8 地図の示すもの
地下から王宮一階のホールに戻ってくると、テオ達三人をリッケン上級大将が待ち構えていた。ズラリと部下を従えた彼は、厳しく唇を結びドンと足を開いた仁王立ちでテオの前に立ちはだかる。
「一体、下で何があったのだ!」
地下空間での騒ぎは、当然のことながらこのホールに控えていたリッケン達の耳にも届いていたのだ。
武装した彼らの目は、ランと輝いている。突入寸前だったようだ。
テオはハハハと笑って、無駄なごまかしをはかる。
「いやまあ……大したことでは無」
「爆音が聞こえた! 王宮を揺るがす程の衝撃があったぞ!」
リッケンの迫力に押されて、思わず後ろのアインシルトとユリウスをチラ見したが彼らはフンっとそっぽを向いてしまった。お前の責任だと言わんばかりだ。
確かに騎士の間を破壊してしまったが、あれは単なる事故じゃないかと、テオは肩をすくめてリッケンの横を通り過ぎようとする。が、ズイと足を滑らせて上級大将は彼の行く手を阻んで睨みつけた。
「答えてもらいたいのだが」
「ちっとばかし暴れただけさ……収穫はあったぞ」
少々言いよどみながらも、テオはニッと笑った。
リッケンが渋い顔を見せると、ポンと彼の肩を叩いて小さくつぶやいた。
「髑髏の騎士の眠る場所をつかんだ」
*
テオの手のひらから浮かび上がる立体地図に、ニコは賞賛と好奇心から目を輝かせていた。そんな彼を、テオはフフンと笑いながら見ている。
アインシルトの幻想の森で黙々と術の練習をしていたニコに、テオはいいものを見せてやると言って、その右手を開いてみせたのだ。
大きな木によりかかり、二人は並んで座っている。
地下での出来事を、テオは話して聞かせていた。こんなふうにゆっくり時間をとったのは、久しぶりだった。
そう思うと途端に、ブロンズ通りの小さな家とニコの入れてくれるコーヒーの香り、そしてチビのゴブリンの声が懐かしく蘇ってきた。和やかに三人でテーブルを囲む幻想が、頭をよぎる。
テオは固く目を閉じて、ブンと頭を振った。そして目を開くと再び立体地図に視線を戻し、ニコに誘いかける。
「お前も行きたいだろう? 構わないぞ」
「え!? 行っていいんですか?」
ニコの瞳が一層輝く。ついていきたいと思いながらも、言い出せずにいたのだろう。テオから思いがけず一緒に行こうと言われて、満面の笑みが溢れた。
テオは明日、地図が示す地点に向けて出立する予定なのだ。
その場所は髑髏の騎士の墓所であろう、というテオの意見にアインシルトもリッケンも同意した。協議の結果、ただちに確かめ墓所であったら封印を強めるべきとの結論がでた。
これにニコを連れてゆくと言う。大仕事だ。ニコにとっては初めてにして最大の仕事かもしれない。
ニコの胸が高鳴った。
「ありがとうございます! 僕、役に立てるように頑張ります!」
「まあ、そう気張るな。お前は後方支援というか、もしも要員だからな」
「っていうと?」
「飛行魔法、使えるようになったんだろう? 伝言ふくろうの代わり、要するにパシリくらいなら使ってやってもいい」
「…………そ、そうですか」
ニコは引きつった笑みを浮かべる。もちろん自分が当てにされているとは思ってはいなかったが、はっきりとパシリと言われてはガックリしてしまう。
「それと回復魔法で活躍する場面も、もしかしたらあるかもしれないがな。とはいえ、それは望ましい展開じゃないから、活躍したいなんて思うなよ」
「ああ……はい、そうですね」
あははと、力なくニコは笑った。
インフィニードを表す立体地図の中で、赤い光点が一つ灯っている。それは王国の北の果てにあるキュール山を示していた。
その山は夏でも一部雪が残る、四千メートル超えの高山だった。そして、その麓にはゴブリンの国に続く入り口があると噂されている。
今現在、地図はこれ以上ズームアップしない。詳細な場所はキュール山の麓まで行けば、また地図に示されるのではないかとテオは考えていた。
ユリウスとニコそして自分、先刻の協議でテオは三人でキュール山に向かう事を強く主張した。この頃顔を合わせる機会が増えてしまった、内大臣シュミット、リッケン上級大将、アインシルトとの協議だ。
当初アインシルトは自分が行くと言ったが、シュミットをはじめ皆に反対された。彼を王宮から離すという愚を、三度も繰り返すことはできない相談だった。
ならばと、リッケンが麾下数名と共に同行すると言ったが、これはテオが断固として拒んだ。
大人数で行動したくは無かったし、仰々しいのは面倒だった。リッケンなどが付いてきたら、息苦しくて仕方がない。
そして、目立った動きはしない方が良いだろうというシュミットの意見を容れ、テオの言う三人で調査にゆくことに決まったのだ。
早々にシュミットは席を立った。彼はテオと同じ部屋の空気を吸いたくないらしい。やれやれとアインシルトも後を追うと、部屋の中にはテオとリッケンだけが残った。
ムッスリと口を結ぶ、リッケンに向かってテオが言った。
「あんたが別働隊を勝手に出すって言うんなら、好きにすればいいさ。オレの邪魔にさえならなければな」
テオはニッと笑って、ギロリとにらみ返すリッケンの耳元に囁く。
「ユリウスが気になるんだろう? 見張りたければ見張れよ」
