19 髑髏の騎士
アンゲロスが指にグッと力を込めると、ドリスの喉がかすかにゴリッ音を立てた。
魔物の唇が、地の裂け目が広がるように釣り上がってゆく。
「解るだろう? いつでもへし折れる」
いやらしく嗤った。
苦悶するテオをあざ笑うその顔はひどく歪んでいる。かつて二人が友と呼び合った頃には想像すらできなかった醜悪さだ。
アンゲロスは声を限りに叫ぶ。
「ニキータ!」
バン! と破裂音がして、固まっていた黒い獣が発光した。
次の瞬間、獣は少年に戻る。
呆然と口を半開きにし、だらりと両腕を垂らして立っていた。異様に脈動する瞳はそのままで、テオを見つめている。
「ニキータ。お前は扉を開く鍵だ。さあ、髑髏の騎士を解き放て!」
少年はふらふらとアンゲロスに近づいてゆく。
まるで操り人形だった。言われるがままに、扉に向かってゆく。
王宮の騎士の間が、王家の血を受け継ぐ者またはその許しを得た魔法使いのみしか近づけず、入室もできないように、この岩壁の奥に入るにも王家の血筋が必要だったのだ。
またしても、ニキータはアンゲロスに利用されてしまうのだ。
「止せ! ニキータ!」
テオが腕を掴もうとすると、バリバリと電撃が走り、弾き飛ばされた。
「捕縛!」
すぐさまジノスが拘束の魔法を放つ。槍のように鎖が飛び出し、ニキータの足に絡んだ。が、一瞬で粉々に散ってしまう。
傷つけないように手加減していては、彼を止めることは出来そうにない。
しかし、人質も取られている。テオもジノスも、全力を出すわけには行かなかった。
ニキータは歩み続け、アンゲロスに促されるまま石扉の前に立った。
「やめるんだ、ニキータ!」
飛び出すテオの前に、アンゲロスはドリスを突き出す。
彼女の顔は蒼白だった。
結った髪が乱れ、ぐったりと動かず目を閉じていた。
ぐぐうとテオが喉がなると、今にも発射されそうになっていた手の平に光る光球が、すうっと消滅していった。
「さあ、ニキータ。扉を開け」
ニキータはその声にカクカクと震えて反応する。手首を唇に押し当てた。
そして、グワッと牙むき手首を噛みきった。
溢れだす血潮を、ビシャリとレリーフに叩きつける。
「ア、アリウス・ニキータ……僕は、あ、貴方の血を継ぐ者……いでよ。かつて狂戦士と恐れられた、伝説の騎士よ」
少年が無機質な声でつぶやいた。
レリーフの騎士の目が、ルビーの目がギラリと光った。
ゴ、ゴゴ、ゴゴゴゴ……
重い石扉が地響きのような音を立てて、ゆっくりと開いてゆく。
ああぁという絶望的なテオのつぶやき。ギリギリというジノスの歯ぎしり。そして粗いニコの息づかい。扉が開く音に全てかき消されていった。
ゴゴゴゴ……
扉が徐々に開いてゆくと、ゾッとする冷気が溢れだしてきた。氷水がドウドウと流れ出てきたようだった。
その冷気の源は、扉の奥深く真の闇の中にいる。
一抹の光も通さなかった厚い石の扉が、長い年月を経て今開かれた。
ガクガクとニコの足が震える。その後ろでも小さなゴブリンたちが、自身を抱きしめるようにしてブルブルと震えていた。
ゴブリン王がゴクリと唾を飲んだ。決して開けてはならない扉が開いてしまったのだ。
闇の中で、何かが蠢いた。
ピリピリと空気は緊張し、誰も動けない。アンゲロスの瞳だけが歓喜に輝いていた。
ブルルル……ン ジャリ ジャリ
馬の低い呼吸音とヒヅメが土を掻く音が、闇の中から届いてくる。
カッと赤い光点が二つ灯った。闇を貫く光が、洞窟内の者達を射るように見据えている。
「愚か者たちめ……」
地を這うような声。溢れ出てくる冷気よりも更に冷えきった声だった。
アンゲロスは歯をむきだして嗤う。
ニキータをドンと突き飛ばし、闇の手前で仁王立ちになる。
「さあ、出てこい! 貴様の力を我に与えよ!」
「やめろーー!」
テオの剣がアンゲロスの背に斬りかかる。
と、同時に爆音が轟いた。
ドガン!
