11 二つの顔
テオ達は宿の外へ出た。
気持ちの良い風が吹いている。日差しは強くても、木陰に入れば空気はひんやりとしていた。
キュール山の麓、この村は都市部より海抜も緯度も高い。アソーギの気温より六、七度は低そうだ。山を登ってゆけば更に下がるだろう。頂上付近には雪も残る高山だ。
しかし涼しいとは言っても、登山口に続く坂道をどんどんと歩き出すとじんわり汗ばんでくる。ニコは額の汗を拭い、空を見上げた。今日も雲ひとつない晴天だった。
四人は登山道の入口に到着し、早速地図を確かめた。
テオの手のひらから、立体地図が浮かび上がった。山の三合目あたり、登山道からかなり東に逸れた地点に赤い印が点されていた。
そこが目指す場所であるらしいが、道なきところを進めというのか人道以外の秘密の道があるのかは、行ってみないことには分からないようだ。
登山道は尾根沿いに続いていて、そこを逸れるということは、一旦谷状の地形を下ってゆくことになる。そして次は崖のような急勾配を登ってゆけば、赤い印の地点につくようだ。
通常は人が歩くような地形ではない。山に住む動物にしても歩きやすい場所を選んでいるのだから、その急勾配では獣道があるとも思えない。
ニコは眉を潜めたが、テオは涼し気な顔を崩さない。
さあ、行くぞと指で合図する。
「……歩くよりも扉の魔法を使った方がいいんじゃないですか?」
ニコが言った。
「ダメだ。使えない。誰も行ったことの無い場所へ、上手く繋げられるか分からないかなら」
「地図があるんだから、大丈夫だろう」
ユリウスも歩くよりも、魔法に頼りたいようだ。
「こんな地図アテにならん」
「……もう、地図よりもあなたの方がアテにならないじゃない」
と、ドリスも肩をすくめる。全くだとニコは思った。
隣ではユリウスも苦笑していた。それを見て、王宮の地下での一件のことを思い出した。
コントロールに自信がないのだろうか、とニコは想像した。とんでもない場所に移動してしまうことを、恐れているのだろうと。ユリウスも同じことを考えての苦笑なのだろう。
アインシルトのようにふくろうに変化して飛行できるのは、この中ではニコだけだ。彼は飛行術で全員を運べるだろうとかと考えたが、即座に不可能と答えがでた。自分一人で飛ぶのがやっとだ。ならば、先に行って場所を特定して戻ってこようか……。
「僕が飛んで目印になりましょうか?」
「やめてくれ。失敗して墜落して遭難されたら、迷惑だ」
「……はい」
テオに一瞬で否決されて、ニコはシュンと縮こまる。その肩をユリウスがポンと叩いた。
全員で歩いてゆくほか無いようだ。さっさと歩き出すテオに従って、ついてゆく三人だった。
山道を歩きながら、ニコの求めに応じて、ユリウスは髑髏の騎士について話し始めた。
かつてインフィニードが幾つかの公国に分かれていた頃の出来事が、神話のように語り継がれている。その中に髑髏の騎士は登場するのだ。
人喰いの妖魔を倒した英雄が、その妖魔が最期に放った呪いによって生きながら骨となったという話だ。
ここまでは、ニコでなくても誰もが知っている話だった。
そして息絶えた妖魔が姿を変えたものが、宝玉なのだという。
「何故、元は妖魔である玉が国の宝なんですか? 予言をするとは聞きましたが、再び蘇って悪事を働くとも限らないでしょう。破壊しても良さそうなものなのに」
ニコは以前からの疑問を口にした。
大きな木の根をひょいと飛び越えて、ユリウスは答える。
「さあな。大昔の話だ、私にも良くは分からない。だが、その玉はインフィニードを守護しているらしいぞ。だから粗末にはできなかったんだろう」
「清濁二つの性質を併せ持っているんだ」
ユリウスに続けて、テオが言った。
「インフィニードの初代の王は、髑髏の騎士の息子だ。それは知っているだろう。なら、母は誰だと思う?」
先を行くテオが三人を振り返り、見下ろしている。彼にしては珍しく神妙な顔をしていた。
