12 深山
さわさわと涼やかな風が吹き、茂みの葉を揺らしている。
テオは小首をかしげたまま、じっと考えこんでいた。薄暗闇の中からこちらを伺っていた小さな光る目、あれは人のものではなく、動物のものでもなかった。
「お前、オレが頼んだ件は調べてくれたのか」
隣に立つユリウスの顔を見ること無く訪ねる。
「……どの件だ。色々注文が多すぎて何の話か分からんぞ」
「このキュール山を住処にしているらしい、チビ妖精のことさ」
「ああ、ゴブリンか。お前が知っていること以上の情報はないさ。不確定な噂がひとり歩きしているだけだ。いたのか?」
「んん……これも不確定だがな」
ニコとドリスが二人に近づいてきた。背の高い男の二人の陰から茂みを覗きこむ。ドリスは首を捻った。
「ゴブリン? 彼らの地下帝国への入り口がこの山の中にあるって話のこと?……こんな登山道の途中にあるなら噂じゃ済まないわよ? とっくに見つかってるはずだもの」
「ドリスの言うとおりだ」
ユリウスはしゃがんで茂みをかき分ける。ただの木だった。地面に穴があるわけでもない。
テオはチッと舌を鳴らした。
「入り口があるなんて言ってない。ゴブリンっぽいヤツがいたように見えただけだ」
「なぜゴブリンだって分る? 動物かもしれないぞ」
「それはない。ただ覗いてたんじゃないんだ。さっき言ったろ」
テオの言っている意味が、ニコにはよく分る。あれは動物ではなかった。ただの動物にあんな真似ができるとは思えない。
「あの……透明なカーテンの裾をめくるように、この辺りの空間? がめくれて……なんていうか『アチラ側』から、何かがこっちを見ていたんです……」
これ以上どう説明したらよいのか分らない。
テオはウンウンとうなずいていた。
「そう、オレのドアの魔法に似ているな。カーテンの向こうはゴブリンの国だと思うぞ。ということは、入り口はそこかしこにあるとも言えるな。カーテンさえあればそこが入り口だ。こっちからの侵入は難しそうだがな」
なるほどなとユリウスがうなずく。
「噂が不確定なのはそのせいか。しかし、私たちはゴブリンに用があるわけじゃないからな、放っておいても問題はないだろう」
「ヤツラがちょっかいかけなきゃな」
「……朝からなんとなく視線を感じると思ってたんだが、ずっとゴブリンに観察されていたということか」
「……ユリウス、そういうことは早く言え」
「ほお、お前が気付いてないとは思いもしなかった。意外と鈍か…」
テオはユリウスが言い終わらぬうちに、ぐるりと回りを見渡して大声をはりあげた。
「見ているんだったら姿を現せ!」
ニコも周囲に視線を走らせ、ドリスもさっと後ろを振り返る。
そして数秒。風が静かに葉を揺らすサワサワという音が聞こえるのみで、何も変わったことはおきなかった。
「じゃ、行くか」
ふんと鼻を鳴らしてテオは歩き始めた。
*
一行はそのまま登山道を少し登ってから、いよいよ東に道を逸れることになった。道なきところを下りってゆくのだ。
テオは雪ならぬ藪のラッセルをかってでた。下草を踏みしめ低木をかき分け後続の為に枝葉を払いながら、どんどんと下っていった。なるべく足元を確認しやすいところを選んではいるようだが、歩きにくいことこの上ない。
四人は黙々と歩き続けた。勾配が急になり、足を滑らせたドリスが先頭のテオに激突するというアクシデントを繰り返しつつ、着実に下ってゆく。
下り初めてかなり時間が経った。
日が高くなりもう昼近くになっているだろう。しかし、坂はまだ下っている。ハアハアと息を切らしながら、なおも下ってゆくが傾斜が上りに変わることはなかった。
地図通りなら、もうとっくに急激な上りになっていても良いはずの距離を歩いている。それなのにテオの目に映るのは、まだまだ続く下り斜面だった。