凍てついた空気の塊が、突然闇の中から飛び出してきた。
凄まじい圧力に、その場にいた者は皆、十数メートルも吹き飛ばされていた。
モウモウと砂煙が上がる。
その霞の向こうから、髑髏の騎士の雄叫びが上がった。
「うおおおおぉぉぉ!」
激しい怒りのこもった声だった。
急勾配が少しなだらかになった。
リッケンは思わずホッとため息をつく。そして顔をあげた時、洞窟の入口を発見した。
ここかと独りごちると、一気に坂を駆け上った。
その時、地面を震わせるような雄叫びが洞窟から流れてきた。リッケン一行に緊張が走り、ドッと洞窟目指して走った。
内部に一歩踏み込んだところでリッケンは叫んだ。
「どうなっている! ジノス、いるのか!」
その途端、声がピタリと止んだ。
そして、薄暗闇の中からジノスの返事が返ってきた。その声は少し掠れていた。
「いますよ……全員。そう……アンゲロスも、髑髏の騎士も……ね」
「な……んだと」
驚愕するリッケンにも、穴の奥で赤く光る双眸が見えた。
砂埃がおさまり、巨大な馬に跨る騎士の姿がぼんやりと浮かび上がったのだった。
子どもの頃に聞かされた伝説の通り、血肉を失い骨だけになった騎士だった。髑髏にうがたれた二つの眼窩の奥に、瞳のように赤い光が点っているのだ。
リッケンの息が止まった。
髑髏の騎士が目覚めてしまった。テオは失敗したのかと愕然としていた。
騎士が剣を振り上げる。それは異様な剣だった。斧のような厚みを持つ両刃の長刀。怪しい紫の光をギラギラと放つ妖刀だった。
「死すべし!」
馬が駆け出し、迷いも容赦もなく剣を薙いだ。
その切っ先が、辛うじて避けたアンゲロスの髪を一房宙に舞わせ、テオのシャツを切り裂いた。洞窟の岩壁にガギギと擦ると、返す刀でジノスの剣を薙ぎ払っていた。
馬は更に出口に向かって駆けてゆく。
ガッガッガッ!
「おおぉぉぉぉ!」
「くそ!」
アンゲロスはドリスを投げ捨てて、後を追う。逃してなるものかと騎士めがけて炎の大蛇を放った。
だが、それはいとも簡単に妖刀に切り落とされた。
テオとジノスも、急いで後を追う。
炎の魔物は騎士を力を得るために、テオたちは騎士を再び扉の奥に封じる為に。どちらも必死だった。
髑髏の騎士がぐるりと振り返った。
紫の火花を散らす妖刀を、追いすがるアンゲロスの頭上に振り落とす。それをかわされると、続けざまにテオを両断しようと、渾身の一撃を振るう。
ガキン!
