34 予言は覆らない
ブオンッ! と風が唸る。
髑髏の騎士の剣が、妖魔アーリティの胸に赤い裂け目を作った。
黒い羽虫の大群に襲われながらも、騎士の剣筋がぶれることはなかった。
妖魔はキヒヒと笑う。
胸だけでなく既に何刀もの攻撃を受けて血に塗れていながら嗤っているのだ。自らが傷つくことに構いもせずに、相手を傷めつけて殺すそのことだけに執着しているようだった。
食いしばった歯の隙間からシュウシュウと怒気を発し、焦りに似た呻きをあげているのは騎士の方だった。髑髏の穿たれた眼窩の奥で、赤黒い光がギラギラと光る。
未だ心に未練を残す己が疎ましくてならない。同じく滅ぼすのであっても、魔物では無く人として滅ぼしてやりたい、などと情に酔う自分が愚かしく思える。自身も既に魔に落ちた身であるのにと。
結末は見えている。
騎士には解っていた。騎士団が自分たちを取り囲んでいるのは、何もこの妖魔一人を倒す為ではないのだと。両者相打ちとなれば上々。一方が生き残ればそれを討ち取る。その為に彼らは固唾を飲んで見守っているのだ。
それでいい、妖魔を滅ぼした後は討たれてやろう。但し道連れを引き連れてだ、と髑髏の奥底で消えない怒りの炎がゆるゆらと燃えていた。
「お前様! お前様! さあ、殺し合おう! もっと、もっと! 狂えばいい!」
妖魔の鋭い爪が牙が騎士の骨だけになった体を砕くよりも、彼女の言葉と醜い笑顔が彼に痛苦を与える。
みすみす妖魔を宝玉から蘇らせ、自分を解き放った者達が憎いと、騎士は咆哮を上げて剣を振るう。
全ての責を追うべき現国王の体たらくが、自分とアーリティに無残な再会を与えたのだと激しい怒りを感じるのだった。
いっそ、この女と共にとことん堕ちてしまおうか。
そしてこの場にいる者ども、全て共に滅びればよい……。
騎士の大剣が不意に妖魔から逸れ、大きく薙いだ風圧が草原を裂くようにして騎士団に向かって走った。バリバリと火花を散らす紫の光が彼らに襲いかかっていた。
突然の事に、騎士団は慌てふためいて逃げに転じた。
二撃三撃と、騎士は咆哮を上げて取り囲む騎士団に向けて攻撃をかける。
そしてアーリティは高笑いをしながら、騎士に首にむしゃぶりついた。骨だけになった男に、鋭い爪を立て牙をめり込ませる。
「愛おしや……」
チロリと赤い舌が、ヒビ割れた髑髏を舐め上げた。
喉の奥で唸るような声を上げて、女を引き剥がす。
グシュリ……
突然煌めいた一筋の光。紫の妖光を纏った剣が妖魔の腹に突き刺さっていた。
ダン!
大きな弧を描いて、女が地面に叩きつけられた。
握る剣に体重を載せて、騎士はしっかりと妖魔を地面に縫い付ける。
「共に死ぬるか……お前が、俺以外のものに殺されるなど許せない」
「……それも良いなぁ……」
ゴブリと女は血を吐いて、笑った。
黒い羽虫がボトボトと地面に落下してゆく。妖魔アーリティの力が急速に失われているのだ。復活したばかりの妖魔には、十分な魔力がまだ蓄えられていなかったのだろう。
騎士は更にグイグイと剣を差し込み、妖魔の動きを封じた。
「少し待っていろ……道連れに骸を増やしてやるから……」
ドドン!
