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黒のドラゴンとブロンズ通りの魔法使い  作者: 外宮あくと
第三部 罪と力と代償と
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11 少年をめぐる思惑

 アンゲリキは消えることのないロウソクの炎をじっと見つめ続けていた。微かに揺れる炎を延々と灯しながらも、それは縮むことなく燃え続けている。何時間経とうとも寸分変わらぬ姿のまま。

 窓のない部屋の中で、それは唯一の光だった。

 出口を探すことは、とうに止めていた。あのアンゲロスに封じられたのだから、易々と逃げられないと解っていた。

 アンゲリキは彼に隠れて、ニキータを王宮から連れ出す算段をしていた。だが、事前に察知したアンゲロスにここに閉じ込めてしまったのだ。


 アンゲロスは、手駒としての価値はもう無いとニキータを切り捨てた。

 少年に勝手な動きをさせぬよう、始末するというのではあれば、彼は喜んで同意しただろう。アインシルトに匿われている為、手出しは難しいがやってやれないことはない。

 最後に再び獣に変えて、王宮内で大暴れさせてやるのも面白いと考えていた。

 しかし、アンゲリキがニキータを手に入れようとするのは、思慕の念からだとアンゲロスにも解っていた。殺すのではなく、抱きしめる為に連れだそうとしている。許し難いことだった。だから、姉を閉じ込めたのだ。


「まるで、嫉妬ね……」


 アンゲリキはうっすらと笑った。

 その頬には赤黒い手形が付いている。アンゲロスに思い切り張られた跡だった。


『今すぐ、あのガキを殺してやりたいくらいだ。計画に障りがなければな!』


 苦々しく、そう言ったアンゲロスの顔を思い出す。

 彼がニキータを嫌うことに、アンゲリキは歪んだ喜びを感じる。彼が自分を必要としていることの証明になるからだ。そして、同時に危機感も感じた。


 弟は姉以上に、双子の片割れを自身と同一視している。違いを突き付けられることに不安を感じる。姉を失うことに恐怖さえ感じている。

 アンゲロスはその不安を解消するために、予測出来ない行動にでるのではないかとアンゲリキは危惧していた。ニキータを害されることは、彼女にとってあってはならないことだった。


 我らは二人で一人だ、と今まで以上に強調するアンゲロス。そんな弟を可哀想にとも、愛しいとも思う。しかしアンゲリキはその思いとは別に、ニキータを心から可愛いと感じるのだ。

 彼を慈しみその成長を見守りたい。彼の望みを叶えてあげたい。見返りなどいらない。彼が笑っていればそれでいい。


「……子を持つ女は、こんなことを思うのかしらね……」


 子供を生んだことなど無い。ほんの数年、母のフリをしただけ。

 それなのに、ニキータは彼女の有り様を根底から変えてしまっていた。アンゲリキが本当に望んでいたものが何だったのかを、気付かせてしまったのだ。


「そう、私はただ家族が欲しかっただけ。自分の居場所が欲しかった」


 涙が溢れていた。

 目をつむり、願望を夢想する。

 明るい日差しの下で、かげりのない笑顔で妻を見つめる夫。そしてキャッキャと跳ねまわる可愛い子供たち。妻は赤ん坊に頬ずりをする。

 一人の男と、一人の女。極普通に恋をして、極普通に家族になる。当たり前の暮らし。当たり前の幸せ。

 その当たり前が、今のアンゲリキには途方もなく貴重なものに思えた。これまで終ぞ手に入れたことのないものだった。

 望むことさえ罪で、決して手が届かないもの。

 アンゲロスの微笑が、甘美な夢のようにまぶたに浮かぶ……。


 かつて彼と幾度と無く語ったものだった。インフィニードを滅ぼしてやろう、『二人の王国』を手に入れよう、と。しかしその野望の正体は、ほんのささやかなものなのだとはっきりと分かった。

