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黒のドラゴンとブロンズ通りの魔法使い  作者: 外宮あくと
第一部 復讐の天使 死の呪い
33/148

32 黒い魔法使い

 ふくろうに変化へんげしたアインシルトが、雨の中を飛び立った。その後を二羽の小さなふくろうが追いかける。小姓たちだ。


 彼らは王宮を出立すると、すぐに空高く上昇していった。視界が悪い。上空からは雨に煙る町の明かりが、ぼんやりとしか見えない。最悪のコンディションだった。

 アインシルトは雨を切り裂いて飛んでいく。その師に遅れぬように、小姓たちは必死に続いた。


 今、彼らは呪いの人形事件の最初の現場に向かっていた。呪いが発動した現場と未遂に終わった地点、合計五箇所を逆順で星形に回るのだ。魔法陣を無効にする魔法をかける為だ。


 起点に到着すると、老魔法使いは魔力を振り絞り呪文を唱えた。彼の飛んだ後には、航跡のように白い線が残り空に巨大な五芒星を描き始めたのだった。


 雨の中を三羽はひたすらに飛び続ける。五つのポイントを巡り、ようやく起点に戻ってくると空に白く光る星形が完成した。

 そして、老魔法使いは打ち消しの呪文をつぶやく。


 と、突如稲妻が走った。

 小さなふくろうたちがバランスを崩し落下する。アインシルトは小姓たちを守るように降下した。

 その眼前に火の玉が出現した。

 ふくろうたちは大きく旋回し、体勢を立て直すと火の玉と対峙した。


「これしきのことで、破れるようなものではないわ」


 火の玉に顔が浮かび上がり、嘲った。


「アンゲリキか。ようやく相見あいまみえることができたのお。お前に預けておったものを返してもらわねばならんな」

「私こそ、あなたの大切なものを必ず貰い受けますよ」


 ふふふと口を歪めて炎が笑う。

 老魔法使いは身構え、小姓たちを後方へ退避させた。

 その時だった。


『アインシルト! 引け! 一人では敵わぬ!』


 彼の頭の中に声が響いた。黒竜王ディオニスの声だった。

 雨の中飛び立った彼らの様子を、黒竜王は鏡を通してずっと見ていたのだ。

 炎が現れた時、王は椅子から立ち上がった。そして彼に呼びかけた。


『戻れ!』

「ご命令通りに、陛下の御前に魔女めをお連れいたしますぞ」

『黙れ! 逆らう気か!』


 ふくろうが大きく羽ばたくと、キラリと輝くものがいくつも炎に向かって飛んでいった。鋭い刃に変じた無数の羽根が風を切り、火焔を千々に引き裂いた。


 しかし刃は一瞬で燃え散り、ちぎれた炎は再び一つに融合した。さらに大きく燃え上がる炎に、雨はたちどころに蒸発してもうもうと水蒸気が上がった。

 炎の顔が艶然とアインシルトを見下ろす。

 王宮では、黒竜王が忌々しげに鏡を殴りつけていた。


業腹ごうはらなことを……!」



***



 テオはガンと窓枠に拳をぶつけた。

 開け放した窓から身を乗り出して、空を見上げていた。

 バチバチと雨がその顔に叩きつけてくるが、ひるむことなく暗い天を仰ぎ見る。


 つい先刻、彼は読んでいた本をいきなり放り投げて、二階へと駆け上がっていったのだ。

 窓際で雨を眺めていたベイブは、そのテオの勢いに押されてクーファンに逃げ込んでいた。目をぱちくりさせて彼を見上げた。

 いつになく真剣で、険しい顔だった。

 ニコがあたふたと追いかけてきた。


「ど、どうしたんですか?」


 雨でずぶ濡れになったテオは答えず、空を睨み続ける。

 身動き一つしない。


「……ねえニコ、何かあったの?」

「いや、よくわからないんだ。なんだろう……」


 ニコは彼の視線の先に目を凝らしたが、何も特別なものは見えなかった。

 まっ黒い雨雲から、大粒の雨が降ってくるばかりだ。

 テオの目は、何か別のものを映しているようだ。


「?」


 ニコは、彼が何か言葉を発したような気がして振り返った。

 唇が動いている。独り言か?


