19 王宮付き魔法使い
リッケンを先頭に王宮内の長い廊下を一行は歩いていた。
豪華な数々の調度品の合間に衛兵たちがずらりと並んで、直立不動で敬礼している。
この廊下はどこまで続いているんだろう、とニコが前方をのぞくと、クレイブの姿が見えた。
彼はさっと壁際に寄りリッケンに頭を下げた。そしてテオに気づくと、あからさまにイヤな顔をした。まるで汚いモノでも見るようだ。
目ざとくテオがそれに気付く。
「やあ、クレイブ。この間のスコーンは美味かったよ」
ニコニコとわざとらしく愛嬌を振りまき、通り過ぎざまにそっと指を弾いた。何か小さなものがクレイブ目がけて飛んでいく。
そして素知らぬ顔でリッケンの後に付いていった。放たれたソレがクレイブの顔に張り付いた。
クモだった。
「おわ!」
クレイブは間抜けな声を上げて、ドスンと尻を着いた。
クモを振り払った彼の顔は、眉は逆ハの字で口はへの字だ。怒鳴りたいのを必死でこらえているのだろう。
ニコはそれを横目で見て、笑いを噛み殺しながらテオに続いた。この前の一件の仕返しという訳だなと、肩をすくめる。
「…………」
リッケンが肩越しにうんざりだという様に溜息をついた。テオの稚拙な行動は時と場所を選ばないということを、彼も知っているようだった。
そのまま一行は歩み続け、一番奥の扉の前にたどり着くと中に通された。その先にはまた細い廊下が続いていたが、先ほどと違って衛兵はいない。いくつかの扉を通り過ぎ、大きな扉の前で止まった。
その重そうな扉の左右に控えていた二人の小姓が静かに扉を開けた。
中から木々の香りが漂ってきた。一歩踏み込むとそこは森だった。
ギョッとしてニコが後ろを振り返ると、扉はもうどこにもなかった。天井もなく、青い空が見えている。王宮の中にいるはずなのになぜ森が……?
木々の間を少し進みリッケンが声を上げた。
「アインシルト殿、連れて来ましたぞ」
ニコの心臓がドクンと鳴った。
自分達はもうアインシルトの魔法の空間の中にいるのだと気づき、ゾクゾクするような感動を覚えた。
前方にそびえる楠の巨木の影から、杖をついた老人が姿を現した。
「これはリッケン閣下、ご足労でしたのお」
地面につくほどの長く白い髭を生やした小柄な老人だった。
足音を一切立てずに、その老人が近づいてきた。テオを見上げて目を細める。
「顔を合わせて話すのは何年ぶりかの? テオドール」
「さあ、忘れたね」
そっぽを向いて答える。
「小言を言われると解っていて、足繁く通うヤツはいない」
「情けないことを言いおって……なんじゃ、その耳飾りは。ろくでもないのお」
老人は、片耳の紫水晶のイヤリングに眉をしかめた。
さらに歩み寄ると、ニコとその腕の中のベイブをじっと見つめる。杖でテオの肩を小突いた。
「さて、その者どもを連れてきたのはどういう了見かの」
アインシルトの視線を受けると、ニコは腹が痛くなってきた。早くテオになんとかして欲しいと、心から願った。強引に連れてきたのは彼なのだから。
だが、質問に答えたのはテオではなく、リッケンだった。
「シェーキー曹長の赤ん坊とその子守だそうです」
「……なんじゃ、その妙な言い訳は」
呆れ顔のアインシルトは、またグリグリと杖で小突く。本当の事を白状せんか、と催促している。
テオは杖から逃れるとチラリとリッケンを見た。怪訝な表情を浮かべるリッケンにあごをしゃくる。
「ほ、リッケン閣下の前では話せんのか? 無礼なヤツじゃ……すまんのお、不肖の弟子の我がままを聞いてくれますかな?」
アインシルトに言われて鼻白んだものの、軍人らしく一礼するとリッケンは足早にその場を離れた。
扉があったと思われる地点まで迷いなく進むと、ぱっとあの重々しい扉が出現し出口を開いた。そして彼が去ると、また扉はかき消えた。
テオは、ニコの腕からベイブを抱き上げた。ベイブを見つめてニッと笑う。彼女の頭にかぶせていた布を剥ぎ取り、自分の肩に座らせた。
「もう、赤ん坊のフリをしなくてもいい。バンダナの下をちょっと見せてやれよ」
ベイブは少し迷ったが、落ちないようにテオの頭にしがみつきながら、ちらっともう一対の目を見せた。
隠されていた目がぱちぱちと瞬きをする。てんでバラバラに。視線さえも別方向を向いている。不気味な四つ目だ。
「ほお、四つ目とはな。どこで見つけた」
「迷霧の森で拾った卵から出てきた。卵に封じられていたんだ。しかも、呪いでがんじがらめだ。このゴブリン、よっぽど嫌われ者なんだろうな」
