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黒のドラゴンとブロンズ通りの魔法使い  作者: 外宮あくと
第三部 罪と力と代償と
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22 喰らう

 夕闇に染まった部屋に、テオは戻ってきた。

 王宮付き魔法使い達の官舎にあるその部屋は、相変わらず生活感がなくシンとして寒々しかった。

 足取りは重く、窓際にある椅子を引くとドサリと腰をかける。


 戸棚のガラス戸がピリリと震えた。


「イラついてますね……まあ当然と言えば当然ですが」


 精霊の声が笑う。

 ガラス戸の中を黒い影がさっと移動し、今度は窓ガラスがピシっと音を立てた。


「私としては、もうワクワクの展開なんですけどね」


 ピシピシと窓が鳴り、またすうっと影が横に移動してゆく。

 そして壁掛けの鏡の中で、黒髪の精霊がニタリと嗤った。


「ヤッちゃえよ……」


 鏡の中からデュークが、冷たく低い声で誘いかける。


「あの狂乱の夜の再現だ……みんなまとめてぶっ殺せばいい。手伝ってやるよ」

「……くっそたれは黙ってろ。敵はあの二人だけだ」

「まーた甘いこと言って……ユリウスは殺さない、アンゲロスだけだ、なぁんて言うつもりじゃないですよねぇ。それ、はっきり言って無理ですよ。大体ねぇ、騎士がその気になれば、この国は簡単に死人の山になるんです。そっちはどうするんです?」


 キヒヒと笑いかける。紫の目が愉快気に輝いている。


「オレが止める」

「無理でしょう」

「やるさ」

「……へぇぇ……まあ贔屓目にみて、今は魔力不足は無さそうですが……その性根がねぇ」


 皮肉っぽく肩をすくめる。

 そして猫なで声をあげた。


「ねえ……出して下さいよぉ」

「ダメだ」

「私を自由にさせれば、一発で解決できるってわかってるんでしょう?」


 テオは大きくため息をついた。

 デュークをジロリと見て、ぷいと顔をそらす。相手にならないといった顔だ。


「解決しない上に更にややこしくなる。お前は殺しがやりたいだけだろうが」


 蔑むように冷たく言うと、デュークは鏡を内部からガンガンと殴りつけてきた。

 もう我慢ならないと食いつかんばかりだ。紫の目をいっぱいに見開き、にらみつけている。ザワリと束になって逆だった髪はまるで角のようだった。


「何が悪い! この甘ちゃんのクソガキが! もう何年も喰ってねぇんだぞ! ああぁ、こっちはもうてめえを喰っちまいたくてたまらないんだ! 我慢してやってんのが分らねえか、このクソムシが! ……格段に美味そうじゃないか、そのいけ好かない面なんか特になぁ」


 テオは立ち上がり鏡の前に立った。


「間違えるな」


 静かだが、凍てつくような声。ギラギラと紫に光る目でにらみつけてくるデュークを、真正面から見つめ返す。

 そして鏡面に手を当てた。さざ波が沸き起こると、ゆっくりと手を引いてゆく。するとそれに引っ張られるようにデュークの顔がせり出してくる。その襟首をテオはガッと掴んだ。

 デュークの首だけが鏡から出ていた。その目をにらみすえる。


「オレがお前を喰うんだ」


 ギラリと光る二対の目がお互いを射る。

 そしてデュークが嗤った。


「へえ、喰いますか」

「……クソ天使どもの隠れ場所はもうつかんでるんだろう。教えろよ」

「教えたって、てめえは近づけやしない」


 一旦解放してからのデュークは反抗的だった。再び、閉じ込められたことが不満でならないのだろう。それまでの従順な態度も仮初のものだったが、もう繕うのはやめたかのようだ。

 テオは更にデュークの襟首を締め上げる。


「だから、お前を喰うって言ったろ」


 さらりと言った。

 そして言った時には、テオの指先はデュークの目に突き刺さっていた。

 人差し指と中指をまぶたの奥深くに差し込み、グリンとかき回す。

 グチャリ……と嫌な音がした。


「あぁ~あ……アンゲリキとおんなじ事をしやがる」


 デュークは薄ら笑いのまま、微動だにしない。

 ズルリと眼球が取り出された。血をまとわらせ、紐のような視神経を垂らせた目玉を、テオは顔色一つ変えずにつまんでいる。

 そして掴んでいたデューク襟首を放す。精霊はまたすうっと鏡の中に戻されていった。


「左目の仕返しなら、魔女にやれって」

「ああ、そうするのさ」


 そう言って、大きく口を開いた。デュークをにらみつけたまま、手にしたものをグジュリと噛みしだく。こぼれ出る液体もズズッとすすり、僅かに眉をしかめて全て飲み込んだ。


 デュークがウハハと笑って拍手をした。


「やりますねえ。エグいお人だ。ちょっと見直しましたよ。……でもいいんですかぁ? 人でなくなっても……」

「魔王にしたいんだろう。だったら文句はないはずだ」

「ええ、もちろんですとも!」

「お前の力を飲み込んだ。これで鏡の世界も自由に動ける。そうだろう」

「その通り」


 デュークは落ち窪んだ左の眼窩をそっと押さえて、ニッと笑う。

 そしてゆっくりと手を離すと、その目は元通りに再生されていた。


「相変わらず無茶しますね。……それに喰うこたぁないでしょう。目ん玉でも舌でも私の一部を干物にでもして、ペンダント替わりにぶら下げておけば、それなりに効果はあったんですけどねえ」


