41 大切なもの
深く息を吐き、テオはグッと剣を握りなおす。
膝をついてだらりとうつむく騎士の動きを見逃すまいと、神経を張りつめ見つめていた。
何もかもが、一手遅れをとる。そのことに無性に腹立たしさを感じていた。非情になりきれない己の惰弱さが全ての原因だと自覚していながら、なお変えられない。
悔しくもある、だがそれが自分なのだとの開き直りにも似た諦めもあった。
「騎士よ! まだ意識はあるだろう、飲まれるなよ。あんたを助けようなんて思わねぇから、そのままソイツを抑え込んでろよ」
わざわざ、言葉に発して意を決する。
ユリウスに対しては迷いが消えなかったが、彼にならばそうすることが正当であり、彼自身の望みでもあると素直に受け入れることができた。
随分と身勝手ではある。
だが、あえて騎士はアンゲロスを取込みもろともに滅ぼされる為に、この場に来たのではないかと思えるのだ。
「それでいい」
騎士の低いつぶやきが、テオの思いを全て肯定した。
その瞬間、テオの大剣がドクンと脈打ち、ギラギラと火花を散らしながら騎士に向かって振り下ろされる。
上段からの鋭い一刀。
しかし、それは騎士の腕が防いでいた。
『死ヌルモノカ!』
アンゲロスが叫んでいる。
剣を弾き飛ばし、騎士の身体が大きく後ろに飛び退る。
続けて迫るテオの二刀目は、妖刀で受けた。
ガギギと刃がこすれあい、両者の目が合う。
「アンゲロス! 地獄に送ってやる」
『ヤッテミロ……ダガナ、コノ世界ガ既ニ地獄ナノダ。我ラハ地獄ヲ生キテキタ!』
妖刀がブオッと瘴気を発して、テオの剣を弾く。
騎士は跳ねるように退いてゆく。その内部では、激しい精神の攻防が繰り広げられているのだろう。カクカクとぎこち無い動きだった。
そこに仕掛けるテオの魔剣を、騎士が両腕で受けるといきなりピタリと動きが止まった。
騎士の身体に起きた異変は異様なものだった。
白い骨の周りにニュルニュルと触手が這うように、腱が筋肉が血管が現れたのだ。頭蓋に腕に胴にと広がり、身体が生成されてゆく。
テオはうっと呻いて、大きく飛び退る。
後方の集団の中にも、この不気味な光景にどよめきが起こっていた。
遥か昔に失った騎士の血肉が、猛スピードで再生されている。ドラゴンの力がユリウスの肉体を再生させたように、切り落とされた手はドラゴンの鉤爪となって生えてきた。
みるまに肌や髪まで完璧に戻り、在りし日の姿を取り戻していたのだ。
それは、テオと似た面差しの壮年の男だった。王家は騎士を祖にしているのだから、その血脈に連なる者が似ているのは道理なのかもしれない。それにしても、親子だと言ってもうなずける程の相似だった。
『気前ノ良イドラゴンダ……頼ミモシナイノニ身体ヲ戻シテクレルトハナ』
騎士はアンゲロスの声でヒヒヒと笑った。
その頬にゾロリと鱗が生え出す。
真紅の目が禍々しく光っていた。
テオはゴクリと唾を飲んだ。自分に似た騎士。まるで未来の自分と向き合っているような錯覚を覚える。
騎士が身体の主導権を再び握ることを信じつつ、アンゲロスに太刀を浴びせた。
が、攻撃を交わしたアンゲロスは、突然と走り始めた。その足は、ヴァレリアたちを目指している。
テオの背に悪寒が走る。
背後にいたデュークが、翼を広げ舞い上がった。そして空高く翔び上がり、手を叩いてゲラゲラと笑うのだ。
「面白いじゃないか! さあ、お前らぁ! 死にたく無いならさっさと逃げた方がいいぞ!」
