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黒のドラゴンとブロンズ通りの魔法使い  作者: 外宮あくと
第一部 復讐の天使 死の呪い
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27 流血事変

 窓が一つもない部屋だった。

 薄暗いその部屋の中に、明かりは一対の燭台のみ。そのロウソクの灯がチラチラと揺れていた。壁に映った黒い人影も、かすかに揺らめいている。


「アレに気づかれるのは計算のうち。……そう、もうチェックメイトよ」


 静かに笑う声が部屋に響く。

 細い指をした少女の手が、傍らの黒い獣の頭をなでた。


「さあ、行っておいで。獲物を狩るといい。生贄は多ければ多いほどいいの」


 グルグルと喉の奥で獣が鳴く。のっそりと立ち上がり獣は闇の中に消えていった。少女はそれを満足そうに見送り、そしてロウソクの灯をじっと見つめる。


 炎がブルブルと震え、いきなりボッと四、五十センチ程も燃え上がった。一瞬ごとに形を変える炎の中に、目鼻があるように見えた。

 初めは大きく揺れ動いていた炎が安定して燃え出すと、はっきりと人の顔をしていることが解った。


 ちろりと唇を舐めて、魔女アンゲリキは笑った。

 自分とそっくり同じ顔が、揺れる炎の中で微笑み返してくると愛おしそうに寄り添った。

 火焔が荒々しく逆立つ髪のように見える。炎の顔が口を開くと、男の声がこぼれ出す。


「……姉上は、変わらずに美しいなあ……。ようやく解放されたのはいいが、このままではな……。早く体を得て、あなたのそばに行きたいものだ」

「ええ。私もその日が待ち遠しい」


 アンゲリキはうっとりと炎を見つめる。


「ならば!」


 ゴウっと、天井を焼くほどの火柱が上り怒声が上がった。

 ヒッと小さな悲鳴を上げて魔女は後ずさる。


「何をグズグズしている!」

「……焦らないで。あと、もう少しよ」


 ゴクリと唾を飲んだ。

 炎がバチバチと火の粉を飛ばしながら、彼女を見下ろしている。


「黒竜王か……あれが手に入ればな」

「そうね」

「我を封じたインフィニード王の末裔なのだろう? 丁度よいわ」

「ええ、器にはぴったり。でも、捕らえるにはいくら私達でも策が必要……。あの時の王よりも強い魔力を持っているわ」


 綿密にねられたその策は、最終段階に来ている。

 アンゲリキは笑みを見せた。

 そう、すでに詰んでいる。誰も逃げられはしないのだ。私達は復讐をとげ、なお強い力を手に入れる。その思いは確信だった。

 炎は静かな揺らめきを取り戻し、口の端に笑みを乗せた。


「その魔力故に、うとんじられたか」

「生まれは違えど、ある意味、私達の境遇とも似ているわね」

「同情しているのか? お前は、国王一家に近づきすぎたからな」

「まさか! 俗信に振り回されている王宮の者共が、愚かだと言いたいだけよ」


 ムキになる魔女を、炎はあざ笑った。

 彼は、王宮に入り込んでおきながら目的を果たせなかったアンゲリキを手緩いと感じていた。あと少しの非情さが足りぬのでは、と危惧してもいる。


「あの時、宝玉を手に入れられていたら、展開も変わっただろうになあ」


 声に咎めるような響きがある。


「……ええ。でも、あの王宮の地下は迷路。まるで意志があるように道を阻む」

「王家の血筋の者しか立ち入れないように?」

「ええ」


 アンゲリキは伏し目がちに答える。彼の怒りに触れるのを、恐れているようだった。

 炎は低くつぶやいた。


「それでも……。奪ってやりたい」





 ニコは血だらけのジーパンを洗いながら、だんだん気分が悪くなってきた。怪我を隠していたテオの気がしれなくて、腹が立ってきたのだ。

 しかもアインシルトは一瞬で見抜いたのに、ずっと側にいた自分はまったく気付かなかったなんて、情けなくなる。


 どうして言わなかったのか問い詰めても答えない。怪我なんて自然に治るものだから放っておいて構わないと、彼の持論を掲げただけだった。

