33 ペンダント
ニコとベイブは向かい合ってテーブルに座っていた。
コーヒーを淹れ、テオの様子が落ち着くのを待っているのだ。ああいう状態になった時は、放って置くのが一番の対応策だとニコは思っている。
何をしようが一切反応しないのだから。先ほどテオを着替えさせた時も、まるで人形のようだった。こちらからの、働きかけで意識が戻ってくることは無いのだ。
二階から彼が下りてくる足音がすると、二人の視線がさっと階段に集中した。
テオはギョッとして一度立ち止まり、軽く咳払いをしてからテーブルに近づいてきた。
「……あー。雨が止んだみたいだから、ちょっと出かけるよ」
テオは、ガリガリと頭を掻いた。
頬杖をついたベイブがじーっと見つめている。無言で説明を求めている。当然だろう。あれを見て、不審に思わぬ者はいない。
しかしテオは敢えてそれを無視して、青と黄色のローブに手を通す。何事も無かったかのように振る舞うつもりらしい。
「ニコも来るか?」
「は?」
ニコは素っ頓狂な声をあげ、ベイブは不満そうに唇をとがらせる。
追求から逃げようとしてるなと思っていたら、自分を誘ってきた。ニコは不思議そうにテオを眺める。
「へえー。あたしは誘わないんだ」
「ああ、留守番を頼むよ」
当然といった口調だ。用があるのはニコだけだ、そう言わんばかりだった。彼女には目もくれない。
ますますベイブは、むうっと膨れ上がる。
テオとベイブの顔を交互に見やりながら、気まずそうにニコは立ち上がった。また喧嘩の気配が漂ってきたぞと身構えていたが、意外にもベイブはそれ以上何も言わなかった。
テオはさっさとドアへと歩いて行き、ノブを捻るとほんの少しだけ振り返る。
「……済まなかったな」
小さくつぶやいて、さっと外に出ていってしまった。
なに? とベイブの頬杖がカクンと外れた。そしてパチパチと何度も目を瞬いた。
「おい! ニコ早くしろ! 行くぞ!」
テオはドアの向こうで大声を張り上げている。
ニコとベイブは、唖然と顔を見合わせた。
「ねえ、ニコ……今の、あたしに言ったのかしら」
「……多分」
ニコも大いに驚いていた。
傲慢極まりないテオが謝罪するとは。呆けている間にかけた迷惑を謝っているのか、別の事を謝っているのかは定かでないが、これまでにない珍事だった。
慌ててニコも通りに出て行った。すたすたと先を歩くテオを、ニコは珍しいものを見るような気分で追いかけてゆく。
彼が付いてきているかどうか確認もせずに、派手なローブの魔法使いは、少し不機嫌そうな顔でどんどん歩いて行った。
いつもの買い物ルートをぐるりと回っていた。
何か買うわけでもなくただ歩き続けていると、ブロンズ通りに戻ってきていた。が、途端に方向転換して来た道を戻り始める。
目的なく歩いているのかなとニコが思い始めた頃、ボソリとテオが口をひらいた。
「このローブ、どう思う?」
ニコはきょとんとして、テオのお気に入りの青と黄色の極太ストライプのローブをまじまじと見つめる。
「えっと、どうって……ちょっと派手かなあと」
「オレは悪趣味だと思う」
「…………」
自分で言っちゃいますか……ニコは心の中でつぶやく。
それにしても、なぜ今そんな話を始めるのか。
「悪趣味だという自覚はあっても、やめられない。奇異な目で見られようとお前に呆れられようと、好きなものは好きだからやめられない」
「…………」
どう返事すればいいというのか。ニコは答えられない。
テオはむすりとした顔で、不満気に話し続ける。
「この先お前が独り立ちして、オレから離れていくのは喜ばしいことなんだがなあ……」
唐突に話が変わってしまった。
「? ……独り立ちできればいいですけど……随分、先のことですね。今から、僕がいなくなった後の食事の心配でもしてるんですか?」
「ん、そうじゃなくて……。まあ、それより先に師匠を替えることになるかもな」