バサバサと大風を起こして、魔法騎士団たちを煽った。
翼からナイフと化した羽を何本も発射させる。身をくねらせて笑いながら、無差別に騎士団を攻撃していた。
その間にも、騎士はヴァレリアを囲んでいる人垣に向かって速度を上げていた。
「無能なヤツはママが待ってるお家へ帰れ! 今必要なのは、巫女ちゃんだけだ!」
狂ったように笑い、ヴァレリアを囲んでいる騎士団に向かって、手加減のない雷撃まで打ち込むデュークだった。
これでは、一体どちらの味方をしているのか分からない。
「止めろぉ! クソは黙ってろぉ!」
怒鳴りながらテオも疾走した。
その目に映るのは、ニコの背後に回され困惑するヴァレリアの姿だった。
長い黒髪が風にゆれ、祈るように両手を胸の前に組み、息を詰めて立っている。彼女のグレーの瞳が自分をまっすぐに見つめていた。
テオは走り続ける。
それから先は、まるでスローモーションのように感じられた。
アンゲロスに憑かれた騎士が、ニコを蹴り倒す。
ボールのように転がるニコ。
よろめいて尻をついたヴァレリアに騎士の片手が伸びる。
割って入ったジノスに、妖刀が振り下ろされる。
絶叫と共に、彼の腕が落ちた。
アインシルトの攻撃が跳ね返される。
己の技を身に受けて、老師の身体が大きく弾き飛ばされる。
そして、アンゲロスはヴァレリアを捕らえた。
必死に伸ばされたテオの手が空を掴む。
「止めろぉぉぉ!!」
『ウ? ……グガァァァ!』
テオの怒声と共に、アンゲロスの絶叫が響いた。
ヴァレリアに触れた途端に、シュウシュウと白い蒸気が吹き出していた。それは物凄い勢いで全身から放出され、ズブズブと身体の溶ける音まで聞こえてきた。
だが、アンゲロスは彼女を離さなかった。胸に引き寄せ、羽交い締めにしてテオに見せつけるのだった。
『コノ邪魔ナ女、コロシテヤル……』
瞳にドロドロと赤黒い光が灯っていた。
目前でヴァレリアを人質に取られ、テオは愕然と首を振るばかりだった。
こんなに簡単に、一瞬のうちに彼女を奪われてしまった。大切なもの、最大の弱みを握られてしまった。
「大丈夫よ……テオ」
喉もとを締められているのに、健気にも彼女は微笑んだ。
恐ろしさに、テオの息が止まる。
破魔の力に触れて、アンゲロスはますます激しく白煙を上げている。だがその身が朽ち果てる前に、ヴァレリアの首をへし折るくらい造作もないのだ。
一番恐れていた事態が、今目の前にあった。
『ガ……グフゥゥゥ……』
苦しげに肩を揺らしながらも、アンゲロスはヒヒヒと嗤う。溶けても、また再生しているのだろうか、その身体はニキータ程のダメージを受けていないように見えた。
アンゲロスがドラゴンの手をヴァレリアの喉に食い込ませると、苦悶に彼女の眉が歪んだ。
爪がめり込み、プツリと白い肌が裂けた。血が真っ赤な線を描き出す。
「……はぅ、うう……」
「や、止めろ……アンゲロス」
フラフラと無防備に近寄ろうとするテオの肩を、デュークが掴んだ。
「何やってんすか……チャンスでしょう? 騎士はちゃんとヤツのしっぽを抑えこんでる。ユリウス・マイヤーよりも確実に。もうあの身体から逃げ出せない。後は、あんたが一発ぶち込むだけ……」
「ダメだ。ベイブを巻き込む」
「ヤツを葬る絶好の機会ですよ? 巫女の身体さえ残っていれば、サラマンダーを滅ぼすことができる。あの女の生死は関係ない……」
ゾワリとテオの毛が逆だった。
彼女の身体さえ残っていればいいだと?
