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バラの咲く庭で 第二話 ベイブ

「あ、パパー! どこ行ってたの?」

「ておー、ておー、じょこいってらんのよー」


 ドアを開けると軽い足音が二つかけてきて、テオの両足にそれぞれドンとぶつかるように抱きついた。

 好奇心で瞳をキラキラと輝かせる少年は、子どもの頃のテオにそっくりで、更に幼い舌っ足らずの女の子は、小生意気な笑顔を振りまいている。

 自分を見上げる子どもたちの頭をぐしゃぐしゃと撫で回して、テオはアハハと笑う。


「おはよう、もう起きてたんだな。あのなリタ、パパって呼べって言ってるだろ?」

「ておー?」


 リタは可愛らしくカクンと首をかしげてみせたが、その顔は不満げで、なんか文句あんのかこら、とでも言いそうだ。


「リタはいいから! ねえ、どこ行ってたの!」


 兄のユリアンは教えて教えてとズボンを引っ張る。

 部屋の奥から、ベイブは朝食の準備をしながらその様子を見ていた。

 テオと子ども達のやり取りは、いつ見ても見飽きない。ついクスクスと笑ってしまうのだ。


「ニコの所だよ。今日、一緒にランチしようって誘ったんだ」

「ニコ?! ニコ来るんだ! やったー、久しぶりに遊べる!」

「ふおー! にこぉ! リタ、あしょんであげるんのよー!」


 二人は顔を見合わせると、ピョンピョンと飛び跳ねた。

 テオは腰に手を当て軽くため息をついて、二人を眺めている。


「おい、ニコさんって呼べって言ってるだろ」

「にこにゃん!」

「……猫かよ。それにリタ、アイツの前でオレを呼び捨てにするものやめてくれよ?」

「んはぁ? よびしゅれって、なんなんのよー」


 意味は分かっていないが、注意された事だけは分かるリタは、丸いほっぺをプクーとふくらませる。その頭を、ユリアンはよしよしとなでて、庇ってやるのだった。


「リタはママの真似してるたけだよ。ママはテオって呼ぶでしょ」

「困ったもんだな」


 ベイブが笑っていると、肩をすくめたテオがすり寄ってきた。

 手伝ってと皿を渡すと素直にさっと並べ、テオはまたすり寄ってきて耳打ちをする。


「リタはこの頃、君の真似っこばかりだ。昨日なんて、ちょっとそこに座りなさい、なんて言われたんだぞ」


 悔しそうに言うテオを振り返り、ベイブはプッと吹き出した。

 彼が悔しがっているのは、リタに生意気を言われたからではなく、母親の真似ばかりして自分の真似をしてくれないという、ちょっとした嫉妬心からなのだと知っていたからだ。

 まあまあと肩を叩いて、ベイブは朝食の支度を続ける。


「あなたの真似もしてるじゃない。魔法を使いたくて仕方ないの。懲りずにヘンテコな呪文唱えてるわ」


 思い出し笑いをしながら、ベイブはパン入りのバスケットをテーブルに置く。取っ手が片方無くなっているのは、リタの適当な浮遊の呪文が、なぜか腐食の効果を発揮したせいだった。

 やめろと言っても、まだ聞き分けのきかない年齢だし、彼女の魔力がなまじ強いため、危険を避けるために家中に防御の魔法を張るはめになったのだ。


「ああ全く、本当に困ったな」


 そう言うテオの顔は、満面の笑みだった。

 リタは父親譲りの魔力の持ち主で、ユリアンは母親と同じ癒しの魔法が得意だった。自分たち二人の血が子どもたちに流れ受け継がれいる、そのことが何より嬉しいベイブだった。






「ねえ、テオ。お昼は庭で食べない? バラがとってもきれいでしょう」


 朝食の後、コーヒー片手に庭を眺めるテオに、ベイブは提案した。

 柵もなく野原の続きのような庭に、幾種類もの草花が植わっている。庭のメインはバラの木々で、今が丁度花の盛りだった。

 その何本ものバラの間を縫うように、子どもたちが蝶を追いかけて遊んでいた。


「そうだな。後でテーブルを出しておくよ」


 子どもたちをずっと目で追いながら答える横顔を、ベイブはじっと見つめていた。

 そっとお腹に手をあてる。まだ平らなこの奥に、もう一つの命がいるのだと思うと、不思議な感動を覚える。何度経験してもそれは変わることなく、むしろ貴重な幸せなのだとますます思うようになっていった。


 だが、手放しに喜ぶばかりではなかった。月日を重ねてゆけばゆくほど、不安はつのってゆくのだ。それでも、テオは残り時間をカウントするよりも、喜びや幸せをかき集めていこう、そう言った。