「また、魂が抜けちゃってるみたいね」

「テオさんの心は今どこにいるんだろう……」


 不安げにつぶやくニコに、彼女は微笑みかける。


「大丈夫よ。ちゃんとここに居るじゃない。どこにも行きやしない。さあ、彼を中に入れて窓を閉めましょう。このままにしてちゃ、風邪ひいちゃうわ」


 自分が動揺している時、ベイブは必ず冷静な態度でいてくれる。さり気なく落ち着かせくれる。ベイブは体こそ小さいが、きっと自分よりも年上なんだろう、とニコは思った。彼女はもう、このブロンズ通りの魔法使いの家に欠くことの出来ない存在になっていた。


 ニコは、木偶でく人形のようになったこの家の主をそっと肩に負い、部屋の中に引き入れる。

 ベイブがそっと窓を閉めた。



***



「年甲斐も無くなんと性急な。今日は忠告だけで、やり合うつもりなど無かったのに」


 逆立つ髪のような炎がゴウっと燃え上がり、蛇のようにうねうねと空高く登っていく。

 その先端が二つに裂けて、シュウシュウと舌を吐いた。


「ああ、わしゃせっかちな質での。さあ、早く本体を現せ」


 ふくろうが羽ばたき竜巻を起こした。

 炎に向かって突進してゆく。


「ではお言葉に甘えて、ゆきますよ」


 炎が微笑むと、その頭上で真っ赤に燃える蛇が大きく口を開けた。その中から、真っ白な大蛇が勢い良く飛び出してきた。白い矢のような動きだった。うなりを上げて、アインシルトに襲いかかる。


 白ふくろうは舞い上がってそれをかわす。しかし、大蛇はアインシルトを追うことはしなかった。

 蛇は後方の、小さなふくろうを狙っていたのだ。


「なに!」

『逃げろ!』


 アインシルトが振り返った時には、既に一羽のふくろうが蛇に呑まれていた。もう一羽めがけて、大蛇が牙を剥いた。


 その瞬間、目のくらむ稲妻と共に黒い影が蛇の眼前に立ちふさがった。ぶつかる寸前で、大蛇は身をひるがえし憎々しげに目を光らせていた。

 半透明な黒い影が低い声を発した。


『アンゲリキ久しいな。息災で何よりだ。お前をほふるのは、この私なのだからな』


 黒竜王の巨大な幻影だった。

 仮面で隠された顔は、口もとしか見えない。その唇が大きく横にひらき、歯を見せて笑みの形を作っている。


 白蛇はうねうねと体をくねらせながら、黒竜王の幻影の周りを回った。

 アインシルトは既に、小姓を連れて遙か後方に退避している。


「あああ、会いたかったわ。私の魔法使い。姿を見せてくれたお礼に、いいことを教えてあげましょう。……明日この国は滅びるわ。そして私は全てを手に入れる。だから、今日のところはお楽しみはおあずけね」


