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黒のドラゴンとブロンズ通りの魔法使い  作者: 外宮あくと
第三部 罪と力と代償と
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31 慟哭そして邂逅

 逃げ遅れた女の頭が、ゴキリと嫌な音をたててあり得ない角度で折れまがった。そしてゴンと激しく石畳に叩きつけられると、そのまま動かなくなった。

 恐怖に引きつったその顔には、まだ暖かい涙が跡を残っている。

 女にのしかかった妖魔がキヒヒ笑った。

 途端に周囲から幾つもの絶叫があがり、走りだす足音が通りに響き渡った。


「ローザ……」


 皆が逃げる中、一人だけふらふらと逆方向に歩きだそうとしている男がいた。蒼白になったその男は、倒れ動かなくなった女の顔だけを凝視している。

 人混みの中でうっかり手を離してしまったばっかりにと狼狽え、目の前で起こった出来事が信じられないと頭を振っていた。


「なにしてる! 早く逃げるんだ!」


 引き返してきた別の男が、彼に怒鳴った。


「お前も殺されるぞ!」


 呆然とする男の腕を引っ張り、連れて行こうとする。しかし、男の視線は女と妖魔から離れることはない。

 妖魔がニヒッとまた笑い、鋭い爪で大きく膨らんだ女の腹を裂いた。ブシュリと血が吹き出し、妖魔の身体を真紅にそめる。

 無造作に腕を差し込み何かを取り出した。赤い肉の塊は小さな人の形をしていた。


「ロ……ローザ、ローザ! ローザーー!」


 男が狂ったように叫びだす。

 逃げるように言った男を振りほどいて、駆け出していた。


「おい! 行くな、引返せ!」


 その叫びは、妖魔に向かって走る男には届かない。訳の分からない悲鳴を上げながら、男は女のもとへと一直線に走る。


 柔らかな嬰児を咥えた妖魔の目が、らんと輝く。

 電光の速さで男の首を鷲掴みにし、地に叩きつけていた。

 男の手がバタリと落ちた。

 その指が先に逝った女の手に重なって、まるで手を取り合っているようだった。死しても永遠に共に居続けようとするかのように。

 一部始終を見ていた男は、ガクガクと膝を震わせながら必死に逃げ出した。


 妖魔は生暖かい肉を呑み下し、にげる者たちを見送っている。もう追うつもりはないようだった。

 そしてその数秒後、足下に転がる男女の遺体を呆然と見下ろしたのは、既に妖魔ではなく褐色の肌をした儚げな女だった。

 ボロリと大粒の涙が零れる。するとガクンと膝が折れ、女は倒れるようにひれ伏しておうおうと声を上げて泣きだした。


 人の消えた通りに、女の慟哭する声だけがいつまでも響いていた。








 ジノスが突然の悲鳴を聞いたのは、アソーギの鏡という鏡を処分せよという、首を捻りたくなる命令を日付の変る直前までこなし、そろそろ部下たちを引き上げさせようとしていた時だった。

 バケモノが出た、人を喰っていると、パニックになった住民たちと出くわしたのだ。


 全ての鏡の処分など所詮不可能な話だ。ジノスがやったことといえば、町にでて大声を上げて住人を起こし、鏡を割る様に指示することだけだった。

 警官隊の中には、一戸一戸訪ねて自ら鏡を割るという、地道な作業に挑んだ者もいたようだが、合理主義のジノスにしてみれば考えられないバカなやり方だ。


 しかしこの鏡を割るという命令が幸いして、町には軍や警察が出回っている。すぐに援軍もくることだろう。


「バケモノはどこだ!?」


 ジノスは、恐慌をきたしている群衆に向かって叫んだ。

 遂に来た、そう思っていた。妖魔復活は想定されていた事だが、やはり現実となるといくら冷静であろうとしても動揺を抑えるのは難しい。


「こ、この先に! ツーブロック先の通りに……」


 走り続け息の上がった住人の悲痛な声に、ジノスはうなずき部下に合図する。


「行くぞ!」


 ジノスは部下を率いて馬をはしらせた。


 角を曲がると、ムンと鼻をつく血臭が広がっていた。ジノスは、部下たちに停止を合図する。はるか前方に人影が見えたのだ。

 その影は助けを求めるように手をさしだし、おぼつかない足取りでこちらに向かってくる。全身が血を浴びて、月光にぬらぬらと光っている。苦しげな手がブルブルと震えていた。


「……たす……けて」


 ひどく弱々しい女の声だった。大怪我を負っているようだ。


「隊長! 負傷者です!」


 一人の隊員がさっと馬を駆り、人影の救出にむかった。その背にジノスは叫ぶ。


「待て! 引返せ!」


 嫌な予感がした。直感といってもいい。そしてその予感は、直ぐに的中することになった。


 ジノス声に振り返った隊員の首を、横なぎの一閃が刈り取っていたのだ。

 被害者の救出をなぜ止めるのですか、と問いたげな表情を浮かべたままの隊員の頭が、ゴトンと石畳に落ちた。

 一瞬言葉を失ったジノスだったが、無理やり大きく息を吸い、思いきり腹から吐き出した。


「妖魔だ!」


 首のなくなった隊員を後から抱きしめるようにして、うっとりと血を浴びる女を指差した。

 怖気を覚えるジノスたちに、女はキヒヒと笑った。その唇からゾロリと牙が生えだし、額からは角が伸びる。

 その醜悪な姿に、浮足立ちかける隊員たちを鼓舞するように叫んだ。


「行くぞ!」


 ジノスは先陣を切って駆け出した。走りながら馬上で剣を抜く。ジノスが駆け出すと同時に、妖魔も跳ねるように飛び出していた。

 瞬く間に距離が縮む。ジノスの眼前に妖魔の牙が光っていた。


 ガキン!