「どうしたんですか? 話が見えないんですけど」
「オレの頭がイカれてるって話さ」
ニコの眉間に皺が寄る。
一体何の話なのか、さっぱりわけがわからない。イカれているというのは、先ほどの放心状態のことを言っているのだろうか。
今さらあの程度で、テオを見限って師匠を変えようなんて思うはずもない。なのに、彼は愛想をつかされたと思っているのだろうか。心外なことだ。
「あのグロテスクなチビ妖精が、ネックなんだ」
「は? ベイブ?」
「アイツのせいで、ますますイカれてきた気がする」
むむと、渋面を作ってニコをにらむ。
真剣に機嫌が悪い時の顔を違って、困っている気分が悪い、そういうのを強くアピールしたいだけのようだ。
ニコには、彼が何を言いたいのかまったく解らないままだったが、なんだか八つ当たりをされているような気がしてきた。
「それは呪いが解けなくて、イラついてるって意味ですか? だけど、ベイブのせいではないと思いますけど」
「…………」
フンと鼻を鳴らして、テオはまた歩き出す。
歩きながら話続ける。
「最初に呪いの人形が発動してから、今日で四日目だ。既に五つの人形は破壊したが、魔女の目論見通りに一日に一体づつ呪いが働いていれば、明日が最終日になる。本当の呪いは、恐らく明日発動するはずだ。その呪いは、これまでにない最悪なものだろうな。すっかり後手に回ってしまったようだ」
ころころと変わる話にニコは戸惑う。しかも、恐ろしい企みがまだ進行中だと明かされては、ますます困惑してしまう。
テオは真面目くさった顔で話し続けた。
「人形の呪いはフェイクだ。重要なのは五つの地点が創りだす図形と日数、そして生け贄……獣に噛み殺された犠牲者達のことだ。日ごとの死者の数は、黄金比の後項と一致している。ヤツは、緻密な計画を完璧に遂行しているんだ。――目的は王の命、もしくはその魔力。ついでに王宮の秘宝も手に入れたい、と言ったところだろう。そしてこの国を手中に収めるか、さもなくば滅ぼして復讐を果たす。そのために大かがりな魔法を使おうとしている。惨事になるかもしれない。……アインシルトはまたオレを呼びつけるだろうな」
「前に言ってた警護の話ですか? 黒竜王を守るために? 救国の魔法使いとか、そんな話がありましたよね」
ニコは、ドキドキと胸が高鳴るのを感じた。もちろん魔女の呪いへの恐怖感はあるのだが、テオが自分に今の状況を解説してくれたのを嬉しく思ったし、彼がその本領を発揮する時が来たのだと思うと誇らしく感じたのだ。
「いや、ブロンズ通りとお前たちを守るってことにしとこう。その方がカッコイイだろ。王を守るとか国を守るとか言うと、背中が痒くなる」
「え、でも、救国の魔法使いってテオさんのことなんでしょう?」
「嫌な呼び名だな。オレが名乗ってる訳じゃない。オレはただのブロンズ通りの魔法使いさ」
「……行かないんですか」
「行くさ」
ふうと大きく息を吐き出し、立ち止まった。
通りの向かい側に、いつも買いにいくパン屋がある。店の中から女将さんが、にこやかに手を振っている。テオは愛想よく手を振り返してから、ポケットに手を突っ込んだ。
「で、お前にこれを預けとくよ」
そう言って、取り出したものをニコに手渡した。
テオがいつもつけているペンダント、その三つのペンダントトップのうちの一つだった。
「お守りだ。気休めだけどな。……形見にならないことを祈っててくれよ」
「え? 形見?」
ドクンと、心臓が大きく脈打った。
「お前にしか頼めない。あのチビを守ってやってくれ」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 形見ってなんですか? 嫌ですよ、変なこと言わないで下さい!」
いきなり何を言い出すのか、形見だなんて……激しく頭を振るニコの声は、上ずっていた。