 が、ニコにはおよその見当はついた。恐らく自戒のためだろう。

 呪い発動を止められず、みなを危険に晒してしまったと、そう思っているに違いない。だから報酬も受けなかった。


 しかし、彼の思いを想像することはできても、理解はしたくない。

 ニコは不満だった。テオでなければ、あの人形から逃れることはできなかったと信じている。

 ベルマン一家と自分たちを守ったのは、紛れもなくテオだと。一家も感謝していたではないか。もっと胸を張っていればいいと思う。

 普段は下らないことで威張っているくせに、妙に自分に厳しくもある。

 ギッと歯を食いしばって、ギュウギュウと乱暴にジーパンを絞った。


 二階のテオの部屋で、二人が騒いでいるのが聞こえてきた。


「まったく、何やってんだか」


 水を吸って重くなったジーパンを竿にかけると、殴るようにバンバンと叩いた。






「じっとしてなさいよ!」

「がー! お前! 痛てえんだよ! 鬼! 悪魔!」

「痛くないって言ったのは、どこの誰よ!」


 しばらく放っておいた為に、傷に下着の一部が張り付いて中々取れないのだ。

 テオはベッドにうつ伏せになっていた。キャットが暴れるその背中にドスンと座って、重しになった。


「ありがとう。そのまま動かないようにしておいて」

「やっぱり悪魔だ……」

「これが張り付いたままで癒しの魔法をかけたら、一生お尻に布切れぶら下げる事になるかもよ。いいの?」


 ハサミで、ジャキジャキと下着を切り裂いている。


「そんなにオレの尻が見たいのかよ」

「黙ってなさい」


 ピシャリと言う。そしてヒィッと小さくうめいた。


「うわあぁ……プチ・スプラッタ? なんか微妙にえぐれてるわよ。お尻のお肉がうっすらスライスされて……」

「解説しなくていい!」


 テオは耳をふさいだ。

 血染めのジーパンを見た時は吐きそうになった。あんなに、出血しているとは思っていなかったのだ。

 ベイブはエイっとばかりに、一気に最後の布を引きはがした。


「!!!!」


 声なき絶叫だった。

 ぴくぴくと痙攣している。


「ごめん! また出血しちゃった……」


 ベイブは急いで癒しの魔法を開始する。

 彼女の手から、淡い桜色の光が傷に向かってゆらゆらと降り注いだ。


「覚えとけよ……」


 テオが弱々しくチンケな呪詛を吐く。

 ベイブは済まなそうに縮こまりながら、柔らかな癒しの光を与えた。

 傷は徐々に癒えていったが、テオの顔色は悪い。


「ご、ごめんね。血はもう止まったから。あ、でもベッドが血まみれ……」

「血、血って言うなって。目が回る……」


 テオが頭を抱えると、キャットはようやくテオの背中から降りた。そして彼を覗きこむ。猫のくせに、なんだか人間が笑っているような顔つきだ。


「悪かったわよ。でもやけに血に弱いのね」


 すると、キャットが血まみれの下着を、わざとらしくポイとテオの鼻先に放った。


 ドクン……。


 テオの息が止まった。

 一瞬で体が硬直し、顔が青ざめた。血の匂いが、するすると鼻腔に広がり脳髄を刺激する。ザワザワと戦慄せんりつが背骨を駆け登る。目の前が真っ赤に染まった気がした。

 うっと、テオが真っ青な顔を枕に沈めた。


 突然ベッドがガタガタと震えだした。本棚やチェストも揺れ始め、水差しは空中に浮き、本が開き鳥のように飛び始めた。


「な、なに。ポルターガイスト?」


 すうっと部屋が薄暗くなり、隅の方からシミのような黒い影が何体もゆらゆらと立ち昇った。ガタンゴトンと家具はますます激しく揺れ動く。


 うおおぉぉ、ふおおぉぉ、と恨みがましい唸りが聞こえてくる。


 黒い人影はどんどんと数を増やし、部屋の中を徘徊し始めたのだ。いくつもの影が、ベイブを取り囲んでいた。彼女は恐怖に引きつったが、テオへの魔法は止めなかった。

 むっと生臭い血の匂いが部屋に充満した。


 ヒャハッハッハッハッ!!