 アンゲリキはあはははと高らかに笑い、ぐるりと向きを変えて黒い雨雲の中に姿を消した。



***



「アンゲリキを捕らえること叶わず、まして陛下のお手を煩わせしこと深くお詫び申し上げます」


 座する王に、老いた魔法使いが深々を頭を下げる。

 王宮に帰還したアインシルトは、王の執務室に出向き謝罪の言葉を述べていた。


「よい。最早、咎める気は無い」

「全て私の不徳の致すところ、申し開きの術もございません」

「よいと言っている」

「はい……しかし……小姓ペイジの救しゅ」

「諦めよ!」


 アインシルトの言葉を最後まで聞かず、黒竜王は冷たく言い放つ。


「既に命はあるまい。咎める気は無いと言ったが、今また逆らうなら次は無いと思え」

「御意」


 肩を落とした老魔法使いは足元の床を見つめる。苦渋をにじませるアインシルトだった。

 黒竜王は鷹揚に足を組み替え、彼の様子を眺め下ろした。


 そして、ふうと大きく息を吐くと詰まった軍服の襟を外し、伸びをした。肘掛けに寄りかかって頬杖をつく。


「相変わらず、弟子想いな師匠だ」

「皆、我が子のようなものですからな」

「私もか?」

「もちろんでございます」


 ディオニスは、ふんと小さく鼻で笑う。


「なあアインシルト。明日この国は滅びるらしいぞ。それなら、あの小姓ペイジは我らの露払いというところ」

「……悪い冗談はお止めなされ」


 喉を反らせて王は嗤う。

 そして勢い良く立ち上がった。


「はっは! ならば、是が非でもアンゲリキを倒して、亡国はつまらぬ冗談であると言わせねばな。憂いていても始まらぬ。魔女の攻撃に備えよ!」


 王の激が飛んだ。



***



 暗闇の中で目を覚ました。

 蛇の鋭い牙が閃くのを見た時、自分はもう死ぬのだと思った。しかし、どうやらまだ生きているようだ。飲み込まれたはずだが、ここはどこなのだろう。


 まさか、蛇の腹の中なのか……。

 少年は起き上がり、恐る恐る手を伸ばして辺りを探る。何も手に触れない。足元も探ってみる。ひんやりと冷たい石の感触があった。平に磨き上げられたタイル状の石が敷き詰めてあるようだ。どこか建物の内部にいるらしい。


 少年が出口はどこかと、思いをめぐらしてしると、その目の前にぼうっと淡い光がともった。

 燭台のロウソクに火がついたのだ。

 その脇の椅子に腰掛けた、黒いドレスの少女の姿が浮かび上がった。目を細めて少年をじっと見ている。美しい天使のようなほほ笑みを浮かべた。

 しかしどこか凶々しい笑み。


 少年の鼓動が一気に倍速に跳ね上がる。

 燭台の火がゴウっと燃え上がった。その炎の中に、隣の少女と同じ顔が浮かび上がる。


「少々若すぎるが、あのアインシルトの小姓だからな、今度こそ少しは持つだろう」


 炎が淡々と喋った。


「お前の身体をもらう」


 少年の顔から血の気が引き、ずるずると後ずさった。

 勢いよく天井を焼くほどの火柱が立ち上がり、蛇のようにうねりながら少年に向かって降りてきた。

 首を左右に振りながら更に後ずさるも、少年は壁際に追い詰められてしまった。

 炎がチロリと彼の頬をなであげる。


「ひ!」


 と、声をあげた瞬間に、炎がその唇をこじ開けて侵入してきた。

 熱い。熱い。喉が焼ける。

 灼熱の炎が食道を押し広げ、胃に充満してゆく。体内に侵入した炎が、内側からじりじりと少年を焼いているのだ。その地獄の痛苦に、少年の目から涙がこぼれた。


 なおも口をこじ開け炎は侵入してくる。一つひとつの細胞がプチプチと燃え、別の物に書き換えられてゆく。炎の魔力により、彼は別のものに換えられようとしているのだ。

 薄れゆく意識の中で彼は、母の顔を思い浮かべていた。母の作るシチューは世界一だ。もう味わうことはないのか。

 また一筋涙が流れ、がっくりと頭をうなだれると床に崩れ落ちた。


「そう。絶望するといい」


 炎の声が、少年の口から漏れ聞こえる。そして、彼の意識はこの世から消えた。

 数瞬後、再び顔を上げて立ち上がった体は、もう元の少年ではなくなっていた。姿形は変わらないが、中身がすっかり変わっている。ニタリと笑うその笑みは、アンゲリキと同じ種類のものだった。


「上手くいった?」


 問いかけられ、少年は小首をかしげる。


「……ちっ! 脆い。脆すぎる!」


 炎がそう言った途端、体がゴウと燃え上がった。

 口から真っ黒な煙を吐き出し膝を折る。部屋の中に肉の焼ける匂いが充満した。

 アンゲリキは、肩をすくめた。


「また、ふりだしね」

「ああ、全くの見込み違いだった」


 少年の体はあっという間に燃え尽きて、真っ黒な灰となった。

 あとには炎の顔だけが浮かんでいる。ふわふわと、その炎は燭台に飛んでいった。そしてロウソクの火と同化する。口惜しそうにつぶやく。


「もっと魔力の強い器でないと……。我を受け入れることのできる、大きな器」

「……そうね。やはり、あの魔法使いでないと」

「そう、黒竜王。あれをいただこう」


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