 アンゲリキの望む『二人の王国』とは、ごく普通の『家庭』だった。

 涙を流しながら、彼女が自嘲の笑みを浮かべる。


「堕ちたものね……。稀代の魔女を言われた私が、このザマとはね」


 つぶやき、ふと首をかしげる。

 微かな音を聞いた気がした。


「そう、目覚めたのね。……ニキータ」







 アインシルトが部屋から出ると、リビングのソファにジノス・ファンデルが座っていた。

 そこは、アインシルトの幻想の森の中にある小屋の中だった。老師と弟子たちが寝泊まりする建物で、極一般的な家と同じような作りだ。

 内装もシンプルで、見る人によっては、高名な魔法使いの住処にしては質素だと思うかもしれない。


 テーブルの上では、紅茶が湯気を立てて良い香りを漂わせている。

 小姓が少し困った顔をして、アインシルトを見た。ジノスは予定にない訪問者だったからだ。


 老師の姿を認めると、ジノスは薄っすらと笑って立ち上がり礼をした。

 アインシルトは若干眉を寄せて、彼の前に座る。何故彼がここにきたのかと、怪しんでしんでいた。


「わしに何か用かの?」

「いえ、用という程のことでも無いのですが……そろそろ猫君がお目覚めになる頃ではないかと思いまして」


 ジノスはじっと、アインシルトの目を覗きこむ。

 老師の眉間に皺がよる。まさに、つい先刻ニキータの意識が戻ったところだったのだ。とは言え、二言三言話しただけで、またぼんやりとしてしまったのだが。


「察しの良い男じゃのぉ」

「お褒めに預かり光栄です」


 仰々しくおじぎをして再び着席するジノスを、アインシルトはうさん臭げに見つめた。ナタでの戦い以降ジノスは何も言わなかったが、黒い獣の正体である少年を匿っていることを、不可解に思っているのだろうと想像していた。


 王宮内で秘密裏にニキータの治療を行っていることは、一部の人間しか知らされていない。

 ニキータを保護した時も、激しい戦闘中の事だったため一般の兵士に気付かれることは無かった。目ざとく察知していたのはジノスくらいなものだろう。

 敵の一人である少年を、連れ帰るのは何故かと不思議に思うのは当然だ。しかも捕虜でもないというのだから。


「……で、今後の彼の処遇をどのようにお考えなのか、老師に伺いたく思いまして。そうですね、まずは死んだはずの彼が何故か生きていた……その説明からお願いできますでしょうか」


 ジノスの探るような視線が、ねっとりとまとわりつくのをアインシルトは感じた。時々この男はヘビのような顔をする。


「隠しても無駄だと言いたいようじゃな」

「はい。老師が蔑ろにできない『ニキータ』と言えば、あの方しか思いつきませんから」

「目ざといだけじゃのうて、耳もか」


 アインシルトや魔女が、少年をニキータと呼んだことをしっかりと聞いていたようだ。苦々しく奥歯を噛みしめる。この男が信用出来ないというのではなく、己の不用意さを悔いてのことだった。

 ジノスはハッハと笑う。


「私の推測通りと解釈して良いようですね。いやはや、生きておられたとはねえ……」


 アインシルトは隠し立て不可能と諦めて、最小限の情報だけ与えることにした。


「あの折、密かに王宮から逃した者がおったようじゃ」

「ほお。それは誰です?」

「お前が知ることではない」

「では、彼が今ここで匿われていることは、王ももちろんご存知で?」

「……そうじゃ」


 質問の多いジノスを睨みつけるが、彼は臆すること無く続ける。


「これはまた不可解な。あの少年がいつまた牙をむくかも知れないのに。実は私、あの時一気にケリを付けておけばよかったと、今になって後悔しているんです。……最初の一撃で殺しておけば良かった」


 ジノスの低い声が剣呑に響く。

 ピンと、空気が張り詰めた。

 アインシルトは、体中の毛が逆立つのを感じた。ギッとジノスを睨み続ける。


「……勝手なことは許さんぞ」

「もちろんです。こうして王宮内に連れ込まれ、老師が側についていらっしゃるのに、私に手出しできる訳がない」

「……お前は何者じゃ」


 背筋に冷たいものを感じながら、アインシルトは問う。

 アンゲロスが王宮に入り込んでいると最初に言ったのはこの男だった。まさか、と思う。老獪な計算づくの言動だったのか、と。

 ジノスはニタリと笑う。


「おや? お忘れで? 私はジノス・ファンデル。魔法騎士団の長ですよ。……ああ、そうですね、ファンデルは母方の姓でした。ニーデルマイヤーと名乗れば思い出していただけますか?」

「ニーデルマイヤー……」

「はい、七年前、黒竜王と貴方に処刑された、先の王宮警備最高責任者ニーデルマイヤー中将。私の父です」

「…………」


 アインシルトの頭の中で、幾人かの顔がバラバラと浮かび上がり、一人の男がピックアップされた。

 確かに知っている。あれは剣技に優れた男だった。ジノスの瞳と同じ色をした精悍な男だった。

 魔女の尖兵となった彼は、多くの部下と共に処刑されたのだった。

 

 何故ジノスは、今このことを持ち出すのか。アインシルトはその真意を測りかねていた。じわじわと相手を追い詰め、締め上げようとヘビが獲物を狙っている、そんな埒もない妄想が頭をよぎった。