 だから、二人は明日の話をする。未来の話をする。必ず来ると、信じるために。


 三人目が産まれたら、リタはグッと成長していい姉になる、とテオは笑う。赤ちゃんがえりするわよ、とベイブは笑う。

 ますます君を独占できなくなると不満を訴えるテオに、あなたまで子どもみたいなことしないでねと釘を刺すベイブ。

 賑やか過ぎる家になるな、と二人は一層笑う。


 未来予想の中に、テオがいるとは限らないことを承知の上で、二人は語り続けるのだ。言葉にだせば実現するのではないかと、祈りに似た思いで語り合うのだった。

 それでも、ふとした瞬間にベイブの胸に不安がよぎる。テオは本当にこの子の顔を見ることができるだろうかと。

 ベイブはその考えを懸命に振り払う。今彼は生きている。だから、きっとこれからも彼は生きて側にいてくれると、無理やり心に言い聞かせるのだった。



 ベイブの視線に気付いたテオは、スルリと移動して彼女を後ろから優しく抱いた。お腹に手を添えて、そろそろと大切なものを撫でるのだった。


「男の子だ」

「テオがそう言うなら、きっとそうなのね」


 頭の上から降ってくる声に、ベイブは頷く。


「楽しみだ」


 小さく笑うテオに耳たぶを甘噛みされてゾクリと震えた。

 大きな手のひらが優しくお腹を撫でまわし、次第に上に逸れてくるのを両手で阻止しつつ、ベイブはテオを見上げる。


「名前、考えておいてね」

「もう考えてある。でも、またオレが決めていいのか?」

「いいわよ。……胸触らないで……」

「減るもんじゃなし……ニキータっ呼びたいんだ」

「いい名前だわ。……ねえ、くすぐった……」


 抗議する唇を塞がれてしまうと、抵抗する気持ちが淡雪のように消えてしまう。ベイブはもうどうにでもしてとテオに身体の預けて、目をつむった。


 ニキータ。

 彼の弟の名だ。自分も良く知るあの少年は今どこで何をしているのだろうか。幸せに暮らしていてくれればいいと願う。テオは決して彼を探そうとはしなかったが、きっと気持ちは同じだと思う。


 ユリアンの名もテオに決めてもらった。もちろん彼の親友の名からとったものだ。

 リタはマルゲリータ、花からとった名だ。君は何の花が好きかと訊かれて、マーガレットと答えたからだ。あなたの大事な人の名を貰ってもいいのよと言ったが、ヴァレリアは一人で充分だし、他の女性の名前を挙げて君が不機嫌になったらイヤだ、などと返された。


 うっとりと、ベイブは心の中で我が子につぶやく。

 あなたの名前はニキータよ。


 くるりと身体の向きを変えられてからのキスは、どんどんと熱がこもってきて、このまま離れたくなくなってくる。朝から何しているのよ、と冷静な自分の声がどこからか聞こえてくるが、だってテオが離してくれないんだもんと、言い訳をして身をゆだねるのだった。


「ああー、ママとパパまたチューしてる」

「ちゅーしてゆのよー」


 突然、窓のすぐ下から声がして、はっと我にかえるベイブだった。テオの顔をグイと押しのけ、子どもたちにアハっと笑ってみせた。でも、頬はカッ熱くなっていた。

 ああとテオは残念そうな声を出して、未練たらしくベイブの腰に腕を回してくる。


「ママとパパは仲良しなんだよ。お前らも仲良く遊んでおいで」


 テオの口調は優しかったが、空いた片手は邪険にもシッシッと振られていた。

 ムウとユリアンが口をとがらせた。


「パパはズルい。いつも、ママを独り占めして!」

「んあ? んと、じゅ、じゅるい! リタもちゅーしゅゆのよー!」


 小さなライバルたちの頭を、テオは窓から手を伸ばして撫でてやる。


「今だけ、許してくれよ」


 そう言っておどけるテオを、ベイブは微笑みながら見つめていた。そしてチリッと痛む胸を押さえるのだった。

 今だけと言わずにいて欲しかった。






 この頃、自分を見つめる彼の目が優しすぎて、ベイブは不安になる。

 あんまりにも優しく笑うから、この笑みが消えた時、どうしたらいいのか分からなくなるのだ。


 昨夜の彼はいつもより饒舌で情熱的だった。まるでこれが最後の夜だというように、餓えたように、他の何もかも忘れようとするかのように。

 そして愛してると繰り返す囁きは、自分を忘れないでくれという哀願のように聞こえた。ならば決して忘れられないように、もっと私にあなたを刻み込んで欲しいと、ベイブは彼をすべて受け入れた。