「聞いたことがないわ」
「私も知らない」
ドリスとユリウスが答えると、テオはまた背を向けてどんどんと登ってゆく。まるで平地を歩いているかのようだ。ドリスは息が上がってきていた。遅れがちな彼女を気遣うように、ユリウスがしんがりを務めている。
必死にテオについてゆくニコは、会話が頭上を飛び越えるので、前を見たり後ろを見たりと忙しかった。
「その妖魔さ」
テオは地面から顔を覗かせている岩を、ガンと踏みつけた。そして跳ねるように登ってゆく。
ニコとドリスは、彼のスピードについていくのが少々辛くなっている。そして、予想外の話の展開に、思わず立ち止まってしまった。
「まさか?! そんな話聞いたことないわ!」
「それじゃあ、妖魔と騎士は結ばれていたことになるじゃないですか! でも、でも、妖魔を殺したのは騎士でしょう? どういうことなんです?」
「誰に吹き込まれたんだ。それと、もう少しゆっくり歩け!」
ユリウスが大声で注文をつける。
「誰からも聞いちゃいないさ。だが、妖魔が騎士の妻だったのは確かだ」
テオは肩をすくめたが、立ち止まらなかった。それでもスピードはグンと落とした。
ユリウスは信じられないと首を振り、テオの背に質問を浴びせる。
「なぜ確信的に言うんだ。玉が清濁併せ持つのは、半分は騎士によって浄化されたが、残りは彼の力が及ばなかった為ではないのか? 騎士が息子の為に、玉の清浄な力を予言という形で利用したと考えるのが自然だろう」
「違う。予言や国を守ろうとしているのは玉の意志だ。だからこそ、アンゲロスに奪われても、即座に異変が起こることは無かったんだ」
テオの言うように、玉はアンゲロスの手に堕ちたというのに、この数週間何も怪異は起こってはいない。単に彼らが行動を起こしていないだけだというには疑問が残る。
ニコが口を挟んだ。
「でも、元は妖魔なんでしょう? どうしてインフィニードを守ろうなんて……」
と、ここまで言って、ニコはハッと気付いた。
「そうか、自分の子が王になったから……」
背を向けたまま、テオは肩越しにビシッと親指を立ててみせる。正解ということのようだ。
「ユリウスの言いたいことは分る。なんで、んなこと知ってんだってんだろう。それはだな、王宮の地下で台座に吸い付けられた時、色々なイメージが頭の中に流れ込んできたんだ。騎士からのメッセージだとオレは思う」
「……では聞くが、玉の聖なる部分が国を守護するなら、邪の部分はどうなる? 滅ぼそうとしているんじゃないのか。宝と言うわりには諸刃の剣だな。後生大事に獅子身中の虫を飼っていたことになる」
「そうさ。だから騎士が見張っていた」
剣呑な話しのわりに、テオの声は呑気だった。
ニコは更に質問した。
「テオさん、そもそもなぜ宝玉にはそんな二面性があるんですか?」
「玉の性質は、そのまま妖魔の性質だ。半分だけ浄化されたとかそんな話じゃない。人喰いの鬼女の顔と慈しむ聖女の顔、二つの顔を持っていたんだ」
「二つの顔……」
「そう、騎士は聖女を愛し、鬼女を殺した……」
すっと涼やかな風が流れて、会話が途切れた。
ニコははるか昔の一組の男女の物語に想いを馳せた。妖魔と騎士が夫婦だったなんて。夫が妻を殺しただなんて。
男は女の正体を知らずに愛したのかもしれない。二人には子供が生まれ、きっと幸せにくらしていたのだろう。彼女が鬼の顔を表わすまでは。
おとぎ話だと思っていた神話の影に、悲恋があったのだとニコは思った。
妖魔は玉に姿を変えても、生前の相反する性質を持ち合わせたままでいる。だから、騎士は常に玉を見張っていたというテオの説明にも、なるほどとうなずいた。
そして、アンゲロスに奪われたことで、玉の邪な部分が働き出してしまうかもしれないと気付き身震いする。現在そうなっていないのは、皮肉にもこの二面性のおかげなのだ。