ニコとドリスの疲れきった溜息が聞こえてくると、テオは立ち止まった。そして後ろを振り返る。
「ユリウス、オレは確かに東に向かっているよな?」
ユリウスはポケットから磁石を取り出す。
「ああ、正確に真東だ。……だが、おかしいぞ。どこまで下るんだ」
テオは皆に手のひらを広げ、地図を見せた。登山道から東に逸れたところに赤い点が灯っている。それが現在地なのだろう。赤い点は、下り斜面の最深部の少し手前の地点を示している。直に上りになる地点であるはずだ。
だが、テオは眉間を寄せる。三十分以上前にも一人地図を確認していたのだが、その時から赤い点は全く移動していないのだ。
くるりと背を向けて、テオは歩き始めた。
うんざりしたようにドリスが後に続くと、テオは彼女に向かって手のひらを突き出して制止した。
「お前たちはここで待っていてくれ。少し先を見てくる」
と、一人で跳ねるように下りてゆく、あっという間に姿が見えなくなった。
ユリウスを振り返ったドリスが訪ねる。
「何がおかしいの?」
「下りが長すぎる。方向を間違えているわけでもないのに、どこまでも下り続けるなんて異常だ」
ドリスはふらふらとしゃがみこんだ。急な不安に襲われたせいもあるが、下ってばかりで膝がガクガクになっていたのだ。ニコもその隣にすわってため息をついた。
「僕もいやに長い下りだなとは思ってたんですけど……」
「……テオは大丈夫かしら。一人で行ってしまって」
二人の後ろに立つユリウスは落ち着いた声で言った。
「私の勘が正しければ、すぐに戻ってくる」
そして、自分たちが今下ってきた坂の上を眺めた。つられて、ニコとドリスも見上げる。そして顔を見合わせて首を捻った。何故、戻ってくると言って後方を見るのだろうと。
「座って待つとするか」
そう言って、ユリウスは二人を手招きした。少し傾斜がゆるやかになった場所に倒木があり、うまい具合に椅子の役目を果たしてくれていた。ニコとドリスはその木に腰掛け、ユリウスはすぐ横の岩にもたれた。
鞄から水筒を取り出し、一口飲むとニコに向かって放った。
「あ、どうも」
「訊くかどうか迷ってたんだが……お前、両親はいないのか?」
穏やかな声で尋ねた。
自分の飲み物を飲んでいたドリスが、チラリとユリウスを見て眉をひそめる。アインシルトの弟子になる前、ニコはテオと暮らしていたと聞いている。それももう四年も前からだという。
貴族や金持ちを専門に受け入れる金獅子地区の魔法使いや、アインシルトのように有名な魔法使いは、弟子を屋敷に住まわせることもあるが、町の魔法使いが住み込みの弟子をとることは殆どない。大抵は通いなのだ。
だから当時十一歳だったニコがテオとともに暮らしていたということから、孤児なのだろうとドリスは察していた。ユリウスもそう分かって質問しているように思えて、わざわざ話題にしなくてもいいのにと思ったのだった。
「はい。両親はずっと前に亡くなりました」
ニコはさらりと言った。事実をそのまま口にすることに、抵抗は無かった。悲しみは無くならないが、両親のことを話すことに痛みを感じるのはわずかだった。時間と何よりテオが癒してくれたのだ。
「七年前のことです」
「……そうか。あの夜のことだな」
「はい」
ニコが形だけ笑うように答えた。少しの沈黙の後で、ユリウスが静かな声で言った。
「ドラゴンを召喚した黒竜王を恨んではいないのか?」
「……え?」
「町が焼かれた。両親もその犠牲になったんだろう?」
途端に、ゴウゴウと燃え上がる家をニコは思い出した。
両親は眠っていたニコを叩き起こし、逃げるように叫んだ。
すでに家の中は火の海で、前に進むこともままならない状態だった。父が窓ガラスを叩き割り、母が放り投げるようにニコを外に出した。