突如、地響きを立てて土煙が上がった。
騎士のすぐ目の前で立ち上ったその煙の中に、黒い影が片膝をついてしゃがんでいた。
漆黒の軍服に身を包んだ黒竜王ディオニスが、空に浮かぶデュークの背から飛び降りて来たのだった。
ゆっくりと立ち上がり、まっすぐに背を伸ばすと髑髏の騎士に正対する。
威風堂々とした王の姿に、魔法騎士団が歓喜にどよめく。
黒竜王がこの異形者どもを鎮めてくれると全幅の信頼を寄せているのだ。彼ら騎士団の輪がじわりじわりと縮み、騎士が発する冷たい妖気に当てられながらも士気は否が応でも上がってゆくのだった。
王はじっと騎士を見つめている。
ギラギラと憎悪をたぎらせて自分を睨みつける騎士を、臆することなく見据えている。王よりも強い圧倒的な凄みや威圧そして殺気を放つ騎士。その彼の怒りが自分に向けられていることを承知しながら、それを正面から受け止めている。唇が微かに震えたかと思うと、ニッと釣り上げて笑みを作った。
先に口を開いたのは髑髏の方だった。
「不甲斐なき王よ。俺は今、無性に腹が立っている」
「腹が立っているのはこちらも同じだ」
ディオニスが口答えをした途端に、騎士の腕が彼を襟首を捻り上げていた。彼にとっては、黒竜王など他の人間たちと何ほどの違いもなく、恐るるのもではなかった。
「童! 貴様に何が解る!」
「解るものかぁ! だから聞きにきた。貴方は滅ぼす者か、守る者かどちらだ!」
自分よりも上背のある騎士に締め上げられながら、ディオニスは淀むこと無く言い放つ。
「答えよ!」
「俺もあの女も、ただの礎だ。過去の遺物だ。滅ぼすも守るもお前次第だ!」
騎士は、生意気な王に口付けせんばかりに迫って怒声を上げる。
「予言は必ず成就する。貴様は亡国の王だ。インフィニード王国を滅ぼす、最後の王だ。それは曲がらん!」
騎士の絶叫が草原に響き渡った。
ドンとディオニスの胸を突いて、騎士は掴んでいた襟を離した。
「……なるほど、必ず成就する、か」
王のつぶやきが風にのって草原を流れると、騎士団の中にざわめきが起こった。
亡国の王、そしてインフィニード最後の王とは聞き捨てならない不吉な言葉だった。
「インフィニードを滅ぼすつもりなど微塵もないのだがな……オレの意志とは無関係というわけか。心しておこう」
「……救国の魔法使いのことは聞かぬのか。これも必ず成就する予言だ。祖国は守られる」
「はっは! 矛盾しているぞ。滅びるのに守られるとは! だがもういい。不可避だと確認できたからな」
ディオニスは自嘲めいた乾いた笑い声を上げた。
何かを諦めたのか覚悟したのか、彼は大きく一つ息を吐き出した。
「で、貴方は何を成そうとしているのだ」
「憎いのだ……」
「何を憎む」
「この女が。俺自身が。そして我らを利用しようとする者めらが!」
騎士の手刀がディオニスに向かって振り下ろされる。
素早く両手をクロスして受け止めた彼は、きっぱりと言い放つ。
「憎しみのままに暴れたいならそうすればいい。オレが滅ぼしてやる! だがその前に、もう一度尋ねる。 貴方は何を成すべきか!」
ググッと怪力で押してくる髑髏の騎士の手刀を、ブルブルと腕を震わせて押し返してゆく。
自分が戦うべき相手は髑髏の騎士ではないと、ディオニスは思う。そしてそれは騎士も同じなのだ。両者はにらみ合いの中で、お互いの意志を確認しあう。
「……祖国に安寧を」
「ならば同志だ。邪魔をするな」
不意に力が抜けた騎士の腕をドンと押し戻す。
「あの妖魔を押さえていて欲しい。これから後のことは貴方には関わりのないことだろう。予言が成就されるところを見守っていればいい」
騎士は王をじっと見つめた。髑髏の奥で燃えていた赤黒い炎は消え、静かな光をともしていた。激情は去ったようだった。
「我が名ディオニスを受け継ぎし、血脈の子よ。予言を与えぬ方が、お前は生きやすかったのかもしれぬな。だが幾通りもある未来からお前が最善を選び取るには、必要なことだった。予言は不可避だが未来は定まってはおらず、俺にもアーリティにも見えぬ。お前が選び取るのだ」
言い終わると、騎士はさっと背を向けた。そして妖魔を見つめる。
血と泥に汚れた妖魔アーリティは、地面に縫い付けられたまま必死に顔をあげ髑髏騎士に微笑んだ。その顔はもはや悪鬼ではなく、騎士がかつて愛した女の顔だった。
唇をブルブル震わせて、彼女は黒竜王ディオニスの名を呼ぶ。
「……我が愛し子の末裔たちに、私は予言を与えてきました。それが生きる導となると……お前は、あの予言を伝え聞いた時に何を思いましたか?」
アーリティの漆黒の瞳は澄んだ光を放ち、真摯に問うていた。
