亀裂が走った。
そして空からは、甲高く耳障りな女の笑い声が降ってくる。
「ニコ……あれがアンゲリキ?」
ベイブもニコに続いて、家から出てきた。上空の割れた雲の中に、一瞬巨大な白蛇の姿が見えた。また閃光がひらめく。
戦いはもう始まっている。
ニコは唇を噛み締めて、ベイブに向き直った。
「僕らは、僕らのできることをやろう」
ベイブは頷いた。二人は懸命に、通りを西へ、王宮に向かって進んでいった。
遅れて、二階の窓からキャットが恐る恐る顔を出した。そして揺れる雨樋を慎重につたって、屋根に登ってゆく。ニコ達を追うように、キャットも西に向かって屋根伝いにソロソロと歩き出した。