15 思惑
テオはギロリとゴブリン王を見下ろす。
「……オレたちは、そのある御方とやらに用があるんだ。だから邪魔はやめてもらおう。解除できると言ったな。さっさとやってもらおうか」
「なるほど、これはますます行かせてはならんようだな」
仁王立ちで言い放つテオを、王は飄々とした様子で見上げている。
うんうんとうなずきながら腕を後ろ手に組み、テオ達の前をゆっくりと右へ左へと移動する。長い年月を生きてきたと思われるゴブリン王にとって、テオの意気がった態度など子供がダダをこねている程度のものかもしれない。
「おい!」
テオが怒鳴ると、王の目がギラリと光った。
「我らは守り人の役を負うているのだ。それこそ命を張ったな」
それまでの緩い空気が一変しピンと張り詰めた。
王の威厳と使命を持つ者の強い意志のこもった一声が、その場の雰囲気と瞬時に変えたのだ。誰も通さぬという気迫がテオそしてニコ、ユリウス、ドリスにも伝わってくる。
ニコの喉がゴクリと鳴った。交渉をこのままテオに任せて良いのだろうかと、ユリウスをちらりと見やった。
しかしユリウスはニコには目をくれなかった。成り行きを見守る、そういうことのようだ。この圧力に屈しない、いやはねのける豪胆さをテオが持っていることを、彼は知っているのだ。
「お役目ご苦労だが、今オレたちを通さなかったら後悔するぜ」
ゴブリン王とテオ、二人の強固な意志がぶつかり合った。
緊張した空気の中、テオの声が一段低くなる。ゾワリと肌が粟立つ、そんな声だ。
ニコの心臓がドキリと脈打った。前にもこんな声を聞いた気がするのだ。そして、不穏な展開を見せるのではないかと不安が押し寄せてくるのだった。
ゴブリン王が、フッと笑う。静かだが不気味な不敵さを含んだ声が広間に響く。
「強行手段にでると?」
「おお、そうさ」
テオがすっと腰を落として、王に向かって右手を伸ばす。
火炎魔法の予備動作だ。この至近距離で放つというのだろうかと、ニコの鼓動はより一層激しくなる。荒事は避けて欲しい。だがユリウスは動く気配がなく、ドリスも顔を曇らせているが止める気配はない。
テオお得意の単なるブラフなんだろうか。
ゴブリン王の眼前で、右手が大きく開かれた。テオの唇が呪文の一文字目を紡ぎだす。
あっ! と叫んで、ニコはテオの腕にしがみついた。
「テオさん! 止めて下さい!」
「少年! 彼の腕を離せ!」
意外なことにゴブリン王は、テオではなくニコの行動を制止した。
鋭い声がテオの呪文も止めていた。じっとテオの右手の平を凝視している。
信じらねぬといった顔だった。
「お主、その手の紋様は…………なぜそれを……?」
「これがどうした」
「それに……鏡像だな……」
王は目を細めて、紋様を見つめている。
それは、王宮の地下にある騎士の間でのことだ。宝玉が奪われて空になった台座に、突然と手を吸い付けられた時に付いたものだ。台座を飾っていた紋様が、そっくりテオの手に焼き付いたのだ。その為、本来の紋様とは左右逆転している。
これに気付くということは、ゴブリン王はこの紋様を熟知しているということになる。
テオはほほうっと息を漏らし、攻撃しかけていた手をだらりと下げた。
「その通りだ」
「……名は何と言ったかな?」
探るような王に、テオは冷たい視線を投げかける。そして含み笑いを浮かべた。
「アリウス・ニキータ・ファン・ヴァルディック」
「……嘘はいかんな。その方は亡くなったはずだ」
「の、代理だ!」
どうだ参ったかと、腰に手をあてふんぞり返る。ニコの身体からドッと力が抜けた。攻撃はやはりブラフだったようだ。
「代理、とな……ふむ……」
ゴブリン王は神妙な顔で、射るようにテオの瞳を見つめる。真実を見定めようとする真っ直ぐな視線だった。
その頭の中で、テオの持つ紋様と先のインフィニード王の第二王子の名を出してきた意味を考えていた。
なぜ死者の名を騙るのか……あの噂は本当だったのだろうか。第二王子は生きていると……。
王は目を逸らさずに更に問いかける。
「黒竜王の指示でこのキュール山に来たのだろう?」
「そうさ」
「……王がご自身で来られればよろしかったのに」
「オレもそう思う」
テオはニヤリと笑った。
*
自室の窓辺に立つヴァレリアは、手紙を読み返していた。
ニコとやりとりした手紙を、順を追って何度も繰り返し読んでは切ないため息をこぼしていた。三人で過ごした日々は、懐かしくも遠い思い出になり、二度と戻らないのだと目をうるませる。
最後の手紙には、大事な仕事があってテオと共に王宮を出ていると書いてあった。
何があったのかとても気になっている。本当は何の仕事なのか聞きたかったが、ただ「気をつけて」とだけ返事をした。
いつものニコなら、詳細は省いたとしても何の仕事かくらいは教えてくれていただろう。それをしないと言うことは、本当はヴァレリアに知らせてはいけないことであり、また外部に知られてはならない重要な仕事であることを示していると察した。
だから、何も訊けかなった。
もしかしたらテオは、この手紙のやりとりを知っているかもしれないとヴァレリアは思っている。それなら、しつこく彼の事を尋ねたり、詮索したりしたら余計に嫌がられるのではないかと思いつめてもいた。
何事も無ければいい、そう願うことしか出来ない。