ゴブリンの足をトントン叩きながら言う。
「何よそれ! 私、何も知らないわ!」
ベイブは素早く上の目を隠し、テオの耳に怒鳴った。
ようやくニコは、テオがベイブを連れてきた理由を理解した。師であるアインシルトに力を借りようとしているのだ。ベイブにかかっている魔法を解くために。
「あの森にはアンゲリキがうろついておるようじゃな。その呪いにあやつのサインはなかったのか」
「誰のサインも無かったのさ。巧妙に消してある。だからこそ魔女の呪いだとも言えるな。もう一度拾った場所に行ったら獣に襲われたよ。奴の手先だろう」
「……そのゴブリンが魔女の手先とは考えなかったのか?」
アインシルトは、低い声でテオを下からにらみ付ける。
「罠かもしれんと」
テオは、おおっと感嘆する。
「全然思いもしなかった。あんた、いつもそんな風に世の中、斜めに見ているのか? 深読みしすぎだろ」
「…………。お前が浅はかすぎるんじゃ」
「しかしまあ、コイツは大丈夫だ。魔女の一味なんかじゃない」
「なぜ解る?」
「勘だよ」
「……全く不用意にも程があるわい。ゴブリンはわしに預けよ。なんとかしてやる。お前は残って、王宮の警護じゃ。有力な魔法使いは出払っているからのお、王宮の警護が心もとないのじゃ。いいな。魔女は必ず、国王陛下のお命を狙ってくるはずじゃ」
ベイブはテオの頭にぎゅっと身を寄せた。アインシルトが力のある魔法使いだという事が、ひしひしと感じられる。彼なら呪いを解くことも出来るかもしれない。
しかし、自分に対して好意を持っているとはとても思えない。ベイブは、この老人が恐ろしくてたまらなかった。
それに、単なる下町の魔法使いだと思っていたテオが、王宮の警護を任させる程の人物とは驚きだった。
そして自分がアインシルトに預けられて、彼が警護の仕事についたら、ニコはブロンズ通りで一人になる。なんだか、急に不安がこみ上げてきた。
一方ニコは、思わぬ話の展開に驚きと興味を引かれていた。呼び出しの理由を知り、一気に重要人物として浮上してきたテオを、素直にすごいと思っているようだ。
「嫌だね。今すぐコイツの呪いを解いてもらおう。その為に見たくもないあんたの顔を見に来たんだ。それ以外の用事は無い」
テオはベイブを離そうとはせず、師匠に悪態をつく。ベイブの不安を知ってか知らずか、彼の言葉は一瞬で彼女を安心させていた。
「出来るか出来ないか、どっちだ?」
「今は、魔女から陛下を、王宮を守る事の方が大事じゃ。ゴブリンなんぞに関わりあっている場合でないことは解っておろうに!」
どんと、老人とは思えぬ力強さで杖をついた。
「近頃、行方不明者が増えておるし死人も出ておる。魔女の仕業に違いないのじゃ。いつぞやのように王宮に入り込まれて、もしも秘宝を奪われでもしたらどうする?」
「コイツにかかっている呪いだって魔女の仕業なんだぞ。さっき言ったオレたちを襲った獣が、森で人を殺しているのかもしれない。関係ない話じゃないはずだ!」
「ならば、なおのことお前は手を引け! わしが調べる。お前にはやるべき仕事がある。王宮の警護をせい!」
喰ってかかるテオに、アインシルトも一歩も引かない。
「あんたがそういうつもりなら、もう用はない。オレは町に戻るよ」
「テオドール! これ以上、勝手は許さんぞ!」
再び杖で、どんと強く地面をついた。
するとアインシルトの後ろから、すすっと金髪のグラマラスな美女が現れた。
「ビオラ、捕らえよ!」
美女は、ゆるやかなウェーブのかかった髪を軽くかき上げる。ふっくらとした唇に誘うような微笑みを浮かべると、テオに向かって一歩進み出た。
右腕を差し出し手のひらを大きく開く。深いスリットから、スラリと伸びた美脚が見えていた。
「ニコ、下がれ! ……おおお、ナイス太もも……」
美女に見とれて、鼻の下を伸ばしかけたテオだったが、ビオラの放った青白い炎の矢は軽々と避けた。
矢は地面に突き刺さると、無数の鎖に変化してテオの足に飛びかかった。ビオラの手のひらからは、次々に炎の矢が繰り出される。
テオはベイブをニコに向かって放り投げた。慌ててニコが受け止める。
身軽になると、瞬時に矢を叩き落とし鎖を焼き払った。
「その程度じゃ、オレを捕まえるなんて出来ないさ。美しい女性に手荒な真似はしたくない。アインシルト、オレは帰るよ」
再度ビオラが放った特大の炎の矢を、横っ飛びに回転してかわした時、ピシっと乾いた音が響いた。テオの足元で、円陣がオレンジ色の光を発している。
誘い込まれたのだ。
「しまった!」