 テオの激情のままに抱かれて、ベイブは震え気がつけばポロポロと涙を流していた。そして、どこにもいかないでと彼の胸にしがみつき、そのまま眠りに落ちていった。


 だが夜半に目覚めると、隣にテオの姿がなかった。どきりと心臓が飛び跳ねた。ベイブは恐ろしい不安に駆られながら、彼の姿を求めて家の中を探した。


 いかないで。どこにもいかないで。私の側にずっといて。


 ガタガタと震えながら、家の中のドアを次々に開け彼を探した。そして子ども部屋のドアを開けた時、そこにテオを見つけるとホッと息をもらした。

 彼は、月明かりが小さな寝顔を照らしているのを、じっと眺めていたのだ。

 ベイブは立ちすくみ、ドアの隙間からテオを見つめた。彼の頬が濡れていたから、声をかけられなくなったのだ。

 その時、テオの微かな声が聞こえてきた。


「死にたくない……」


 ベイブは、両手で口を押さえた。息が止まる気がした。

 テオはユリアンの髪をなで、リタのおでこにキスをする。彼の頬を濡らす切ない思いが、後から後から溢れ出てくる。


「こんなに生きたいと思ったことはない……死にたくない……」


 小さく震える彼の声。

 堪えきれず、ああとベイブは小さな悲鳴を上げる。

 彼が今まで決して口にすることのなかった、弱気な言葉がベイブを突き刺していた。

 ズルズルとしゃがみ込み、こちらに向き直るテオに両手を差し出した。目の前が涙で曇ってよく見えない。


 首をかしげた彼は、今、笑ったの? 泣いたの?


 ベイブはよろめき這うようにして、テオに近づく。彼も両手を広げて、ベイブに歩み寄り抱きしめた。

 わぁわぁと声を出して、涙で顔をぐしゃぐしゃにして、ベイブはしがみついた。


「テオ……テオ……」

「ごめん……ごめんな。オレは君を置いていく……」


 抱きしめる腕にグッと力がこもり、二人の身体は一つに重なる。強く強く抱きしめられて、ベイブは息もできない程だった。

 泣きながら夢中で頭を振った。嫌だ置いていかないでという思いが、声にならない。

 ああ、神様お願い、彼を連れて行かないで。私から彼を奪わないで。

 このまま時間が止まってしまえばいいのにと、テオを抱きしめ返した。


「……ベイブ、後を追おうなんて思うなよ。約束しろよ」


 彼の低い声は震えているのに、優しく髪を撫でるから、ベイブの涙は止まらなくなる。


「覚悟……決めてたんだろ……?」


 穏やかな声で優しい声で、なんて酷いことを言うのと、ベイブは思う。彼の言うとおり、分かっていたこと覚悟していたことだ。だか、目を逸し続けていた事でもある。

 あらためて彼は、それが目前にあると突きつけてくるのだ。

 ベイブは震えながら彼の腕に爪をたてて、すがるように見上げることしかできなかった。


「約束するんだ。今すぐ」


 怖いくらい静かな口調なのに、有無を言わせない力がある。


「安心させてくれよ……君と子どもたちがこの先もずっと命を繋げていってくれるって、信じたいんだ」


 ベイブは唇を噛んで、嗚咽を堪えた。抱きしめてくれる腕は、こんなにも暖かく力強いのに、今にも消えてしまいそうで恐ろしくなる。

 彼は妻と子どもたちに生きて欲しいとそれだけを望み、叶えて欲しいと哀願する。これが、彼の最後の願いだなんて。涙が溢れて止まらない。顔を押し付けたテオのシャツはもうびしょびしょで、それでもまだ止まりそうにない。


「泣いていいから、約束してくれ……」


 耳もとで掠れ震える声が囁くと、温かい雫が首筋にポトリと落ちてきた。雫はじんと熱を伝えたかと思うと、あっという間に冷めて、ベイブをゾクリと慄かせた。

 彼の涙が切なくてたまらない。自分ははばかりもせずに泣いているのに、これ以上彼を泣かせてはいけないと思った。愛しい人の願いに応えなければならない、と。

 ベイブはしっかりとテオを見つめた。


「や、約束……する」


 無理やり、唇を笑みの形にすると、またポロポロと涙がこぼれた。


「だから……もっと抱いていて……」


 テオの頬が緩み、うんうんと何度も大きくうなずいた。

 そしてまた、ベイブをしっかりと抱きしめたのだった。





 テオに宥められた子どもたちが、また庭に駆け出していった。バラに水やりをするのだと、二人はじょうろをもってスキップしてゆく。

 ベイブがそれをもの憂げに見ていると、テオは彼女の手を引いて奥の部屋へと連れていった。


「さっきの続きをしようか」

「……ばか……キスだけよ」

「それは、約束できないなあ」

「私には約束させたくせに……」


 少し恨めし気に見上げると、クスクスと笑う彼と目が合った。

 陰りのない笑顔。今、彼は生きている。自分の側にいる。不安が穏やかに薄らいでいった。

 今日はニコが来てくれる。みんなでランチを囲んで笑いあって。きっと、この午後は楽しく忘れられない思い出になるだろう。

 ベイブはホッと笑みをこぼし、テオの胸にこつんとおでこを当てた。


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