20 後悔
「邪魔をするな!」
アンゲロスの怒声が響きわたる。
ジノスの放った攻撃は直前で左右に引き裂かれて、アンゲロスの横をすり抜けていった。
その爆風が、舞い上がった砂塵を洞窟の出口へと押し出してゆき、ユリウスの姿を借りた敵があらわになる。
仁王立ちでこちらをにらみつけるその男は、やはり無傷だった。
一方、テオは獣を拘束しようとするが、繰り出す捕縛の鎖は次々に破壊されてしまっていた。
獣の力が強いのではない。テオの動揺とためらいのせいだった。
その逡巡が隙となって現れた。
猛然と獣がテオに跳びかかってくる。ギラリと牙が目の前で光った。
身をよじって避けると、耳元でブチリと音がした。
着地した獣の口に、ペンダントがぶら下がっている。ドラゴンの鱗でできたペンダントトップ。いついかなるときも肌身離さずにいたものを、あろうことかニキータに奪われてしまった。
ガリっと唇を噛んで顔をゆがめ、テオは思わず腕を伸ばして取り返そうとするが、鋭いに爪に肌を裂かれて血しぶきを舞わせただけだった。
獣はサッと飛びのいて、距離を取る。
何としても取り返さなければならない。テオは獣を追う。
が、足元に小さな影がころころと転がってきて彼を止めた。
ゴブリンのヴァレリア姫だ。
バラバラと降り注ぐ砂や石を避けながら、必死に近づいてきたのだ。
「あんたたちも行くの! お父様たちはもう避難したわ!」
テオを見上げてがなり立てた。
洞窟の崩壊は、もう待ってくれそうにない。不気味な亀裂の走る音が止むことはなく、一層激しくなっているのだ。
ヴァレリア姫は、テオの足をどんどんと蹴飛ばして、逃げろと促す。
どんなに気に入らないヤツでも、見捨てて逃げることは出来ないようだ。
彼女が腕をブンブンと振ると空間がゆらめき、まくれ上がった裾から例の薄暗い空間が見え隠れしていた。
だが、テオは逃げるわけにはいかない。
ペンダントを取り返さねければならないのだ。
「引っ込め! ドチビ!」
「バカ! 早く逃げろ!」
ジノスも目をむいて怒鳴っていた。
「うるさーい! 早くこの中に入ってたら! 私が逃げたら、これが閉じちゃうでしょ!」
「いいから行けよ! くそチビ!」
「後でぶん殴ってやるから、覚えてなさいよ!」
王女はテオに蹴飛ばされて、グワッと歯をむいた。
そしてそのまま、アンゲロスをにらみつける。
「裏切り者は大っキライよ! この大嘘つき!」
王女の甲高い声は、岩の砕ける音に負けることなくアンゲロスに叩きつけられる。
しかし、足はガタガタと震えていた。
アンゲロスはニヤリと笑った。
「大嘘つきなら、そこにもいるだろうが」
言うやいなや、紅蓮の炎が渦をまいて王女とテオ目がけて襲いかかってきた。
目を真ん丸にしてヴァレリアが飛び上がる。
「いやー! 死にたくなーい! 早く入ってたらーー!!」
ガタガタ震えてキーキーと悲鳴を上げながらも、自分だけ先に逃げることはしなかった。
チッと舌を打つ音。
テオはヴァレリアを抱え上げた。
同時にジノスが敵に氷の矢を放ち、テオもろともにカーテンの奥に突進した。
次の瞬間、炎と氷が激突し爆音が轟く。
ドガガガン!
洞窟は崩壊した。
焦燥感に駆られ、洞窟に踏みこもうとしていたリッケンの前に、炎をまとったユリウスが飛び出してきた。
爆音と地響き。
沸き立つ煙は彼を避けるように左右に別れて散ってゆく。
ユリウスの髪は逆立ち、ギラギラと怒りをたぎらせて空をにらみあげていた。
「マイヤー! 何があったのだ!」
つかみかかるように尋ねるリッケンを、ユリウスは片手で跳ね飛ばした。
数メートルを転がされるも即座に立ち上がるリッケンに、ユリウスは見向きもしない。
「ニキーターー!!」
目を吊り上げるその顔は、まるで見知らぬ者のようだとリッケンの背が凍える。
「来い! 追うぞ!」
命令の終わらぬうちに、黒い弾丸のように獣が飛び出してきた。
そしてその背にユリウスがまたがると、先ほどの騎士と同じように、空に駆け上がってゆく。
「どういうことだ……」
リッケンはまだ、ユリウスがアンゲロスそのものだということを知らない。
だが、彼が裏切ったことだけははっきりと悟ったのだった。
*
ゴブリン宮殿の大広間に、砂まみれになった四人と二匹のゴブリンが座りこんでいた。
しんと静まりかえっている。
遅れてやって来たテオとジノスは厳しい顔つきのまま黙りこみ、ニコは懸命にドリスに癒やしの光を注いていた。
ドリスの顔は血の気が無く、ぐったりとした身体はピクリともしない。
テオは膝の間に頭を抱え込むようにしてうな垂れていた。
ペンダントを奪っていった時のニキータの声を思い出す。口から発せられた声ではなかった。あれは、獣の中に封じられたニキータの心が発した声だと、テオは思う。
『……僕のことも、アイツのことも、殺す気でやらなきゃ止められないよ……』
胸に突き刺さる言葉だった。
自分の甘さは自覚している。
まだ少年である元王子や、長年の親友を殺すことなど自分にはできないだろう。