意外そうにリッケンは眉を吊り上げる。
確かに彼はユリウスの動向が気になっている。疑わしいと感じているのだ。しかし、テオはその疑いを否定せず見張れと堂々という。
この男がこのような言い方をするということは……とリッケンは推測を巡らせる。
「……ユリウス・マイヤーは白だというのか?」
「さあな。誰もが疑心暗鬼に陥っているんだ。自分が信じたいものを信じてようとしているだけかもしれない。閣下も、自分が納得できるように行動すればいいさ」
「納得か……。それならば、お前を王宮に押し込めておければ一番納得できるのだが。どうだ?」
リッケンは言質取ったりと言った顔で、ニヤリと笑う。
すると、露骨に嫌な顔をするテオだった。
「残念だったな、それはオレが納得できない」
「だろうな。故に黒竜王は余計な仕事を抱え込むことになると……」
「知るかぁ!」
笑いながら皮肉を言うリッケンに、テオは大きく舌打ちをして部屋を後にしたのだった。
*
アンゲリキは白磁の人形のように生気のない顔で、じっと椅子に腰掛けていた。
青白い光が差し込む古い洋館の中だった。傷は癒え少しづつ動けるようになっていたが、彼女はずっとこの洋館の一室に篭ったままだった。
ゴブリンを奪い返していったあの紫の瞳の悪魔なら、いつこの場所を嗅ぎつけるとも知れない。最早、鏡の世界は魔女の隠れ家とはなり得なかった。
今、アイツに見つかれば命はないだろう。そう解っていても、アンゲリキは動こうとはしなかった。
これまで彼女を突き動かしてきた衝動のようなもの、欲望がごっそり消え去り、胸にぽっかりと穴が開いたようだった。
バサリ……
黒い羽を散らして、一羽の鳥が彼女の膝に舞い降りてきた。
カラスのような黒い身体のその鳥は、人間の頭部を持っていた。耳まで口がさけた女の顔をしているのだ。その女の口が、男の声を伝えた。
「姉上……目覚めたのなら、早く姿を変えて我のもとへ来い。我が守ってやる。心配は無用だ」
アンゲロスの低い声が、しんと静まった部屋に響いた。鳥は魔女の膝の上に座り込み、キョトキョトと首を振っては彼女を見上げた。
魔女の目は虚ろで、ほんの少しも表情を変えなかった。
「アンゲロス……私はもういい。放っておいて……もう何もいらない」
「何を言う。これからではないか。我らが全てを手に入れるのは、まさにこれからだ」
「……全てとは何? 私が欲しかったものは、一体何だったのかしら……分らなくなってきてしまった」
乾いたつぶやきだった。なんの感慨も無く、虚無感だけのささやきだった。
鳥がまた、キョトキョトと首を振る。
「姉上は忘れたのか。我らを蔑んだ者たちに復讐し、ひざまずかせてやろうと誓ったではないか。我らが自由に生きられる世界を手に入れようと」
「とっくに復讐したわ……みんな殺したじゃない」
「村を一つ焼いだだけではないか。古い因習はまだ至る所に蔓延っているし、我らを忌み嫌う心が人間の中にある限り、復讐は終わらない。我ら二人の王国をつくるのだ。我らにはその力がある!」
「……それで私達は幸せになれる?」
「当然だ。全て我らの思いのままだ。何者も逆らわせはしない。クソムシのような人間どもを全て支配してやる」
「アンゲロス……それがあなたの本当に欲しいものなの?」
人面の鳥が、バサバサと羽ばたいて浮かび上がる。窓から差し込む光を背に受けて、黒い影はアンゲリキを見下ろして叫んだ。
「そうとも、我は王となる! 魔王となって君臨する! お前も女王にしてやろう。我とお前は二人で一つだ。離しはしない。……この世の財宝の全てでお前を飾ろう。欲しいものは何でも手に入れよう。我ら二人だけの王国だ」
「…………」
アンゲリキはぼんやりと、虚しく人面鳥を見上げていた。アンゲロスの言葉に何の魅力も感じなかった。かつては、喉から手が出るほど欲した『二人の王国』。今はそれに何の意味があるのか分らなくなってしまった。
どこでもいい、ひっそりとでいい、アンゲロスと二人で生きていけたらそれでいいのではないかと。願わくば、ニキータを我が子として側に置きたかったが……。
「姉上よ……。忘れるな、我らは一心同体なのだ。我から離れるな! お前は我のものであり、我自身なのだ!」
「……ええ、そうね……」
ふと、可哀想にという思いが湧いてきた。双子の弟は、私無しではいられないのだと、つくづく実感したのだ。
以前は自分もそうだった。アンゲロスは自分自身で、二人の魂は同一だと感じていた。だから彼が封印された時は気も狂わんばかりに怒り、我が半身を取り戻す為にと必死になった。
彼を愛しいと思うことは、我が身を愛することでもあった。
それが今はどうだろう。何故、いつの間に変節してしまったのかも分からない。しかし、確実に自分と彼は別人だという、至極当たり前のことが認識出来るようになっていた。
自分とは違う考えを持つアンゲロス。自分とは違う感情を持つアンゲロス。彼を愛しいと思い、可哀想にとも思う。
彼から離れようという考えは無いが、自分のこの変容を彼は喜ばぬだろうと思うと、アンゲリキは一抹の寂しさを感じた。
人面鳥に手を差し伸べた。
「そうよ……私はあなたのものよ」
腕に舞い降りてきた鳥を、彼女は優しく抱きしめてやった。