 鋭い音が響き渡る。ジノスに食らいつこうとした妖魔を、剣で防ぐ。

 キーキキーと耳障りな音をあげて剣に牙を立てる妖魔は、今にも剣を噛み砕いてしまうのではないかと思えた。

 ジノスは必死に押し返すのだが、ジリジリと妖魔の顔が近づいてくる。妖魔はいやらしく笑っていた。わざとなぶって、楽しもうということなのだろうか。


「ブリザード!」


 ジノスの剣がドクンと脈打った。自ら発光をはじめ、ビリビリと震えはじめたのだ。

 渾身の力を込めて、その剣を振り下ろす。途端に剣から吹雪の槍が突き出し、妖魔を跳ね飛ばしていた。


「あの、クソ魔法使いの真似なんてしたくなかったんだがな」


 とは言え、初めての攻撃技に好感触を得たらしくニッと笑う。剣に魔法を纏わせる技は、テオがキュール山で使ったものだった。


 ジノスの視線の先では、もう妖魔が立ち上がっていた。悪鬼の顔からは笑みが消えている。もう手加減は無いということだろう。

 妖魔を取り囲む隊員たちに緊張が走った。


「……小賢しや……小賢しやぁ!!」


 妖魔の雄叫びが空気を震わせた。

 その時、突如それは現れた。突然と月が陰ったのかと思われたが、それは第二の妖物の登場だった。

 ズズンと重たい音を立てて、地面に降り立ったのは妖魔の宿敵とも言うべき、髑髏の騎士だった。巨大な馬に跨り、鋭い冷気を発している。

 騎士は隊員たちに襲いかかる寸前だった妖魔の髪を鷲掴みにして、低い声を発した。


「ここから先は、我らが付けねばならない決着の時……」


 暴れる妖魔の髪を掴んだまま、グイと引き上げその顔を冷徹に見下ろした。

 その髑髏の騎士を見上げて、妖魔の顔が歪んだ。それは笑みだったのだろうが、酷く醜悪でジノスの背に怖気を走らせる程だった。


「またお前と会えた。なんという喜びか。さあ、はじめようぞ、あの狂宴の続きをなぁ!」


 イヒヒと喜悦さえ浮かべて、妖魔は笑った。騎士に掴み上げられているというのに、一欠片の恐れもない様子だ。

 唇をペロリと舐め、そして挑発するようにチロチロと赤い舌を踊らせている。


「おぞましき姿を再び晒すとは……」

「お前も、今は人外に成り果てた身……おぞましきは同じじゃぁ!」


 妖魔の長い爪が振り回され、ギギギンと騎士の甲冑に傷が走った。騎士は妖魔を取り押さえ、ジノスらを見た。


「そなたらは去るがいい」


 妖魔のことは任せろということなのだろうが、底冷えのする騎士の声音に、裏があるのではないかとジノスはかんぐる。

 とは言うものの、この二体の妖物を相手にするなど、今の頼りない戦力ではどだい無理な話である。ジノスが思いあぐねているうちに、騎士は妖魔を連れて空高く舞い上がってしまった。

 せめてと思い、騎士の姿を追ってジノスらも馬を駆った。彼らの戦いを見届けねばならなかった。




 騎馬隊の駆ける音が遠ざかる中で、屋根の上に潜んでいた人影がもぞりと立ち上がった。

 その影が、騎士が飛びゆく空を見上げてチッと舌を打つ。


「ここで暴れればよいものを……」


 鬼面のアンゲロスだった。

 騎士らを追って、アンゲロスもまた動き出した。







 夜中に突然、アインシルトのふくろうにつつき起こされ、ニコの心臓は破裂するのではないかという程の早鐘を打っていた。

 最初、アインシルトの早口の伝言が聞き取れず、訳もわからずにベッドの上で立ち尽くしてしまった。ふくろうにもう一度ゆっくりと伝言を語らせてから、ようやく何か起きたかを理解し、その顔が輝いた。

 ヴァレリアがインフィニードに来ている。ニキータも見つかった。彼らは今、ブロンズ通りにいるのだ。


 今すぐ、彼等の所へ行き守るように、というのがアインシルトからの指示だった。ついに妖魔が出現したからだ。

 ニコは直ぐさま身支度を済ませ、窓を開けた。

 ふくろうに変幻しての飛行術を使うのは初めてだ。ドキドキと緊張する胸をさすり、大きく息を吐いた。そして、一気に飛び出す。


「ベイブ! 今行くよ!」


 真っ白な翼が伸びた。風を切り舞い上がる。

 ニコは空を飛ぶ歓喜に酔いながら、懐かしいブロンズ通りへと飛んだ。


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