家から離れろと二人が叫んでいる。訳も分らずニコは通りに立ち尽くし、震えながら両親を見つめていた。ドドドッと、もの凄い音が聞こえてきた。父の悲鳴があがり、窓枠に足をかけていた母が部屋の中を振り返る。
その途端に、屋根が崩れ落ちた。両親は燃える屋根の下敷きになったのだ。
その時、ニコは空を舞う黒いドラゴンを見た。そして、その頭上に立つ黒い人影を。
「恨むと言うか……前は恐れていました」
「過去形だな。今は恐れていないのか」
「一度だけ、お会いしたことがあるんです。その時、印象が変わったんです。想像していたような残酷な人には見えなくて、恐ろしさは減ったし恨むべきなのか尊敬するべきなのか、よく分らなくなってしまって……。本当はどんな人なのか知りたいなって、そう思ってます」
「人柄を知りたいと……」
「はい」
「親の仇なのに?」
仇という言葉が、チクリとニコの胸に刺さった。
両親を死に追いやったのは、確かに黒竜王だ。直接手を下したわけでなくても、町を焼き破壊したのは禁忌のドラゴンを召喚した王なのだ。しかし、それが王の真意では無かったことを知った今では、以前のように毛嫌い出来なくなっている。
今自分たちがこのキュール山に来ているのは、髑髏の騎士の封印を強める為だ。インフィニードを守ろうとする王の命令なのだ。
王は魔女と戦い、冥府の王を退けた。決して国に害をなそうとはしていない。即位後の粛清にしても、私欲のためではなく魔女の残党狩りだった。
ニコは、黒竜王の施策に反感を抱いたことは無かった。両親を奪われたという一点を除いては。
考えないようにしていたそのことを、なぜ今ユリウスは問うてくるのだろうか。たとえ、黒竜王が仇であっても、その命令に背く気は無いというのに。
「血も涙も無い人だと思っていました。でも、そうじゃない気がするんです。恨みは無いなんて言えないけど、……許せるような気がします」
「……では、いつか土下座でもして貰えばいい」
「はい?」
ユリウスが、ニッと笑っている。
黒竜王が土下座で謝罪? ニコは目を丸くした。あり得ない。
「冗談だ。それにしても仇も許せるとは、お前は随分と優しいな」
「そんなことないですよ。もしも……もしも王が命を落とすことがあっても、僕は悲しんだりしないし反対に喜ぶかもしれません」
ニコは少し最悪感を覚え、目を伏せた。
「それでもやっぱり、お前は強い。仇を許せるんだからな」
ユリウスの言葉が意味深に聞こえて、ニコは首をかしげる。
「どうしたんですか?」
「お前と違って私は、何があっても仇を許せない性分なんでな」
「仇がなんだって?!」
突然三人の上方から声がかかった。
驚いてドリスが見上げる。
「テオ!?」
視線の先には、ニタリと笑うテオが立っていた。走りって降りてきたらしく、少し息が上がっている。
「ニコ気をつけろよ。こいつは執念深い男だからな。ドリスと付き合ってたわけでもないのに、オレに盗られたって今だに恨むようなヤツなんだ」
「おい! 話を捏造するな! それよりお前がそこにいるってことは……」
「なんでそこにいるの?」
ドリスは立ち上がっていた。その表情は険しい。先ほどテオは確かに、坂を下りて行ったのだ。それが今、三人よりも上から下りてきたというのはどういうことか。
ユリウスも渋い顔をしている。が、この結果を予想はしていたのだろう。
「やっぱりな」
「ど、どうしたんですか? 下りていったはずなのに、なんで上から……?」
驚きもあわらにニコが尋ねた。
「オレはただ真っ直ぐに下り続けていただけだ」
その顔は、冗談を言っている時のものではなかった。疲れた様子で、少し苛立っているようだった。
「何言ってるのよ。この上から下りてきたじゃない」
つぶやくドリスの顔色が悪い。
ああ、とやけくそ気味な声を上げてテオは座り込んだ。
「ユリウス、出番だ! 解説してくれ!」