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黒のドラゴンとブロンズ通りの魔法使い  作者: 外宮あくと
第一部 復讐の天使 死の呪い
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28 左目の記憶

 テオは膝を抱えて顔を埋めたまま、石像のように固まりピクリとも動かなかった。呼吸すらしていないように見える。

 部屋の中はしんと静まり返り、通りをゆく通行人の話し声や荷馬車が石畳を走ってゆく音が、いつも以上に大きく響いていた。


 しかし、テオの耳には別のものが聞こえていた。実際には発せられていない声。過去の記憶の中の声だった。





 揺れている。

 壁が右に左に揺れ動き、一瞬も止まらない。

 ぐるりと天井が回った。天と地がひっくり返る。

 何もない空間に放り出されたような気がした。

 なんだこれは? 建物が揺れているのか。


「どうしましたか?」


 黒いローブの男が呼びかけてきた。

 ああ、揺れているのは自分だ。自分の目が回っていたのだ。

 頭と、背中がズキズキと痛んだ。

 そうだった、壁に思い切り打ち付けられたのだった。

 床に手をつき、よろよろと立ち上がる。

 甲冑が擦れて、ガシャガシャと音をたてた。


「この先は北の尖塔ですよ。王后陛下のお許し無く、立ち入ることは禁じられています……」


 男が下からにらみ上げている。

 それがなんだ。オレはそこに用があるんだ。いや、あった。

 左顔面がズキリと痛む。頭がくらくらとする。

 まともに立っていられない。


「……左目を、どうかされましたか?」


 ああ、そうだ。左目だ。左目を……。

 男がニタリと笑っている。嫌な顔だ。

 その目が脈動している。

 瞳孔が拡張と収縮を繰り返し、白眼が茶色く濁っていた。

 魔に憑かれた目だ。


 この男は最早、人とは呼べぬものに変えられているのだ。

 ローブの男はいやらしい笑みをたたえて槍を構えた。

 変わり果てた姿だが見覚えがある。大臣の一人だったはずだ。

 国王一家の生活全般を取り仕切っていたのではなかったか。

 そっと腰に手をやり、剣を探った。


「えぐれていますねぇ……」


 その言葉に、細く白い指を思い出す。

 美しい指が頬に触れた。

 それだけで動けなくなった。

 その指は容赦なく、まぶたの奥に突き刺さった。


「痛いですかぁ……?」


 ふざけるな。

 気味の悪いその目を閉じろ!

 剣を構えた。だが、体が斜めにかしいでいる。

 ヒッヒッヒ、と男が嗤う。


 しかし、突然その笑いは止まった。


「……こ、殺してくれ……」


 男の目の脈動が止まていた。


「わ、私が……、私でいられるうちに……」


 ぶるぶると槍を握る腕が震えている。まだ、元の意識が残っていたのか。

 男と向かい合う。澄んだ瞳が必死に願っている。

 ああ、お前はオレに殺せというのか。

 魔となって生きるよりも、人として死にたいと。


 苦しい。息ができない。

 腰を落とし、剣を構えなおす。

 苦しい。吐き気がこみ上げる。

 ゆっくりと振り上げる。

 苦しい。オレはお前を……。


「はあああぁぁぁ!!!!!」


 全力で剣を振り下ろした。

 男の黒いローブに真っ赤な線が斜めに走り、ザクリと裂けた肉が見えた。

 彼はドスンと膝をついた。

 ドクドクと溢れだした血が床を染る。

 広がってゆく血溜まりの中に、彼はうつ伏せに倒れこむ。

 そして動かなくなった。

 剣を握り直すと、ゾクゾクと武者震いがおこった。


「……アンゲリキ……」


 呟くと、またもゾクリと冷たいものが背骨を駆け上ってきた。


「アンゲリキーーーー!!」


 ぷちんと何かが弾けた。





「何を繊細ぶってるんですかねぇ」


 煙のようにフワフワと伸び縮みしながら、半透明のデュークが揺らめいている。ひょろひょろの体がますます細長く見える。チェストの上に置かれていた手鏡から、勝手に出てきたようだ。


「キヒヒ……」


 いやらしい笑い声を上げた。

 次第に精霊の姿がハッキリとした形を取り、床に足を着けた。

 テオは椅子に腰掛け、前かがみにうなだれている。かなりの時間を要したが、いくらか持ちなおした。だが、まだ平常のように振る舞う気力は無いようだった。


 デュークはその周りをコツコツと音を立ててゆっくりと回った。上品なスーツを着こなし、いつもあごをつまむような気取った仕草をする。

 自分を見ようともしない主人に、嘲るように彼は語り続ける。


「忘れられないんでしょう? ああ、あの夜は実に素晴らしかった! ゾクゾクしましたよ。狂おしい激情、身を焼きつくすような憎悪、怨念、殺意、哀哭……美しい光景でした。たまらなく興奮したんでしょう? 下劣な悦びを感じたんでしょう? アレを忘れられるはずがない」


 ふわりと浮かび上がり、テオの頭上から逆さになって彼をのぞきこんだ。


「……だまれ、クソッタレ……」

「クソッタレはお互い様。悔いたフリなんて辞めることですね。堕ちてしまえばいいんです。ヒヒヒ」


 テオの手がサッと伸び、デュークの首を掴んだ。

 空気がぴんと張り詰める。室温が一気に二、三度下がったような気さえした。


「殺すぞ」


 精霊の背がゾクゾクと震えた。それは恐怖ではなかった。

 彼の主人は、爪が白くなるほど指をめり込ませギリギリと締め上げた。そして、ドカンと彼を床に叩きつけた。


「おお! それでこそ我が主。その顔、魔王の顔だ。私は好きですよ。……滅しますか? 私を」


 デュークは紫の瞳を大きく見開き、顔を歪めて嗤った。

 ちぎれる程に締められても、からかうことを止めなかった。

 テオはギリリと歯噛みする。


「……まだだ」





 夕刻、金髪の美しい女が郊外の丘陵地帯を歩いていた。

 ビオラだ。


 町の喧騒を離れたこの場所で、ビオラは最後の人形を焼き払ったのだ。アインシルトに指示された通りの地点に、その人形はあった。念のため郊外にでて呪いの人形を無事に処分し、彼女はホッとしていた。


 ビオラとジノスがそれぞれ処分した二体の人形は、人の多く集まる場所に仕掛けてあり、もしも呪いが発動していたら、とんでもない大惨事となっていただろう。

 五つの人形が仕掛けられた五つの地点を線で結ぶと、インフィニード王国の大地に巨大な星の形が浮かび上がる。


 中心に位置するのは、国王の住まう王宮だった。


「アンゲリキの魔法陣……王を消滅させようと狙っていた?」


 ビオラはつぶやいた。

 ひとまず、魔女の企みは退けることができただろう。魔法陣が完成する前に、それを阻止したのだから。しかし、これで本当に呪いを破ったのだろうか。ビオラは不安だった。


「アインシルト様は警戒を解いていらっしゃらないし、王宮を守る結界の要が、まだ揃っていないと嘆いていらした……。テオは協力してくれるのかしら」


 空を仰いだ。

 深い藍色が、西に向かって燃えるような赤に変わっていく。

 真っ赤な太陽が沈んでいくところだった。まるで血が滴っているようだと、ビオラは思った。


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