31 消えた娘
昼近くになっても、なお雨は降り続いていた。鬱陶しい雨だったが、ニコとベイブは食料の買い物へと出かけた。
二人が荷物を下げて帰ってくると、いかにも金のかかった服装の男が仏頂面で去ってゆくところだった。品物自体は一流だしハイセンスな服装なのに、この人物が着ると一気に品が無くなってしまう。
金貸しをしているシラーだった。
ニコは思わずゲッと声を出し、つんのめるのを堪えて立ち止まると傘の影に隠れた。また嫌味を言われるのではないかと、ビクついたのだ。
ベイブはニコの背中から飛び降りて、不思議そうに彼を見上げる。それから、ニコの脚の陰からジーっとシラーの後ろ姿を見送った。
シラーは娘の捜索を依頼していたが、テオからは全くのナシのつぶてである為、他の魔法使いに鞍替えしたと聞いていた。そのシラーが、何故かまた来ていたようだ。
シラーの姿が見えなくなるのを確認してから、ニコはそっと歩き出す。テオが不機嫌になっていなければ良いのだがと思っていた。
そっと玄関をあげて覗くと、意外にもテオがフンフンと鼻歌を歌っている。
「シラーさんが来てたみたいですけど、どうしたんですか?」
「ん? ああ、前の件をもう一度頼みたいってさ。他の魔法使いでもどうにも見つからないから、是非ともオレに捜して欲しいとさ」
「……テオさん。なんか裏から手を回したでしょう?」
「何の話だ?」
「シラーさんが依頼した別の魔法使いに、絶対探すなって脅したんじゃないんですか?」
「まさか! そんな事しやしないさ! 心外だな」
大げさな仕草で驚いてみせる。なんだが白々しい。
「じゃあ、今度はちゃんと探すんですか?」
「いや」
「なんで!」
ニコは目を剥いた。
探さないならなぜ仕事を受けるのか。金の為か? いやそれはない。テオは全く金に頓着していないのだから、とニコは思う。理由がわからない。
「これも人助けなのさ」
「探さないのが、人助け?」
「そうさ。探さないほうが彼女の為なのさ」
はっはと笑うテオを、うさん臭げに眺めてベイブが尋ねる。
「覚悟の家出だとでも?」
「そのようなもんかな」
「どうして、あんたにわかるのよ」
「勘」
「呆れた」
ベイブは腰に手を当てて、テオをギロリ見上げる。
「何か大変なことに巻き込まれてるかもよ。助けなくていいの?」
「そうですよ」
ニコも同意した。
「オレの勘は結構当たるんだぜ。心配ないさ」
ベイブの頭をくしゃくしゃとなでた。その手を彼女にぱっと振り払われると、ニッと笑って本を手にとった。
ドカリと椅子に座る。
「テオ! あの人きっとものすごく心配していると思うわ。気の毒だと思わないの」
「……そうだなあ。心配しているだろうな、君の両親も。ずっと探し回っていることだろう。……早く帰りたいかい? その姿のままでも」
テオに見つめられて、ベイブの心臓がドキンと鳴った。
「あ、あたしの話をしてるんじゃないわ!」
「うん、そうだった」
テオは本を開き、ページをめくり始めた。
「そう、シラーの娘の話だったな。シラーか……まったく気に入らない男だよなあ……」
ぶつぶつとつぶやきながら読み始める。もうこの話は終わりにしようという、無言の意思表示だった。
ニコは肩をすくめてベイブに目配せをする。
二人はキッチンに入っていった。
苦い顔をしているベイブにニコは言う。
「テオさんがあんなだから、実は僕調べてみたんだよ。もちろん探索魔法なんて使えないから、足で情報を集めたんだけどね。と言っても、たいした情報じゃないけど」
シラーの娘ユリアは、黒髪が美しく清楚で知的と評判の美人だった。
侍女や執事にかしずかれて暮らす、いわゆる深窓の令嬢だ。彼女は一人で遊び歩くような娘ではないし、そのようなことができるとも思われない。
結婚の日取りが決まり、日ごとに増える嫁入り道具に囲まれて、幸せな娘はその日を指折り数える毎日を送っていたという。
父親同士で決めた結婚でお互いよく知らぬ相手だったが、ユリアは従順に従い花嫁になる日に夢を抱いていたという。その結婚を控えた娘が突然姿を消してしまった。