例え中身がアンゲロスと解っていても、その姿は確かにユリウスで、まだ彼の心も残っているのではないかと期待してしまう自分がいる。
アンゲロスは消し去ったと言ったが、その望みを捨てきることはできなかった。現にニキータの心は今もまだ生きているではないかと。
しかし、自分の甘さ、友を信じたいという思いのせいで、騎士を封印するどころか解き放ってしまい、ドリスに深手を負わせてしまったのも事実だ。
これをどうあがなえばいいのか。
後悔が渦巻き途方に暮れて、テオは大きくため息を吐き出す。
「辛気くさいわね、あんた!」
ゴブリンのヴァレリア姫が、宣言通りにテオの頭を思い切りぶん殴って言った。
「落ち込んでる暇なんか無いはずよ。この人が死んでもいいの? 騎士を追わなくてもいいの? 早く自分たちの国に帰って、やることやらなきゃならないんじゃないの? 後悔なんて何の役にもたたないわ!」
両手を腰に当てて説教を始めた。
しかし、テオを見る目は優しげだった。まるで何があってもあなた達の味方だと言うかのようだ。
テオはヴァレリア姫をじっと見つめた。つい、胸の奥にいる女性を思い出してしまう。彼女もきっと同じように言うのではないかと。
「……ヴァレリアって女は、気が強いって決まりでもあるのか」
「なんの話よ」
肩をすくめる王女を見て、テオはようやく薄っすらと笑った。
いや何もと目を逸らして、ドリスに懸命に癒やしの光を与えているニコに問いかけた。
「どうだ。お前でなんとかなりそうか」
「……いいえ、早く医者やアインシルト様にみせた方がいいと思います」
すがるように自分を見つめるニコに、テオは目を合わせることができなかった。ジクジクとまた胸が痛む。
ドリスを引っ張りだしてきたのはユリウス、いやアンゲロスだった。はじめから彼女を利用するつもりだったのかもしれない。
それに気付きもせずにいたバカな自分のせいで、彼女をこんな目に合わせてしまったと思うのだ。
だが悔やむばかりでは何も解決できない。
――どうする。どうやって切り返す。考えろ。考えろ……
テオはグッと拳を握って目を閉じた。
重苦しい沈黙をジノスの声が破った。
「……一つ聞くが、お前は何者なんだ」
鋭い目でテオを見ている。
「情報は開示してもらわないと、こっちだってどう動けばいいのか迷うってもんだ」
「迷う必要なんかない」
薄目を開けてテオが答える。
少しうざったそうな表情で、ジノスをチラリと見た。
「……リッケンの指示に従えばいい」
「今ここにはいない。……ウズウズするんだよ。リッケン閣下にしろ、アインシルト様にしろ、腹に何か含んでいるくせに、素知らぬ顔で命令するだけだ。お前は黙って言うこと聞いてろってな」
「それで問題ないはずだ。上下関係とはそういうものだ」
「だが、お前は俺の上司じゃない。だから答えろよ。てめえ、何者なんだよ」
さあ、答えろと詰め寄った。
「…………テオドール・シェーキーさ」
「ふざけるな」
ジノスはテオの襟首を掴みあげた。
「だったら、質問を具体的にしてやる。お前は黒竜王の何を知っているんだ。言え、隠すな!」
「ただの傀儡さ。前にもそう言った」
「ムカつく野郎だなぁ。なら、俺の推論を話そうか。お前は王宮の地下でも迷わない、扉を開けることもできる。そして恐らくいつでも自由に王と会うこともできるんだ。お前は黒竜王の……」
「おおおぉ! 意識が戻ったか!!」
突然ゴブリンの王がジノスをさえぎり、大声を上げた。
全員の視線がさっとドリスに集中する。
彼女の頬には若干赤みがさしたようだったが、やはりじっと動かないままだった。
「うむ、今ピクリと動いたんじゃが、まだ目覚めんか。とにかく早く戻ってきちんと治療してやったほうがいい。我らゴブリンの薬では人間は治らんじゃろうしなあ。そこの軍人!」
ゴブリン王は、ジノスに呼びかける。
話の腰を折られて文句を言おうとしていた彼に先制した。
「お前は、外にいる仲間たちに山を下りるように伝えよ。むやみに我らを探し回れば、余の魔法でこの山に中に閉じ込められてしまうが、帰還する分には問題ないとな」
「オレたちも行くか」
立ち上がり、テオはポケットから鏡を取り出す。折りたたんでいた鏡をひらくと、すぅっとドアが浮かび上がってきた。ドリスを抱きかかえ、ニコにドアを開くように命じた。
「待てよ!」
まだ話の途中だと声を荒げるジノスを、ゴブリン王は「さあ早う!」追い立てる。
ヴァレリア姫が、何もない空間を不意にめくり上げ、さああなたはこっちよと目配せしていた。
「なんだよ……俺だけ仲間外れか? おいコラァ! 絶対聞きだしてやるからな!」
ジノスの声を背中で聞きながら、テオはドアの向こうに消えていった。
パタリとドアが閉まると、一瞬で消えてしまった。
憎々しげにチッチッと舌を鳴らすジノスの足を、ゴブリン王は笑いながらポンポンと叩いた。
「聡い奴ほどうるさがれるのが、世の常というものだろう。さあ、お主も行け。そしてこのゴブリンの国のことは忘れるがいい」
大きくため息をつき、ジノスは王女に伴われてリッケン達のところへと戻っていった。