テオは振り向きもせずに、デュークの顔面に拳を叩き込んだ。
彼女を利用し、あまつさえ見殺しにするなどできるはずもない。彼女を失ってまで欲しいものも、護りたいものもないのだ。国王失格でも構わない。予言の通りになっても構わないとさえ思う。
「アンゲロスーーーー!」
剣を投げ捨てた。
怒りと恐怖で目がくらみ、頭の中が真っ白になる。
ヴァレリアが死ぬなんて考えたくもない。何よりも大切なものだと、初めて思えたのだ。自分のものにならなくてもいい、会えなくなってもいい、ただ絶対に護り抜きたいもの、幸せであってほしいもの、それが彼女なのだ。
ガアと吠えるような叫びを上げて掴みかかった。
「ベイブを離せぇ!」
妖刀の横薙ぎが脇腹を裂く。
構わず、ヴァレリアを締め上げている腕を握り、ゴキリと捻り上げた。だが、すぐに妖刀の柄が頭部に落ちてきて、テオを叩き伏せる。
――恐れるな。わしは消えていない。巫女は死なせない。
テオの頭に直接、騎士の声が天啓のように響いた。
騎士が内からヴァレリアを護っている。そのことがテオに希望を与えた。腹の傷など気にならない。
テオはヴァレリアは取り戻そうと、躍起になって拳を振るうのだった。
殴られて尻をついたデュークは、フフンと笑ってそれを眺めていた。
「全く世話が焼けるお人だ。焚き付け役も楽じゃない……」
つぶやき、真顔になってじっと見つめている。
いつでも飛び出す用意はできていた。
剣をもった相手に、テオは苦戦を強いられた。あっという間に満身創痍となる。
一方のアンゲロスはいくら傷つけられようがすぐに再生してしまうのだ。
ヴァレリアに被害が及ばぬように、テオは彼女に守護魔法をかけた。それは薄い膜となって彼女を包んでいる。その行為が返って破魔の巫女の力を遮り、アンゲロスを助けることになっていた。白い煙を吐くことも、身体が溶け出すこともなくなっていたのだ。
息のあがったテオが思わず膝をついた時、逃げようと身悶えるヴァレリアをアンゲロスが打ち据えた。
小さな悲鳴を上げて倒れる彼女を、更に蹴りあげてから、再び抱え込んだ。
「ベイブ!」
テオの手のひらがバチバチと火花を発して、白熱している。だが、魔法を打つことは出来ない。いくらバリアがヴァレリアを護っていても危険過ぎて、テオにはできないのだ。
言葉にならない叫ぶを上げて、猪突していく。
妖刀がギラリと矢のように走る。
それはテオの腹に突き刺さっていた。
『死ネ……』
ググっと剣がめり込んでゆく。
「い、いや……いやー!!」
ヴァレリアの悲鳴が上がる。
彼女のすぐ目の前でテオの表情が凍りついき、ドッと両膝を地面に落とした。
彼の身体が前のめり、更に深く差し込んだ切っ先が、ズブリと背中から顔を出した。
ガフッと鮮血吐き、テオはこれ以上の侵入を阻止しようと剣を握る。手のひらからも血が滴った。
「テオォ!」
首を振り、半狂乱になって叫ぶヴァレリア。必死に手を伸ばし、テオに触れようとしていた。その手のひらが桜色に光り、青ざめるテオの顔を照らしている。だがその光の粒子は、彼女を包む膜の外に出ることは無かった。
アンゲロスは、彼女をグイッ引き下げテオから遠ざける。
そして、追撃をかけようと剣を握る手に力をいれた。入れたはずだった。
だが、手は柄を離れ、足は勝手に後ずさり始めたのだ。
『ナ…?! 邪魔スルナァ! 引ッ込メ!』
身体の元の持ち主が、アンゲロスの動きを妨害していた。二歩三歩と下がり、テオとの距離が空いていった。
「ああ、テオ…」
喉に食い込む腕に苦しめられながら、ヴァレリアはなおも手を差し出しテオを見つめている。
テオも真っ直ぐに、彼女を見つめ返していた。
微かな笑みを見せ、震えるようには唇を動かした。
――大丈夫。
声は無かった。
しかし、ヴァレリアにはしっかりと伝わる。彼は決して諦めも投げ出しもしていないことが。