その問は、皮肉めいた笑みを張り付かせていたディオニスの心の内をえぐるようだった。何を思ったかなどと、今更何を聞きたいというのかと。
ディオニスは己に与えられた予言を知った時、まず驚きそして強く反発したものだった。なぜ、祖国を滅ぼす者などと言われるのだと。
王宮を出されずっと市井で生きてきた。親の愛情を感じることもなく成長した。両親の不在を恨む気持ちはあったが、そもそも自分が王子だと知らずにいたのだから、その私怨が王国を滅ぼしたいという思いに繋がるはずもなかった。
それは予言を知ったあとでも変わることはなかったのだ。
全く自分の意志にそぐわない予言を腹立たしく思い、絶対に予言通りになってたまるかと憤ったものだった。
「……勝手なことを言うものだなと思ったさ。意地でも逆らってやろうってな」
「それでいいのです……お前ならより良き未来を掴み取れるでしょう」
アーリティは目を細めて慈愛深い微笑みを浮かべて微かにうなずく。
「やっぱり、お前たちは勝手な事を言う」
舌を打ち、ディオニスはアーリティと騎士に背を向けて歩き出した。
前方の騎士団の中に、大きな白いふくろうが舞い降りてきた。
地に足をつけた途端に、それは老魔法使いアインシルトの姿に戻る。彼の登場に魔法騎士団たちも色めきたつ。
リッケン率いる近衛騎兵隊の面々も続々と到着し、騎士と妖魔を取り囲む布陣はさらに厚くなっていた。
と、突然迷霧の森の入口付近で閃光が瞬いた。
「おんやぁ。何事ですかね?」
空中に浮かんだままのデュークが、ふわふわと漂いながら森を眺める。
「ああ噂をすれば影、アンゲロス君ですね。ジノス・ファンデルたちとやりあってるみたいですよぉ」
精霊の言葉が終わらぬうちに、王は弾かれたように森へと疾走った。
それをデュークは空から追いかける。そして懐から取り出した手鏡にグイと手首まで突っ込んだかと思うと、ズルリと大剣を引き抜いた。
「ほら、これが要るんじゃないですか? それとも私に出番をくれるんですかねぇ」
「渡せ!」
走りながら言う王に無造作に剣を放り投げると、デュークは彼を追い越し、前方の魔法騎士団たちに黒い翼を羽ばたかせて威嚇するように突っ込んでいった。道を開けろということらしい。
投げつけられた剣を受け取った王も、騎士団が邪魔だと言うようにブンと大剣を振り回しつつ突っ込んでゆく。剣は長さと厚みを増し、燃えるような紫の妖気を放っていた。
ザッと人垣が分かれた先に迷霧の森が鬱蒼と広がっていた。
木々の向こうで、またチカリと閃光が瞬いた。
突如男の絶叫が響き、人型の火の玉が森から転がり出てきた。それは草の上にバタリと倒れると、一気にゴウゴウと燃え盛り動かなくなった。
続いて数名の騎士達がこけつまろびつ森から出てくる。その中にはジノス・ファンデルの姿もあった。
黒竜王の走りは止まらない。
「どけぇ! 邪魔だ!」
黒竜王の剣が唸りを上げたかと思うと、森に差し向けられた切っ先から、渦を巻く爆炎の槍が放たれていた。
急いで左右に分かれるジノスらの真ん中をすり抜けるようにして、炎の槍が森の中にいる者を目指して突き刺さっていった。
ドン!
耳をつんざく爆音が轟き、木々がなぎ倒されていた。
もうもうと白い煙が沸き起こると、王はピタリと足を止めた。その視線の先、煙の中に黒い人影を見つけていた。
「アンゲロス……」
「遅いではないか。待ちくたびれたぞ!」
アンゲロスは片腕だけで、王と同じような大剣を構えていた。
「この体、なかなか使い心地が良かったのだが、少々傷んできたからなあ。やはりお前の体をいただこうか……」
唇を引きつらせてにぃっと笑う。
その醜く歪んだ笑みに、嫌悪と怒りを深くする。ギラリと睨み据え、咆哮を上げて斬りかかっていった。
ガギン!
黒竜王の剛剣を、片手のアンゲロスが軽く剣を振り回して受け止め、ドンと押し返す。
大剣から放たれる妖気が飛び散り、無数の鋲となってアンゲロスに襲いかかった。さらに王が踏み込み重い一太刀を浴びせた。
だが、アンゲロスは容易くいなして爆炎を放つ。
切り結ぶ剣と魔法の戦いを繰り広げる二人、そして妖魔を地に串刺した髑髏の騎士を囲む魔法騎士団たちは沈黙しただ見守るばかりだった。彼らの中に合流したジノスも、息を飲んで見つめることしかできないでいる。手出しのしようがなかった。
そして、この場にアンゲリキがいないことを不審に思ってた。魔女が罠を張っているのではないかという疑念が湧くのだ。思いすごしであればいいと思いつつ、ジノスの警戒は全方位に向けられていた。
猛攻を掛けあう二人の激しい斬撃の音と、魔法攻撃の爆音が草原に響き渡った。