障壁と自らの剣で防ぎはしたが、あと一瞬遅れていればテオの首は飛んでいただろう。
髑髏の騎士にとっては、敵も味方もなかった。近づく者には等しく死の制裁を下す。見境などなかった。
「テオドール!」
思わずリッケンが叫んでいた。
騎士がその声に反応し、彼をにらんだ。
ギクリとリッケン麾下たちに動揺が走る。
「逃げろ、リッケン! くるんじゃない!」
ガクリと膝を折ったテオが叫ぶ。騎士の攻撃を受けとめた衝撃で、ビリビリと身体が震えていた。
髑髏の騎士は再び、外の光に向かって馬を駆る。
リッケンと部下たちは、その勢いに騒然となった。騎士はあっという間に目の前に迫ってくる。
わあっと声を上げて、彼らは洞窟の外へと走り出た。
アンゲロスが悪鬼の相となる。ギリギリと歯を鳴らして叫んだ。
「ニキーターー!! ソイツらを殺せぇ!」
少年は再び獣に変じた。そして、テオの前に立ちふさがる。
その間にアンゲロスは騎士追いすがった。
リッケンらは外に出ると即座に散らばり、各々木や岩陰に身を隠した。
次の瞬間、騎士が洞窟から出てきた。
手綱を引き、馬を止める。そして、空を見上げた。
澄み切った蒼天。騎士にとって、千と数余年ぶりに見る美しい空だった。
ゆっくりと首を回して空を眺め、そして雪を頂くキュール山の先端を見つめる。
「お前たちは……」
騎士はなぜか悲しげにつぶやく。
「この空を、大地を血に染めようというのか……」
赤い瞳をギンと光らせ、背後に迫ったアンゲロスに向き直る。
「愚かなり!」
怒声と同時に雷撃が放たれていた。とてつもない轟音と閃光だった。
アンゲロスを襲った雷撃の衝撃波は、洞窟の内部にも猛威を振るっていた。連鎖反応を起こすように、内部では爆発音が鳴り響いていた。洞窟がガラガラと崩れ始める。
リッケンたちの足元の地面もビリビリと震え、まるで地震のように山全体が揺れていた。
「こっちだ! 早くねげねば皆潰されるぞ!」
ゴブリン王がニコに叫び、細い通路を指差した。ここに来る時に通った、あの狭い通路だ。
急いでニコはドリスを抱え上げる。
「ちょっと、あんたたちも早く!」
王女は黒い獣とにらみ合っているテオとジノスに叫んだ。頭上の岩に亀裂が走り、バラバラと砕けた破片が無数に降ってくる。
「行け、ジノス」
「そうもいかんだろう……見ろ、ヤツは無傷だ」
崩れ落ちてくる岩と立ち込める土煙の向こうに、障壁に守られたアンゲロスがチラリと見え隠れしていた。
しかし、アンゲロスに攻撃しようとしても、目の前にはニキータである黒い獣が立ちはだかり、その上洞窟は崩れかけている。
テオはギリギリと奥歯を鳴らした。
「ニキータ、オレが分からないのか?」
精一杯優しいく語りかけるが、獣がグルルと唸るばかりだった。そしてジリジリと近づいてくる。
「テオさん! ダメです。早く逃げないと!」
「先にいけ!ドリスを頼む」
「テオさん!」
振り返らず怒鳴るテオに、ニコは更に呼びかけ連れ戻そうと飛び出した。
が、その足をゴブリンたちが引き止める。
「お前はその女性を守るのが役目だ」
ゴブリン王に言われて、ニコはグッと拳を握りしめた。後ろ髪を引かれた。しかし、王にしたがってドリスを抱えて通路へと入っていった。
「ブリザード!」
ジノスが叫ぶ。
阻止しようとする獣をテオが抑えた。
凍てつく吹雪が巻き起こり、アンゲロスに向かって一直線に突き進んでゆく。
洞窟の外で身を隠していたリッケンらは、騎士が洞窟を破壊するのを愕然として見ているしかなかった。山は震え、木々がザワザワと葉を鳴らしていいる。
強烈な一撃を放った後、馬がガッと地面を蹴った。
大きく飛び上がり、そのまま空中を駆け空高く登ってゆく。
ゴウっとうなりをあげて、髑髏の騎士を乗せた馬は天空の駆けてゆくのだった。
為す術もなく、リッケンはそれを見送った。
「あれが髑髏の騎士……まさに鬼神だ」
洞窟からはモウモウと砂煙が溢れ出てくる。
この中には、まだアンゲロスそしてテオたちがいるのだ。
一体、今何が起こっているのかと、リッケンの眉間に深いシワが刻まれた。