30 ニキータの告白2
ビオラの回復魔法でようやく傷が癒え始めた頃、ニキータは落ち着きを取り戻した。
彼の傷を癒やすことは、ビオラとしてはあまり気の進まないことではあったが、かと言って体中を真っ赤に爛れさせ苦しんでいる少年を放っておける程、冷徹にもなれなかった。
そして、彼の真摯な眼差しに惹きこまれしまっているという事実も確かにあったのだ。
月明かりの差し込む薄暗い部屋で、ニキータはヴァレリアと並んでベッドに腰掛け大きく深呼吸をする。
「ありがとう……ヴァリー、お姉さん」
少しぎこちなかったが、笑顔で二人に礼を言う。傷のことだけではない感謝だった。
「……受け入れてもらえないと思ってた……」
目を伏せるニキータに、ヴァレリアは何とも言えない愛おしさを感じる。そして、その淋しげな表情は、別のところでも見たような気がしてならなかった。
「私のこと、信じてなかったの?」
「そうじゃないけど……僕もあの人と一緒というか、もっと質が悪い嘘をついてたから……。隠し事というよりも、裏切りだもん……」
「もう、言わなくていい」
強い口調で言い切るヴァレリアに、ニキータは困ったような笑みを見せる。ちらりとビオラの方を見れば、窓辺に立って穏やかな顔をしていた。決して油断はしていないが、二人の会話は邪魔しないそんな態度だった。
ニキータは心の中でそれに感謝する。そして、もしも自分が我を失ったらきっと彼女が止めてくれると確信していた。
「騙されたなんで思ってないし、第一偽名すら使ってないじゃない。もしも、アリウスを名乗ってたら、ミリアルドでもすぐに身元が知れてしまっただろうから、隠すのは当然な自己防衛だと思うわ」
いたわるようにヴァレリアは言う。幼かった彼に罪はないと思うのだ。
「あの時はね、本当にニーカって愛称しか覚えてなくて、自分が誰かも分からなかったんだ。ここに来てから段々と思い出したんだよ」
「そうなんだ」
「アリウスを名乗ってたら、今頃どうなってただろうね……て、言っても僕、王族名なんて知らなかったんだけどね」
「王族名?」
「ミリアルドには無かったね」
不思議そうにしているヴァレリアに、ビオラが説明した。
インフィニードの王族には二つの名前があり、王族名と幼名と呼ばれるものだった。
生まれた時にまず授けられるのが幼名で、次に通常十五歳で行われる成人の儀で授けられるのが王族名だ。プライベートなどでは慣れ親しんだ幼名を使うことも多いが、成人後公式では王族名のみで呼ばれるようになる。ニキータは成人の儀を待たずに立太子された時に王族名を授けられていた。
アリウスが王族名で、ニキータが幼名というわけかと、ヴァレリアはうんうんとうなずく。彼がアリウスの名を覚えていなくて本当に良かったと思った。その名を持つ者は、たった一人しかいないのだから。
ミリアルドで見つかった王子は、すぐ様インフィニードに戻され処刑されてしまっただろう。そうならないように、テオが彼を逃がす時に記憶を奪ったのかもしれない。極普通の子どもとして生きていけるようにと。
とは言え、一兵卒であるテオが、どうしてそこまでニキータに肩入れしたのだろうかと思う。死すべきとされた王子の命を救うのは、とてもリスクが大きいはずなのだ。
ヴァレリアは、はあと吐息する。テオに、幼子を殺せるはずないことは分かりきったことだった。例え、自分の身に災厄が降り掛かってくるとしてもだ。
それにしても、兄が弟の処刑を命じるとは、いくら事情があったのだと知っていても胸が塞ぐ思いだった。
「王族名は、ご先祖らの名前の中から選ばれるんだって。僕はいつの間にか皇太子になっちゃってたから、全然覚えていないけど。どうせなら、ぼくがディオニスの名前を貰いたかったなあ」
「……なぜ?」