しかし、アンゲロスは玉を利用して騎士を目覚めさせようとしていると、アインシルトが言っていなかったか。どういうことなのか。ニコは玉を単に騎士を目覚めさせる鍵だと思っていたが、話はそんな単純なものでは無いようだった。
今回の行動も目覚めかけている騎士をアンゲロスに利用されないように、封印を強化させるためのものだ。なぜ封印しなければならないのか。アンゲロスを倒すように、騎士に頼めばいいではないか。玉は清濁どっち付かずでも、騎士は王国側のはずなのだ。
テオが歩みを止めた。振り返ってニコに笑いかける。
「少し休もうか。質問攻めにされる前に話とかないと、後でややこしくなりそうだ」
「そうですよ。宿で話しておいてくれればよかったのに」
ニコも笑って、肩をすくめた。
少し平らになった場所を見つけ、木の根本に四人は腰を下ろした。
テオは幹にもたれ、歩いてきた道を見下ろしながら話しだした。
「……基本的には、騎士も玉もインフィニードを守護している。が、同時に滅ぼす力にもなるんだ。だからこそ、彼は自らを秘密の墓所に隠したんだ。彼自身もまた、邪に転化しやすい……妖魔の呪いの正体は、髑髏に変えることではなく、自分と同じ二面性を与えることだったんだ」
ニコはゴクリと唾を飲んだ。
玉が穢れれば、守護の意志が消え、破壊の欲求だけが強まる。それに連動して、騎士もかつて狂戦士と呼ばれ周辺の公国を責め滅ぼしたように、また暴走を始めるかもしれない。
しかし、玉がアンゲロスによって穢されても、騎士の墓所の封印が解かれなければ、最悪の事態だけは免れるかもしれない。その為にここに着たのだ。
ようやくテオのしようとしていたことの全貌がニコにも理解できてきた。
「幸いなのは、騎士は目覚めることを全く望んでいないことで…………おい、なんだあれは……」
急にテオの声の質が変わった。目を見開いている。その視線が、茂る木々の方に向けられている。
サッと、全員がそちらに注目すると、ザワリと枝がゆれた。
ドリスが首をかしげた。
「どうしたの? たぬきでもいた?」
ドリスとユリウスが背後を振り返る動作をしている間に、ニコだけはテオと同じものを見ていた。
「ち、違います! ……え、えっと、あ、あ、あれは……?」
ニコの心臓はバクバクと激しく鳴り響いていた。
今のは何だった? あれをなんと言えばいいのか。断じてたぬきなんぞが、葉っぱの下から覗いていたわけじゃないのは確かだ。
不可思議で、理解し難いものを見てしまった。動揺し、ニコの顔は少し血の気を引いていた。
テオも驚き呆気に取られた顔をしている。
「……なんか、めくれてなかったか?」
「そ、そう! め、めくれてました! ……よね?」
テオの「めくれていた」という表現に、ニコが大きくうなずいた。しかし、めくれる? めくれるものなのか? ニコは視線が釘付けになったまま、首をかしげていた。
「何が? めくれるって何よ」
「お前たち、何を見たんだ?」
訝しげに二人を見るドリスとユリウスだった。
問われて、テオはむむぅと眉間にしわを寄せる。どうやって今見たものを伝えようかと悩んでいるようだ。
「理解できないかもしれないがな、そこの木の辺りがめくれたんだ。カーテンをめくるみたいに。そんで奥から金色に光る目がこっちを見ていた。オレと目が合って、直ぐにカーテンを閉じた……」
テオはつぶやくように言うと、立ち上がりその木に近寄ってゆく。
「テ、テオさん!? やめた方が……」
ニコが慌てて声をかけた時には、もう木をワシャワシャと触っていた。特に何の変哲もない木だった。更に隣や奥の木にも手を伸ばすが、異変は見当たらないようだ。
「何だったんだ……?」
腕を組みつぶやくテオの横に、ユリウスが立った。
「もう少し丁寧に説明してもらおうか? 微かに魔法の匂いがしているが、それに関係しているのか?」
「まあ、そうなんだろうなあ。オレだって初めて見たんだ、そう突くなよ」
テオは大げさに肩をすくめてみせた。