 ふふんと、いたぶるような目つきでデュークはテオを見ている。

 テオの額に汗がにじんでいた。あごを軽く突き出すようにして浅い呼吸を繰り返す。ギリギリと歯を鳴らし初め、耐え切れず胸を押さえた。

 ブルブルと震え、テオの顔が青ざめてゆく。


「……そ、そんなんじゃ……足りねえ、こと、くらい……オレに、も解る……」


 テオはガクリとひざをついた。

 アンゲロスたちを見つけ出す為に、デュークの能力を自分のものにした。だが、その為だけではない。騎士の墓所を鏡の中に封印しようとしたあの計画を、今度こそ実行するためだ。騎士を宝玉と共に永久に封印するのだ。

 そのためには、単に鏡の世界に入れる力だけでは足りない。テオはもう信用出来ない精霊を利用するのを止め、自らが動く事を選んだ。


「代償は大きいかも、ですよ」

「……だ、黙って……ろ……おおおおぉぉぉ!」


 最初は弱々しいつぶやきが、絶叫に変わった。

 テオの目が紫に輝く。


「が、があぁぁぁ!」


 叫ぶ口から牙が伸びる。胸を抑える両手の爪もズルリと伸びた。四、五センチも一気に突き出し、ナイフのように光った。

 突然、跳ねるようにテオの身体が伸び上がり、その爪がブンと弧を描いた。

 それはデュークが映る鏡を切り裂き、その首が切り飛ばされたように見えた。

 ゴトリと、鏡の下半分が床に落ちる。


「ありゃぁ、ったくやることがガキで仕方ねえ」


 鏡の断面から赤い液体がダラダラとこぼれ落ちた。血のような液体は壁をつたい床に溜まっていった。その水面にデュークの顔が浮かび上がる。


「こんなんじゃ、私、死ねないんですよぉ……解ってもらえませんかねえ。殺るときはキチンと殺ってもらわないと……」


 ヒッヒッヒと笑って、鏡の悪魔は赤い水底に飲み込まれるようにその姿を消した。



 再びテオは膝をつき、肩で息をしながら我が身を抱いていた。

 ドクンドクンと胸を突き破る、激震のような鼓動。

 無数の微細な針が、血流に乗って全身を突き刺し引っ掻いてゆくような痛み。

 だが、それよりも苦しいのは誰かの腹を切り裂きたいという強い衝動だった。


 誰でもいい、ズタズタにしてやりたい。バラバラにしてやりたい。

 どうせなら女がいい。女の柔らかい肉を噛みちぎりたい。

 そんな思いが浮かんでくると、涎が溢れだす。

 喰いたい。喰いたい。犯しながら喰っちまいたい。

 どす黒い欲望で、身体の奥底が煮えたぎる溶岩のように熱い。


 テオは大きくかぶりを振った。

 この衝動はあの鏡に住まう悪魔のものだ。自分じゃない。飲まれるな。

 テオは更に強く自身を抱きしめる。


――いいんですかあ……人でなくなっても――


 いいかもしれない……。まるで甘美な誘惑のように頭の中で木霊するデュークの声に、ふらふらとついて行きそうになる。


「ああああ!」


 長い爪が服を破り、肌を裂く。

 噛み締めた唇に牙が突き刺さる。

 人でなくなっていいわけがない。

 はあはあと大きく息を吐く。

 落ち着け、落ち着けとつぶやく。


 だが、テオの意志とは裏腹にその身体は、部屋を飛び出しギラギラと光る紫の目は獲物を捜していた。

 獣のような身のこなしでガッ階段を飛び降り、官舎を走り抜ける。

 正面玄関の先の渡り廊下に、人影を見つけた。


 テオの顔に喜悦が走る。

 視界に入った瞬間には、その人影に突進していた。

 その勢いに跳ね飛ばされた人間に、鋭い爪を振り立げた。


「な、何を!?」


 押し倒された人影が、テオの腕を掴んでうめいた。

 恐ろしいほどの剛力で掴みかかってくるテオを、必死に防いでいた。

 驚きに目を見開きそれ以上言葉を出せずにいるのは、ヨハン・クレイブ、王国公認魔法使い組合代表だった。


「クソがあぁ!……逃げろぉ!」


 クレイブの喉笛に喰らいつこうと牙をむくテオは、行動とは真反対のことを叫んでいた。





 ヴァレリアはベッドに顔を埋めて、声を殺して泣いていた。

 やはり自分はもう邪魔者で、何かの役に立つどころか目障りなだけの存在なのだと惨めな涙を流していたのだ。


 ふくろうが伝えた声はテオのものだった。

 久しぶりに聞く懐かしい声。

 しかし、その言葉はヴァレリアの胸を引き裂くものだった。

 やはり彼は、手紙のやりとりのことを知っていた。もうこれで、ニコからの連絡もこないだろう。

 彼らの身を案じることさえ、不要のことと告げられてしまったのだから。もう、自分にできることは何もない。


 暗い夜の闇の中で、ジクジクと痛む胸を抱きしめて彼女は嗚咽する。

 いっそ嫌いになれたらいいのにと思う。忘れなれないのならせめてと。


「テオ……何をしようとしているの?」


 苦しい息を吐きながらつぶやき、これも余計なお世話かと自嘲して、また涙をこぼした。

 その耳元で、ホウとふくろうが優しく鳴く。

 もうニコのところへおかえりと背をなでても、ふくろうはじっとヴァレリアを見つめつづけていた。


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