22 謎の消失事件
アインシルトとビオラは、青ざめた警官に案内されて古い農家の中に入った。
そこは首都アソーギの西端に位置するのどかな農村で、広い畑の中に点在する家の一つだった。
アインシルトは部屋の中を観察した。
人気の無い部屋だった。そして、荒らされたり争ったりしたような形跡は無い。壁には子どもが描いた絵が貼ってあり、出窓の一輪挿しには花が生けてあった。玄関脇には家の主人のものであろう帽子と作業着が架けてある。今は誰もいないが、確かにここで誰かが生活を営んでいたのだ。至って普通の家族の、普通の部屋だと思われた。
この部屋には一つだけ奇妙な点があった。住人の衣服が通常ありえない形で、椅子の上にあるのだ。
住人たちは食事中だったのか、テーブルの上には食べかけの食器がいくつも並んでいた。そのテーブルを囲む椅子に、衣服がだらりとぶら下がっている。
それがなんとも奇妙なのだ。
椅子の足元に靴がある。その靴の中から靴下が出ている。ズボンが椅子に座り、その上にシャツがバサリと乗っかている。別の椅子には、子どものものと思われる衣服のかたまりが二つあった。
キッチンへ行くと、そこにも衣服が落ちている。
丸く広がったスカートの上に、ベストに袖をとおしたブラウスがグシャリと乗っているのだ。
四つの服のかたまりは、靴から下着まで全て揃っていた。
「中身の人間だけが、突然消えてしまったって感じですね」
ビオラが深刻な顔で言った。
「悪意のこもった魔法の匂いがします」
「まったくじゃの」
ここへ来る道すがら警官から聞いた話によると、ここは四人家族の農夫の家で、昨日からこの家の住人を誰一人見かけないことを不審に思った隣人が、今朝たずねたところ一家が姿を消していたのだと言う。
裏の鶏小屋も牛小屋も、もぬけのからになっているという。
「へえ、怖いねえ。人間だけじゃなく生き物全て消滅したってことか」
ビオラの頭の上でいきなり声がした。驚いて振り仰ぐとテオの顔があった。
何喰わぬ顔で、ビオラの肩に腕をまわして立っている。
彼女がバッと飛び退きにらみつけても、テオはにこやかさを失わない。
「いやあ、また会ったね」
「来おったか……」
アインシルトは、やっぱりかと呆れてテオを杖で小突いた。
「お前が首を突っ込むことではないわい! じっとしておれと言ったじゃろうが」
「どうせすぐに耳に入るさ。関係ないなんてツレないこと言うなよ」
テオはすたすたとテーブルに近づき、この家の主人のものと思われる服に手を伸ばした。
するとアインシルトの杖がグンっと伸び、テオの腕を叩いた。
「触るな! じゃから、お前は不用意過ぎると言うとるじゃろう。解からんか! 下がれ! まだ何か呪いが残っとるかもしれんじゃろうが!」
テオがしかめっ面で腕をさすっていると、アインシルトの大声を聞きつけた、警官たちが中に入ってきた。
どこから湧いたのか、さっきまでいなかったはずの男にギョッとした警官が、ムキになってテオの肩を掴む。
「何者だ! 貴様!」
三人の警官に一斉に拳銃を向けられ、テオは慌てて両手を上げた。
目で助けを求める。
「あ、怪しいものじゃないって! オレはアインシルトの弟子だ」
「わしゃ知らんの。このようなヤツ、地下牢にでも閉じ込めておけば良いのじゃ」
「おいおいおいおい。そゃりゃないよ、お師匠様」
「何がお師匠様じゃ。言うことも聞かず、わしをないがろにしとるくせに。王宮に戻る気が無いなら、さっさと行ってしまえ。警部殿、コヤツをつまみ出して追い払ってくれんかの。目障りじゃ」
警部はその通りにした。放り出されてテオは舌打ちをする。
家の周りには、多くの野次馬が集まっていた。皆近くの農民だ。このあたりは、今まで事件らしい事件は一度も起きたことが無かった。この突然の異常事態に、人々は困惑の色を隠せないでいる。
ざわざわとささやき合いながら、農夫の家を取り囲んでいた。
「ああ可哀想になあ、一家皆殺しだってよ」
「殺されたって言うより、煙のように消えちまったって聞いたぜ」
「なんにしても気の毒に」
「人に恨まれるような奴じゃなかったのになあ」
「一体、誰の仕業? 怖いねぇ……」
「やっぱり例の……」
「ああ、例の……」
テオは野次馬の中をかき分けるようにして、農夫の家をあとにした。
紫水晶は焼け石のように熱を帯び、ギラリと輝いていた。
頬を歪めて、左目を押さえた。
テオが自分の家に帰ってくると、そこももぬけの殻だった。
静まり返ったリビングには誰もいない。ニコの上着がバサリと床に落ちている。
一瞬にしてテオの顔がこわばり、あわててニコの部屋のドアを開ける。
いない。
「ニコ! ベイブ!」
二階に駆け上がるも、誰もいない。キャットの姿さえ見えなかった。
ひとっ飛びに階段を降り外に飛び出しかけた時、テーブルの上に紙が置いてあるのに気が付いた。
その紙をつかみとる。
――――
買い物に行ってきます。
ベイブがもっとおしゃれな服が欲しいとせがむので ニコ
あんたのセンスに任せてたら、とても着れたもんじゃないわ ベイブ
――――
テオは、へなへなと椅子にへたり込んだ。
「なんだよ……」
力の抜けた指から、手紙がひらひらと逃げていった。
テオの唇から小さく笑いがこぼれた。
「参ったな……」
