30 黄金比
翌日は、朝から雨が降っていた。
また、死体が町の外れの路地で発見された。今度の犠牲者は三人だった。雨が哀れな彼らの血を洗い流し、大地がそれを吸い込んでゆく。陰鬱な光景だった。
シトシトと雨が降り続ける中、ジノスはその遺体発見現場に立っていた。昨日、黒竜王との対面の後、アインシルトにこの事件にもっと関わらせてくれと頼み込んだのだ。
今さら確認するまでもないが、彼らは皆喉を食いちぎられていた。一連の事件と同一犯のしわざであるのは明白だ。
女が一人、男が二人。彼らは無作為に選ばれた犠牲者だった。これまでの犠牲者たちと同様に、たまたま運悪く殺人犯と遭遇してしまったのだろう。彼ら犠牲者に共通するのは、インフィニード人であるいうことくらいなのだ。殺人犯は相手を選んで殺してはいない。いつ、誰が殺されてもおかしくないのだ。
一体魔女は何を企んでいるのか、ジノスは黙々と遺体を運ぶ警官たちを眺めながら、顎ひげをなでる。彼の頭には一つの考えがあった。一見派手に見える人形の呪いだがそれ自体が目的では無い、というものだ。あれは手段であって、本当の目的は別にあると。
二人の警官はずぶ濡れになりながら、遺体をシートに包み荷馬車に乗せるという作業を淡々と進めている。三体目の遺体を積み込んだ後、ふと一人の警官が考えた。一体これまでに何人の被害者がでたのだろうかと。もうとっくに数えるのをやめていたが、なんだか気になった。
「なあ、これで何人目だ?」
仲間の警官に尋ねた。
痩せこけた警官が、うつむいたままブツブツと数字をつぶやいた。
「……一:一.六一八〇三三九八八七四……」
「なんだよそりゃ?」
「黄金比さ……。一番最初とみられる犠牲者が出た日から数えて、一日目一人、二日目六人、三日目一人。続いて八人、次は〇人、そして三人、三人……。行方不明者は、姿を消したその日に死んだと仮定して数えている」
「はあ?」
二人の会話を聞いていたジノスがにんまりと笑う。
黄金比。
これに自分以外にも気づいた者がいたことが、興味深いようだ。痩せた警官をじっとりと見つめた。その警官の神経質そうな顔は青白かった。血の気のない唇がブルブル震えている。眼だけがいやに熱っぽくギラギラしていた。
気付く必要のないことに気付いてしまい精神が疲弊しているようだと、観察からジノスはそう推測する。それに彼は魔力を全く持っていない。
警戒する必要はなさそうだ、と判断し声をかけた。
「よく気が付いたな。その通りなんだ」
「…………」
「何か、意味があるのですか?」
最初に質問をした警官が、問いかけた。
ジノスは応える。
「五芒星の魔法陣の話は聞いただろう? ……五芒星は互いに交差する、長さの等しい五本の線分から構成される。その線分は、交差点で互いを黄金比に分ける。数多くの黄金比で構成された、美しく安定した図形……。この黄金比と日毎の死者数は一致。奇妙なリンクだとは思わないか?」
「……なんだかよく解りませんが、単なる偶然じゃないのですか?」
警官は首をひねっている。魔女の仕掛けた呪いの人形が、五つの地点に配置されていて、その地点をつなぐと五芒星があらわれるという話は聞いていた。
しかし、図形の中に潜んでいる黄金比との関連を語られても、彼にはちんぷんかんぷんだった。
「これが偶然? 一致が四〇桁を超えているのに?」
痩せた警官がポツリと呟く。
真っ青な顔にべったりと冷や汗をかき、警官は引きつった笑いを浮かべた。
「僕の考えが正しければ、今日はあと四人死者が出る。そして明日は九人、もしくは九八人、はたまた九八〇人か……。いや違う、今日七九人の死者が出るかもしれない」
「そうだ。よく分かっているじゃないか。二日前のゴーガシャーでは、三〇九人が一斉に消えたんだ。これまでのように、一日一桁とは限らない……」