魔女の呪いが動き出せば、恐ろしい事態になるというのは解った。アインシルトの弟子として、共に戦わなければならないというのも解る。いや、むしろじっとしてなどいられないだろう。
そして、死ぬかもしれないと言うのか。魔女との戦いは命がけのものなのだと。アンゲリキという存在は、それだけ恐ろしい相手なのだろう。しかし、形見だなんて縁起でもない。
ニコの背筋がブルルと震えた。
テオはそんなニコの様子を、呆れたように見ている。
「だからそうならないように、って言ってるだろう。そんなことより、オレの話ちゃんと聞いてたか?」
「ベイブのことですか」
「……ん」
テオはまたムッスリと機嫌の悪い顔になる。
「そりゃ、僕にできることなら何でもやりますけど……。守ってくれだとか、形見だとかって、テオさんの身に何かあるみたいなこと言われると……」
「オレのことは、どうでもいいんだって。それより……」
「どうでも良くないです! もしテオさんが死んだら、僕は、僕は……」
ニオは喉を詰まらせた。怒りで目頭が熱くなる。勝手なこと言わないで欲しい。自分の命をどうでもいいなんて。
魔女よりも、王に危険が迫ることよりも、テオを失うことのほうが、ニコには恐ろしいことだった。
思わず、テオをにらみつけてしまう。
「……何、勝手に妄想でオレを殺してんだよ。死ぬつもりなんか、コレっぽっちもないぞ」
面倒臭そうに、頭を掻く。
「まだ、ベイブを人間に戻してやってないのに死ねるもんか。バカ。アイツを守れって言ったのは、オレがブロンズ通りに戻ってくるまでの間の話だ。バカ。しばらくの間、帰れなくなるかもと思ってな。バカ」
見上げると、テオはニタリと薄ら笑いで見下ろしている。
死を覚悟している人間にはとても見えない、厚顔なその表情。神妙さなど欠片もない。殺しても死にそうにないふてぶてしさ。まったくテオらしいと思う。
不意に、髪をぐしゃぐしゃとかき回された。たったそれだけで、涙腺が熱くなり悔しい程に心に安堵が広がった。
テオは絶対死なない。ニコは素直にそう信じられた。それにしても……。
「……今、何て?」
「バカ、って言ったんだ。バカ」
「…………」
聞きたいのはそこではない。質問の意味は解っているくせに全くこの人は、と体の力が抜けそうになる。
「その前ですよ。ベイブが人間?」
「うん」
なんてこと。まったく気づかなかった。
ニコは改めてぽかんと口を開いた。
「ゴブリンじゃ無かったんだ。道理で人間臭いわけだ……。いつから解ってたんですか。しかも内緒にしているなんて、ひどいです」
「お前に言ったら、何か進展があったのか?」
「無いですけど……」
「呪いを解けないのに、ぬか喜びさせるのも可哀想だろう。っていうか、最近は解く気もなくしてたけどな」
「どうして?」
「……だから、オレはここがイカれてんだよ」
人差し指で、自分の頭を突っつく。
「意味がわかりません」
「じゃあ、解らなくていい」
テオはぷいと顔をそむけると、また歩き出した。
なんて態度と言い草だろう。さすがにニコはムッとした。
「テオさん! なんでいつも、そうやってはぐらかすんですか!?」
アンゲリキのことといいベイブのことといい、肝心なことは話してくれない。
テオはチラリと振り返った。
「帰るぞ」
そしてまた先に歩き出す。
焦りとも諦めともつかない気分で、ニコは後に続く。自分はきっとこの先も、この人の背中をずっと追い続けるだけで、向かい合えることなど無いのだろうと思った。
「お前のことは信用しているし、信頼もしている。だから拗ねるなよ」
俯いていたニコがパッと顔を上げる。
なんて人だと、改めて思う。このタイミングで、そんなセリフを吐くのか。相手の顔も見ずに。歩みを止めないテオの後を、少し口を尖らせてニコは付いて行く。少し赤らんだ頬が、早く冷めればいいのにと考えながら。