腕をだらりと下げて天井を見上げた。
あの農夫の家でみた光景が浮かんだ。もしも、アレがニコの服だったら、ベイブだったら……。考えかけて、テオは頭を振った。
「意外と、小心なんですね」
ポケットの中から、ディークの声がした。
「守りたいものが出来るってことは、弱みを持つってことですからね。ご用心、ご用心」
「黙れよ」
テオは目をつむった。
静かな部屋の中に玄関をノックする音が響いた。
ぼうっと椅子に座っていたテオは、ハッと我に返り立ち上がった。
ドアを開けると憔悴したレオニードが立っていた。いつもは快活に笑う男が見る影も無い。彼の肩に座ったピクシーのレダも元気がなかった。しょんぼりとテオを見て首を左右に降る。
「……入れよ」
「いや、いい。礼を言いに来ただけなんだ」
レオニードは力なく笑った。
「さっき確認してきた。弟に間違いなかったよ」
「……悪かった。力になれなくて」
「いや、見つけてくれて感謝している。あんな森の奥じゃ、誰にも見つけてもらえずに、野ざらしになっても仕方ないところだったしな。ありがとよ、テオ。じゃ、また」
レオニードは軽く手を振ると、背を向けて歩きだした。
その後ろ姿にテオは声をかけた。
「レオニード、今度ゆっくりお前の弟の話、聞かせてくれよ」
小さく頷き去っていく背中を、テオは見つめ続けた。
レオニードの弟は、廃屋の死体と同じ死に方をしていた。喉を大きく噛みちぎられていた。
テオは奥歯を噛み締めた。
大きく日が西に傾いた頃、息せき切ってニコとベイブが帰ってきた。ニコは転げるように駆けこむなり、叫んだ。
「テオさん! 大変です! ゴーガシャーで、人が、人が消えたらしいんです!」
テオは、部屋の奥で大きく新聞を広げて読んでいた。ニコ達からは偉そうに組んだ足しか見えない。
ニコの背中のおんぶ紐からベイブが飛び出した。赤ん坊のふりをして出かけていたようだ。トコトコとテオに近づいてゆく。
ニコは興奮して話を続ける。
「目撃者がいて、一瞬にして服だけ残して消えちゃったらしいんです。何百人もの人が一斉に!」
「……いつの話だ」
「今朝のことらしいです」
「ふーん」
ベイブが、ひょいとテーブルに飛び乗る。
テオは全く見向きもせずに新聞を広げたままだ。ベイブが新聞を取り上げると、彼は不機嫌な顔でベイブをにらんだ。
「ちょっと、聞いてるの?」
「聞いている。お前たち、もう勝手に出歩くなよ。何かと物騒だ」
ゴーガシャーはアソーギの東隣に位置する都市だった。あの農夫の家から遠く離れた場所で、どうやら同じ事が起こったようだ。しかも何百人も一斉に消失したとなると、相当な騒ぎになっていることだろう。
今頃、アインシルト達はゴーガシャーに急行しているに違いない。
テオはむっつりと黙り込んだ。
「あの……アンゲリキでしょうか」
おずおずとニコが聞いた。
朝よりも輪をかけて機嫌が悪いことに驚いていた。こんなテオはあまり見たことがない。機嫌を直したはずなのにどうしたのかと気になる。
「さあな」
やはり、テオはつっけんどんに答える。
「……テオさん、王宮の警護には本当に行かないんですか? アインシルト様が言ってたじゃないですか。魔法使いたちがミリアルドに行ってるから、警備が心配だって……。本当は王様を守る仕事をしなきゃいけないんでしょう?」
アインシルトは、テオにはやるべき仕事があると言っていた。
その仕事をさせるために、呼び出したのだし。
「王宮はアインシルト一人いれば充分なんだ。ヤツが結界を張っている。警備なんか必要ないさ。大体なんで国王なんか守らなきゃならない?」
吐き捨てるようにテオは言った。
ニコは慌てて、人差し指を唇に当てた。
「シーっ! テオさん……なんてことを! 王様の耳に入ったら大変ですよ。密偵に聞かれでもしたら……」
「……だから、オレがその密偵だっていってるのに」
「ねえそれ、本当の話なの?」
鼻で笑うテオを胡散臭げに眺めて、ベイブは言う。
彼女は全く信じていないようだ。
「だったら、国王のこと知ってるのよね?」
「……まあね」
「どんな人なの」
挑むような口調でたずねたベイブを、テオはじっと見つめた。
彼女がいたたまれなくなって目を逸らしてしまうまで、にらむわけでもなくただ見つめた。そして言った。静かだが冷たい声だった。
「ディオニスは父親殺しの非道な男さ。腕ずくで王位を奪い、ドラゴンの力で町を焼き払って恐怖政治で国民をねじ伏せる、そういう男だ」
「テ、テオさん!」
何を言い出すのかとニコは焦った。呼び捨てにしたうえに、なじるなんて……。
ニコは王が即位した当時の粛清の嵐を思い出していた。何十人もの力のある廷臣が処刑され、貴族も市民も大勢逮捕されたのだ。裁判の記録はない。国王を非難すれば何人であろうとも、即、首を斬られるという噂が蔓延していた。
実際には釈放された者も多くいたようだが、アソーギの町に戻されることはなかったので、噂は鎮まることはなかった。
「で、なんであんたはその王様の密偵なんかやってんのよ。信じてるわけじゃないけど」
「それは言えないな」
冷淡に言い放つと席を立った。背中がもう話しかけるなと言っている。テオはバスルームに入っていった。
今の会話を隣の住人に聞かれてやしないかと、ニコは気が気でなかった。