「何となく格好いいから」
ニキータがおどけて見せるので、ヴァレリアは少し厶っと口を尖らせた。
ゴメンと笑って、ニキータは続ける。
「僕は……兄さんが……多分、好きなんだ。王宮で一、二度会ったのを覚えてる。とても優しかった……」
「そう、なのね……」
あの傲慢な黒竜王が優しいと言うのは信じ難かったが、兄弟の間ではまた別の顔があったのかもしれない。
そしてヴァレリアは、そんな切ない笑みを浮かべて私を見ないでと、目を伏せた。
死を望まれても、その人を兄と慕うのか。そんなにも愛情に餓えていたのか、寂しかったのかと痛ましく思うのだ。
ぼんやりと遠くを見つめるように、ニキータは天井を見上げている。
「宝玉の予言は兄さんに与えられたものなんだ。亡国の王とはディオニスのこと……皮肉だよね、昔この国の礎を築いた者の名前と、滅ぼす者の名前が同じだなんて……」
「どういうことですか?」
ビオラが訊ねた。
「髑髏の騎士のことだよ。騎士の名前はディオニスっていうんだ。扉にそう刻まれてた」
困ったよね、とニキータは微笑む。
ビオラは複雑な思いに囚われた。予言などは不確かなもので、黒竜王にインフィニードを滅ぼそうなどという意志が無い以上、成就しようがないと思っていたのだ。それでも、亡国の王という、誹りに似た呼び名はひっそりとそしていかなる時も彼に纏い付いているのだ。
予言とはむしろ宿命で、個人の意志とは無関係に成るものなのだろうか。
眉を寄せるビオラを、同じく嫌な予感めいたものを感じ取ったヴァレリアが見つめる。王の意志に反して、祖国を滅ぼすきっかけとなるものは……やはりドラゴン召喚だろうかと、ため息をついた。
「一番やりきれないのは、兄さんだろうけどね……」
「それを、亡国を止める為に、テオがいるんでしょう?」
「……そうだね。あの予言は対になってるんだ。単体では成り立たないんだよ」
「対……? 亡国の王と救国の魔法使い」
ビオラはつぶやきの後で、あっと小さく声を上げる。そして、震え始めた唇にそっと手を押し当てた。
彼女の顔色が良くないように感じるのは気のせいだろうかと、ヴァレリアは首をひねった。
亡国の王は黒竜王ディオニス、救国の魔法使いはテオドール・シェーキー。この二人が対だということか。どういう関係があるのだろうと、ヴァレリアは考える。
予言故にずっと隠されてきた王と、近衛兵から下町の魔法使いになった青年との繋がりとは……
「まるで呪いのような予言だよね…」
呪いと言う言葉によって、ヴァレリアの思考は霧散してしまった。どういうことだろうと、ニキータをじっと見つめる。
「それは予言は覆せないということなの?」
「どうだろう……兄さん次第かもしれないし、運命が決めるのかもしれないし……」
「ニーカ、それじゃ、良く分からないわ……」
黒竜王がその定めによって必ずインフィニード王国を滅亡に追いやるならば、テオがそれを阻止するのも定めなのか。それでは、逃れられない対決が待ち受けているということに他ならないのではと、ヴァレリアは不安でたまらなくなる。
それも全て、予言を受けたという黒竜王ディオニスにかかっているのだろうか。
「僕も分からない。でも、直に予言の正体が現れる。その時は近いって、もう皆気づいてるでしょう?」
また、しんと静まり返った。
ニキータの言う通りなのだろう。時がくればどんなに拒もうが、容赦なく襲ってくる現実を受け入れねばならないのだ。そして、その時は近い。
ヴァレリアにはそれが恐ろしかった。テオの身が案じられてならないのだ。
「…………あの人、独断で僕を逃したりするような人だよ。甘いんだ。災いと知ってて見逃すあんな人を好きになっても、苦労するだけだよ?」