痩せた警官の言葉を継いでジノスがそう言うと、もう一人の警官はゴクリとつばを飲み込んだ。
荒唐無稽な話だが、魔法騎士団を取り仕切る人物の言葉は、真実味を帯びて聞こえる。
「……そんな数字に、本当に意味があるのですか?」
「さあな、まだ分からない」
ジノスに魔女の本当の狙いなど、分かるはずもなかった。しかし、何か恐ろしい予感がするのだけは確かなのだった。
痩せた警官は、かなり精神的に参っているようだ。足元をフラつかせ、仲間の警官に支えられていた。
「お、恐ろしくてたまらないんだ。犠牲者を現す後項に対する、前項『一』とは何なのか……。これほどの代償を必要とする『一』……。まるで、悪魔の様な数字だ」
「そうさ、その悪魔が何なのか、それが大きな問題なんだ。……そしてこの話は、この場で忘れろ」
「…………」
ジノスは指をパチンと鳴らした。
一瞬、二人の警官は棒立ちになり、すぐに我に返ると何事もなかったかのように馬車に乗り込んでいった。青ざめていた痩せた警官の顔色が、心なしか良くなったようだった。
この男が気付いたくらいだ、わざわざ自分がアインシルトに報告せずとも、あの老師であればすでに了解しているだろうとジノスは思う。解析は任せておけば良い。ならば、自分のすべき事は一つ。決戦の時に備えるのだ。
ジノスが乗り込むと、馬車は雨の中を去っていった。
***
陰気な空から、雨はまだ降り続いていた。
しかし、このどんよりした空気は外からやってくるだけでなく、リビングのど真ん中にも発生源がいた。
テオだ。
椅子の上で足を抱えて、深く項垂れている。ガタイのいい人間が縮こまってみせても、わざとらしく目障りで鬱陶しいだけだった。
「ベイブ……君はオレを見捨てるつもりなんだろう。慰めに来てくれると思っていたのに」
テオがずっと部屋に閉じこもって出てこないので、ベイブはニコの部屋でキャットをベッドにして眠ったのだ。気を使ったのに、どうもそれが気に入らなかったようだ。
ニコは笑っていいものか、少し悩んだ。
先ほどテオが亡霊のようにふらふらと下りてきた時は、なんと声をかけていいのか分らず、椅子を勧めることしか出来なかった。
しかし、このあからさまに慰めを要求する態度からすると、さほど落ち込んでいる訳ではなさそうだ。
「ああ、どうせオレなんてこの雨と一緒に塵のように流されて、消えてしまったって誰も気にとめやしないんだ……。ベイブ、まさか君がオレを捨てて、ニコと共寝するなんて……」
「してませんから!」
何を言い出すんだと、ニコは大声を上げる。
ベイブはせせら笑った。新聞を丸めてテオの頭をバシンと叩く。
「何、訳の分からないこと言っていじけてんのよ。バカ。あんたが一人にしてくれって言ったんじゃない」
「それでも、察して慰めに来てくれてもいいじゃないか」
「もう、勝手なんだから」
ベイブがもう一発お見舞いすると、テオが顔を上げた。なんと目が涙で潤んでいる。
ニコは、ギョッとした。
「……マ、マジで泣いてたんですか」
「ほら、誰もオレを解ってくれない」
「解るわけ無いでしょ。変人の考えることなんて。それ以上、下らないこと言ったら本気で張り倒すわよ! このおたんこなす! 昨日、あたしたちがどんだけ心配したと思ってんの!」
「おたんこなす!? 今どき、よくもそんなチープな死語が出てくるもんだ!」
そこを突っ込みますか、変人呼ばわりはスルーして……、とニコは苦笑する。
そして、テオがいつもの調子を取り戻したと感じてホッとした。
ニコが朝食の用意をしにキッチンへ向かうと、二人がいつものように、やいのやいのと言い合いをはじめたのが聞こえた。
「良かった……」
ニコは、温かいコーヒーに砂糖を少し多めに入れた。