テオやニコの力になりたいと心から思う。今すぐにでも彼らの所に飛んでゆきたいくらいだった。しかし、必要とされず、足手まといになるかもしれない。そしてテオは自分を歓迎はしないだろう。
キュンと胸が痛んで、ヴァレリアは手紙を抱きしめる。
こうやって気を揉むことしか今はできない。早くニコからの手紙が来ないかと、再び空を眺めるのだった。
コンコン。
ドアがノックされた。
「どうぞ」
答えると静かにドアが開き、お付の侍女が頭を下げた。そして、背後にいた女を室内へ誘う。
ヴァレリアが、あっと小さく声をあげると、その女はニッコリと笑った。金髪のグラマラスな美女には確かに見覚えがある。
「お久しぶりです。と言っても、今のヴァレリア姫にお会いするのは初めてですけれど」
親しげに微笑んでから、恭しくお辞儀をした。アインシルトの弟子の一人、ビオラだった。
彼女とは、初めてインフィニード王宮に行った時に出会い、ブロンズ通りでテオの帰りを待っていた時に話して以来だ。あの時は、まだゴブリンのままだった。
「ええ! 久しぶりだわ。怪我をしたと聞いてたけど、もう大丈夫なの?」
ヴァレリアはパッと顔を輝かせて、ビオラに駆け寄った。友と呼ぶほどに親しい訳では無かったが、ヴァレリアにとってインフィニードで出会った数少ない信用できる人物だった。
「ありがとうございます。もうすっかり良くなりました。魔力も元に戻り、こうして仕事を仰せつかる程に」
「良かったわ。でも、急にどうしたの? ミリアルドに来るなんて」
彼女に会えたことに、喜びと同時に驚きも感じた。久しぶりだから会いに行こうと思うような間柄ではない。何か用があるはずだ。
「アインシルト様から、姫の警護を申し付けられたのです。フィリップ殿下も快諾して頂けましたのでこうして参った次第です」
「警護?」
ヴァレリアは首をかしげた。
何故、自分が他国の魔法使いに警護されなければならないのか、良くわからなかった。ゴブリンだった時は、知らぬこととは言え魔女の切り札を握っていた為に拐われたこともあったが、今は狙われる理由はないはずだと思うのだ。
「どうしてアインシルト様はそんなことを?」
「黒竜王のご命令でもあるのです」
「……?」
ますます分からない。インフィニードを去る時、追い出すような態度であった王が、何故自分を守ろうとするのか。婚約も破棄になった。執着などあろうはずもない。守る理由がないではないか。
ヴァレリアは怪訝な顔で、ビオラの顔をのぞき込む。
「訳がわからないわ」
「これは陛下がご推測なされたことですが……姫は『破魔の巫女』の力を持っておいでですね?」
「…………」
「フィリップ殿下は黒竜王との会談の折に、ヴァレリア姫を国の宝だと仰ったそうです。そして、あのアンゲリキに手出しさせず、意図しないにもかかわらずテオの左目を取り返せたのは、『破魔の巫女』の力がある故とお考えになり、姫の警護をお申し付けになられたのです。姫が再びアンゲリキに狙われることをご懸念されているのでしょう」
ビオラの言葉を静かに聞いていたヴァレリアは、彼女に椅子を勧める。そして小さなテーブルを挟んで自分も腰掛けた。
質問には肯とも否とも答えずに、物憂げに窓の方を見やった。それからゆっくりと返事を待っているビオラに向き合った。
「……例えば、私が魔女に捕まったとしても、黒竜王には関係のない話だと思うけど」
「そんなことは無いですわ。魔女たちが貴女様の力を悪用しないとも限らないのです。そうなれば、インフィニードもミリアルドも大変なことになってしまいます。……第一、貴女が拐われたらテオが怒り狂うわ」
ビオラは最後にクスッと笑った。そして、いたずらっぽくウインクをしてみせる。
途端にヴァレリアの顔が朱に染まる。自分とテオのことが、一体どこまで広まっているのかと、急に恥ずかしくなってきた。しかもビオラは何か勘違いをしている。
テオは別れを突きつけてきたのだ。今更、自分のことを気にかけるだろうか。もしも心配するならば、それは黒竜王と同じように、インフィニードを思ってのことではないだろうかと思う。
しかし、捉えられていた繭から救出された時のことが思い出されてならない。テオは小さなゴブリンだった自分を抱きしめてくれた。優しい声で「お帰り」と言ってくれた。あの時の彼に嘘は無かった……。
ヴァレリアは、はぁとため息をこぼした。
「兄があなたを王宮に入れたということは、もう秘密にしなくてもいいってことね。……黒竜王の推測は正しいわ。私は生まれながらに『破魔の巫女』の力を持っているらしいの。自分ではよく解らないけどね」
自分のもの思いとは別の所で何かが動き始めている、ヴァレリアはそう悟った。
アンゲリキの動向や黒竜王の思惑によって、望まぬ働きを要求されるのであろうと。自分の持つ「力」を求められて、道具にされるかもしれない。
ヴァレリアはそれでも構わないと思った。自分が役に立つならそれで良い。
だが、テオにまで影響が及んで欲しくはない。彼は自分以上に困難を突き付けられるのではないかと、不安に思うのだ。
黒竜王はテオを意のままに扱うことだろう。しかし彼は操り人形ではない、解放して欲しい、と切に願うのだった。
今まさに、その困難に直面しているのではないだろうかと、背筋がゾクリとした。
ヴァレリアは、また窓の外を見つめる。ニコのふくろうはまだかと、焦れる思いだった。