テオのことで頭がいっぱいなのを見透かすようにニキータは言う。できれば、あの人に愛想をつかして欲しいといったすねた表情を浮かべている。
ヴァレリアはクスッと笑った。
「小さな子を手にかけるなんて、テオにできやしないわ」
「………だから好きになった? でもねえヴァリー、本当にあの人でいいの? あの人、本当のことなかなかな言わないし…………かなり変態だよ」
「へ、変態って……」
思い当たるふしが無いではないが、ここはそんな事は無いとブルブルと頭を振るヴァレリアだった。
「本当に変態なんだって!」
ニキータのテンションが上がってきた。
「ヴァリーの寝顔見ながら、しょっちゅうニヤついてさ。ゴブリンのままでもいいかなあとか言って……バカだよ? 人間だって知ってても、どこの誰かも分からないどんな顔かも分からないのに、恋できるなんて普通じゃないよ。内面に惹かれたなんて言えば聞こえはいいけど、絶対あの人ゴブリンでもいけるよ」
思わず、ぶっとビオラが吹き出していた。
「ヴァリー、信じないのは勝手だけどホントにヤバかったんだから。無防備に同じ部屋で寝ちゃってさ。僕、あの人が変な事しないように見張ってたんだからね。僕のことは本気で猫だと思ってて割りと無警戒だったから、遠慮なく見張ってた」
「ニコの部屋で寝てたじゃないの!」
真っ赤になったヴァレリアの声も上ずりながら大きくなってくる。
「早めにひと寝入りしてから、この部屋に戻って一晩中見張ってたの! あの人も知ってるよ。そんなにベイブが心配かとか、オレを信用してないのかとか、不満そうに文句たれてたけど、信用できる訳ないよ。寝てるヴァリーを、勝手に抱っこして鼻の下伸ばしてんだもん。それ以上は絶対させなかったけどね!」
「やだーー!」
このニキータの大暴露を知ったらテオはどんな顔をするんだろうと、ヴァレリアは大笑いした。笑い過ぎて涙が出てくる。
ニキータとそんなやり取りがあったなんて、全く知らなかった。火照る頬を両手で隠しつつ、涙を拭った。
「……本当に変な人ね。テオって……」
「違うよ。変態なんだって」
胸が震えてしかたなかった。
テオがそんなにも自分を見ていてくれたなんて知らなくて、嬉しくて恥ずかしくて息が止まりそうな程、幸せに思った。
でも、これが事実ならあの手紙は何なのか、とも思う。
ニキータは、テオが口にする言葉に嘘はあまりない、ただ一部分隠してものを言うと言った。その一部隠していたものがこの暴かれた彼の思いだとしたら、明言された「真実はどこにもない」という言葉もまるきりの嘘ではないということだ。だが、その意味が分からない。
いつまであの手紙にこだわるのかと自分でも呆れてしまうが、知りたくてたまらないのだ。
「テオの真実って……どこにあるのかしらね」
「……それも、もう時期わかるんじゃない?」
「ニキータ様はご存知のようですね。お話しして下さいいますか?」
ビオラがそっと口を挟む。
彼女は何か含むものがある様子だった。ニキータの話から、何かを確認したいらしい。
「……えーっと、あの人が言ってた、実は近衛兵だけど勅命を受けて市井の動向を調べてる、ってのも同じなんだよ。嘘じゃないけど、真実でもない」
「テオの真似はしなくて良いですから、はっきりと」
ビオラがきっぱりと言うと、ニキータは苦笑した。
「……僕、ボコられちゃうよ」
「それはテオに? それともあなたの異母兄である黒竜王に?」
「…………両方、かな」
テオはともかくどうして黒竜王がでてくるのかと、ヴァレリアは一人首をひねっていた。
*
その者、王冠を頂きては亡国の王となる。
すなわち、インフィニード王国に終焉を告げる者なり。
またその者、精霊の力を授かりては救国の魔法使いとなる。
すなわち、祖国を安泰にする者なり……。