ヴァレリアは涙をこぼしながら、信じているとテオに頷いた。
テオはポケットの中をまさぐっていた。そこにあるものが、力を与えてくれると信じて。
もう一度微笑みを浮かべてから、視線をアンゲロスへと移した。
サッと手を引き出すと、その手を口に運ぶ。
そして、手にしていたものをガリガリと噛みしだいた。
全くの迷いのない動きだった。
テオの首がガクリと垂れる。
するとデュークが再び狂ったように笑い始めた。バンバンと膝を叩いて、大喜びだった。
「そう! こうなると思ってましたよ! これを待っていた!」
*
強烈な一撃で倒れたニコがようやく身を起こした時、目に飛び込んできたのは、無謀にも剣を捨てて向かっていくテオの姿だった。
ヴァレリアを人質に取られ魔法攻撃も使えず、不格好にがむしゃらにアンゲロスに挑む姿だった。
そして、ついに腹を刺し貫かれた。
ニコの息が止まった。テオが負けるのか、死んでしまうのかと、恐怖に身が固まってしまう。
「いかん……ああ、なんということじゃ」
震えるアインシルトのつぶやきで、ニコは我に返る。
テオが何かを口に入れたのだ。
「ア、アインシルト様、アレは? テオさんは何を……」
「……ドラゴンの鱗じゃろう」
厳しい顔で老師は答えた。
彼の指示で、魔法騎士団たちは大きく後退を始めている。
「鱗? どういうことなんですか?」
「今に分かる……覚悟せねばならんか、最悪の事態を……」
恐ろしげな師の言葉に、ニコの胸は張り裂けそうな程に脈打っていた。
*
大きく裂けた口から牙を覗かせて、ゲラゲラと笑うデュークの姿には鬼気せまるものがあった。
バサバサと黒い翼を羽ばたかせ、テオの上空をグルグルと旋回を続ける。
「そこのお前ら! 言ったろう、今すぐ逃げなきゃ殺されるぜぇ?! 喰われるぜぇ?!」
黒い羽が目の前にゆらゆらと落ちてくると、ブルルとテオの身体が震えた。そしてガクガクと次第に震えが強くなってゆく。
うなだれたまま、テオは低く掠れた声を発した。
「アンゲロスゥ……ふざけんなよ。ドラゴンはオレなんだ。オレがなぁ、黒竜王なんだよ! ……てめえに真似されてたまるかぁ!」
バサリを垂れた前髪で、その表情は隠されている。だが、怒りに震えていることはその声でははっきりと分かる。
騎士の身体は完全に動きを止めていた。
その腕に囚われたヴァレリアが不安げに見つめている中で、テオは再びゴフッと血を吐き出した。
「ギ……ギググゥ」
テオの喉から人間とは思えない、獣の声がこぼれてきた。
身体を折り曲げた態勢のままゆらりと立ち上がり、剣を引き抜く。
そして、ドンと突き立てた。
剣により掛かるようにして背を丸めたまま、テオがガッと顔を上げる。
上目遣いになったその瞳が、真紅に光っていた。
「ギヒ……」
ニッと笑った唇が、耳に向かってピリピリと裂け始めた。
驚きにヴァレリアは息を飲む。
「テ、オ……」
テオに起きた変化は止まらず、むしろ加速する。
鼻と口が大きく前にせり出す。
肌に鱗が生じる。
ゴボリと大きな音を立てて、背にこぶが盛り上った。
ボコボコとそれは動き、まるで皮膚の下に別の生き物がいて暴れているようだった。
服の背が裂け一対の黒い翼が姿を現した。コウモリのような皮膜の翼は、ユリウスの身体に生じたものと同じだった。
ボキリバキリと不気味な音を立てて、テオの身体が倍ほどに膨張する。
バリバリと衣服がちぎれ飛び、ドッと倒れるようにテオは両手を地についた。
既に全身に鱗が生じている。
四つ足の生き物へと変身は加速する。
「テオ……? や、やめて……ああ、なんてことを……」
指は鉤爪となり、首が伸びてゆく。
角が生え出し、尾が伸びる。
ザザン!
黒い翼が己の存在を誇示するように広がった。
ギチギチと牙を鳴らす、漆黒のドラゴンがそこにいた。