 途端に、大音量で気違いじみた男の笑い声が響いた。

 ガチャガチャと金属の擦れる音に続き、ギン! と剣が組み合わされる音が耳に突き刺さる。


 白線がひらめく度に絶叫が響き、影が血飛沫を上げた。

 聞くに耐えない断末魔の叫び。影は身悶えし床を転がり消えていった。


 ギヒャアァァ……


 ベイブは思わず耳をふさいだ。

 次々に影が切り倒されてゆく。


 ハーッハッハッハ!!!


 喜悦に酔う笑い声。姿なきその声の主が、影を抹殺しているのだ。

 ベイブはブルブルと震えていた。

 ゴウっと強い風が吹き、一瞬、巨大な鉤爪の影が駆け抜けるのを見たような気がした。


「どうしたんです!」


 ドアが勢い良く開き、ニコが現れた。

 すると突然闇は去り、ピタリと振動も止まって部屋は元に戻った。

 毛を逆立てていたキャットは、ニコを見た途端一目散に外へ逃げ出した。

 ベイブは呆然と、ニコを見つめた。


「わかんない……」


 テオはいつの間にかシーツを体に巻きつけて、ベッドの端で縮こまっていた。

 顔は紙のように真っ白だった。眼はギラギラとニコとベイブをにらみ、唇はブルブルと震えている。自分で自分を抱きしめる手も、震いおののいていた。

 ニコはつばを飲み込んだ。


「テオさん……どうしたんですか……」

「…………」


 ベイブが近寄ろうとすると、バッと手の平を向けて制止する。

 全身で拒絶していた。


「……見たのか?」


 うつむくテオの唇から、苦しそうな声がこぼれる。

 絶望的な響きだった。


「え? あの影みたいなお化けのこと?」

「…………」

「変な黒い影が……叫び声を上げて倒れていったわ。あと、笑い声も聞えた……」

「……それから?」

「よく分からないわ……怖かった」


 ベイブは、おずおずと答えた。

 こんなテオは見たことがない。

 怒りに震えているのか、それとも恐怖なのか分からない。でも、何か激しい感情が彼の中にあふれている。

 さっきのポルターガイストは、テオが引き起こしたのだと、ベイブは直感した。


「一人にしてくれ」


 ベイブとニコは黙って従った。





 二人が部屋を出て階段を降りてゆく音が聞こえてくると、テオは頭を膝の間に挟むようにして体を丸めた。


「ああ……」





 二人は深刻に押し黙っていた。ニコとベイブはテーブルに向い合って座り、何も言葉を発しない。ベイブは不安だった。最後に見えた巨大な影は、ドラゴンだった気がする。


 ドラゴンにまつわる惨劇と言えば、あれしかない。

 六年前にこの国で起きた事変が、テオに何かトラウマを残しているのかもしれない。ベイブは王宮内での血なまぐさい戦闘を想像する。


 王の為に働く近衛兵。前王が弑逆しいぎゃくされた時、彼らの立場はどう変化したのだろう。

 噂では、ディオニスは叛意はんいを示した直後には、近衛隊を完全に掌握していたようだ。だからこそ、クーデターは成功したのだろう。

 彼らは、最初から謀反むほんに加担していたのか。それとも強引に従わされたのか。

 近衛兵だというテオは、どんな役回りを背負わされていたのか。


 無残に斬り殺される黒い影。あれは、王宮内で殺された魔法使いや廷臣たちに違いない。

 血塗られた現場にテオもいたのだ。それ故に、あの幻が現れ彼を悩ませるのだ。

 そして、今はどんな命令を受けているのか。彼が話さない限り、知るよしもない。


 陰鬱な空気が部屋に漂う。

 ベイブからポルターガイストの話を聞いたニコもまた、同じ事を考えていた。

 二人は、しんと黙り込んだままだった。


 ベイブは大きく溜息をついた。さっきのようなテオを二度と見たくない。体の傷のように心も癒せたらいいのにと、ベイブは思った。


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