「あ、お気遣いなく……。両親は私の幼い頃に別れていまして、父と言っても名ばかりの男なのです」


 ジノスは、薄ら笑いのまま続けた。


「仕事は出来ても家庭人としては最低だったらしいですし、処刑も当然の判断だったと理解しています。誤解のないように、恨み辛みなど毛頭無いことを、あえて申し添えて置きましょう。ただですね、あの頃の苛烈なまでの非情さを、何故かこの頃、王からも貴方からも感じないことが少々不満でして……」

「例外を作るなと言いたいのかの?」

「はい」

「不満か」

「ええ、身内だけは甘やかすとあっては、愚行蛮行を繰り返した過去の悪逆の王と変わりが無くなってしまう。黒竜王は非情であっても、理屈を通したでしょう? ならば、最後まで貫いていただかないと、私は黒竜王を敬愛できなくなってしまうのですよ」


 痛烈な批判だった。アインシルトはぐうの音も出ない。

 七年前、制裁として魔女にくみしたものは一切の例外なく処刑した。後顧の憂いの残さぬ為の、非情な判断だった。

 無論、王一人の決断ではなく、自分やリッケンとの協議があった。それでも命令は王の名のもとに下される。故に冷酷の名を受けたの黒竜王だった。


 この非情さはある意味平等だった。身分の高低や年齢性別など、一切に考慮に入れず、贔屓も裏取引も一切無かったのだから。ジノスが父の処刑を正当だったと言ったのはそのためなのだ。

 そうした判断を下した者達が、今になって特定の人間だけを特別扱いするのかとジノスは糾弾する。平等であったから納得していたのに、それを覆すのかと。

 

 黒い獣の正体は、インフィニードの第二王子アリウス・ニキータだった。先王の時代、皇太子だった少年だ。そして、黒竜王の腹違いの弟でもある。


 ジノスの言葉はもっともだと、アインシルトにも分かっている。いくら元皇太子であっても、彼はかつて処刑された者達よりも、遥かに危険な存在なのだ。

 魔女アンゲリキに育てられ、恐ろしい獣に変化する能力を身につけてた敵なのだから。


「一体全体、どういう風の吹き回しかと……邪推してしまいます」


 ジノスは笑うことを止めていた。じっと冷徹に老師を見つめている。その視線は真摯と言ってもよかった。

 アインシルトは、ふうと大きく息を吐く。


「お前に話すことではない」

「ま、そうでしょうね……」






 ジノスが去った後、その後ろ姿が森から完全に出てゆくのを見届けてから、アインシルトは再び少年の眠る部屋へと入った。

 ベッドの横になっているニキータを見下ろす。


 彼は虚ろに半眼を開き、天井を見つけていた。まるで人形のように身動き一つせず、魂が抜け出ているようだった。ナタでテオと極普通に会話したのが、まるで嘘のようだ。

 それに、この頃では記憶や精神状態に混乱が起きているようで、赤ん坊のような泣き声を上げたり、幼児のカタコトで寝言を言うこともあった。

 インフィニードを離れていた間の事を突然話し出したかと思うと、急に幼子に戻って別の話を始めることもあった。不安に涙を流したり、奇声を上げることもあった。情緒がひどく不安定になっているのだ。


 このことは、魔女のコントロールを離れたことを示しているとアインシルトは考えた。苦しむニキータを見るのが忍びなくて、アインシルトは穏やかな夢に中に彼を誘った。落ち着きを取り戻せるようにと思い、彼が不快に思うものを一つひとつオブラートに包んで、心地良い眠りを与えていたのだ。

 しかし、このまま夢の中に閉じ込めておくわけにいかない。

 どうしたものかと、アインシルトは肩を落として長いあごひげを撫でていた。



 ジノスの言葉が胸に重い。彼の言うことは正しいのだ。王の身内であるということで、ニキータだけを特別扱いにして良いはずがない。世間に発表することも出来ない。

 だが、この少年を殺すことが出来るだろうか。あの乱の夜、テオが危険を犯して国外に逃した少年。

 あの時、彼自身に罪はなかった。魔女に魅入られてしまったがゆえの不幸だったのだ。


 だか、それを言うなら処刑された者達も同じだ。皆、魔女に操られた被害者なのだ。強い魔力の影響で元に戻れないと判断し、処刑やむなしとしたのだ。この基準に当てはめれば、ニキータも処刑されなくてはならない。


 ニキータが処刑された者達と違うのは、今になってインフィニードに重大な害をなしたということだ。魔女の奥の手としてあの冥府の王の召喚に一役買い、宝玉の盗み出しに協力した。当時はともかく、今となっては罪は無いなどと、決して言えはしない。


 ぼんやりと天井を見上げるニキータをアインシルトは痛ましげに見つめる。


「テオドールは何と言うかのぉ。……貴方様に生きてほしいと、一番に願っているのはあやつじゃろうに……」


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