父親であるシラーは、誘拐されたかと狼狽した。しかし脅迫状が届くでもなく、ただ娘だけがいなくなってしまったのだ。
ユリアがいなくなった後、シラーの怒りの矛先となって責められた侍女と執事は程なくして退職している。
ニコは手がかりを求めて、元侍女と元執事のもとを尋ねた。
元侍女は事件なのか家出なのか見当がつかないという。自分には何も解らないの一点張りだった。
少しでも情報を得ようとニコは粘ったが、彼女はユリア蒸発の責任を被された怒りが消えないようで、シラーへの不満が次々とあふれるばかりだった。こんなに騒ぎ立てるなんて馬鹿げてるとさえ言った。
元執事に至っては嫌気がさしたか、すでに引っ越していてこの町から去っていた。
ニコの話をベイブは静かに聞いていた。
「僕は誘拐ではないと思うんだ」
「どうして?」
「だって、シラーさんほどの金持ちの娘を誘拐したんなら、身代金を要求をする方が普通だと思うよ」
「そうね。でも、だからって事件じゃないとは言い切れないでしょう?」
「うん。ただね、元侍女が言ったんだよ。あの父親の娘なんだから、何処に行ったって大丈夫だって。本当は芯の強い娘だってことを、気づいていないのは父親だけだってね。……ベイブはこれを聞いてどう思う」
じっとニコを見つめていたベイブが、ニッと笑った。
キラキラと大きな目が見開かれている。
「……誘拐なら何処に行ったじゃなくて、拐われたって言うわよね。それに知らないのは父親だけ、かあ。……その侍女、何か知ってるわね」
「かもしれない……ユリアさんが自ら姿を消した可能性は高いと思うんだ」
「なんかヤな感じ。テオの勘が当たるなんて!」
ぷうと膨れるベイブを見てニコは笑った。
テオは多分事件性は無いと最初から知っていたんだろう、とニコは思う。
それならそれで、自分たちや父親であるシラーに心配は無用と教えてくれればいいのにと思う。なぜ、捜しもせずに見つからないと報告するのか、まるで解らない。
何か時間稼ぎをしている? ふとそんな考えが浮かんだ。しかし何の為に。なんにせよ、テオの行動は理解不能だった。
ベイブは大きく深呼吸をして、それからきっぱりと言った。
「彼女は、逃げたのよ。本当は結婚なんてしたくないのよ!」
「どうだろうね」
ニコが首をかしげる。
と、ベイブは閃いたというように顔を輝かせた。
「いいえ、彼女は結婚相手を試そうと思ったのよ!」
ますますベイブは目を輝かせ、勢いづいて話し続ける。
「彼女は、結婚相手をよく知りたかったんだわ。こっそり彼を観察しようと思ったのよ。その為に家を出たの! 彼女は、その上で結婚するかどうか決めるつもりだったのよ。誰だって不幸になんてなりたくないもの。そうでしょう?」
「そうなのかあ……」
「ほんの少しの間のはずだった。でも途中で彼女に、ハプニングが起こったの。だから、帰れなくなって何ヶ月も行方が解らなくなったのよ」
「どんなパプニング?」
「それはね……ゲ、ゲホ! ゴホ!」
急にベイブは苦しそうに喉を押さえ、咳き込んだ。
「ゴホ……ああ、それは分からないわね」
一転して、表情が暗くなった。
ニコは苦笑した。
推理というより、これは妄想だ。ベイブにしてもジルにしても、女の子はなんでこんなに想像力がたくましいんだろうと感心する。
まだ小さく咳をしているベイブに、グラスに水をくんで渡した。
「ハプニングについて、いいアイデアが思いついたらまた教えてよ」
「あー、ニコったらひどい! 真剣に話してたのに!」
キっと睨みつける。
水を飲み干しグラスをゴンと置くと、ベイブは二階に駆け上がっていった。
***
キッチンから飛び出してきたベイブを、テオは横目で見ていた。彼女は、テオにイーッと歯を剥いてから階段を上がっていく。
一瞬、黒く長い髪がさらさらと揺れて、白く美しい脚が階段の上に消えてゆくのが見えた。
バタリと、本を閉じる。
「大丈夫。そんなに不安がらなくても」
ふっと笑みを浮かべて、胸のペンダントをチャリチャリと音を立てて握った。