6 王宮の地下へ
――ニーカに逃げてって叫んだけど、もう声は出なかったの。
霧が綿のように固まって喉を塞いだのかと思ったわ。それからいきなり、見えない荒縄で身体をぐるぐる締められるような感じがして……。身動きもできなくて怖くて怖くて……。魔女の金色に光る目が私をにらんでたの……。
ああ、もう殺されるんだって思ったわ。
それからの事は何も覚えていなくて、気が付けばブロンズ通り。私はゴブリンに変えられていた。卵から出てきてからのことは、知っての通りね。
どうして魔女は私に呪いをかけたのかしら。ニーカを連れて行きたかったみたいだけど、それを私が止めようとしたから? それともあの時二つの玉を拾ったから?
それにしても、あれの一つがテオの目だったなんて、思いもしないことだったけど。今思えば、私すごいことをしたのね。
偶然だけど、あの時テオをアンゲリキから解放していたんだわ――
ニコは、この時ニキータも黒猫に変えられたのだろうと思った。彼の知らぬ間にテオが卵を持ち去ってしまったので、きっと森の中や町を探し歩いていたに違いないと。そしてあの日、ようやく卵を見つけて取り戻そうと襲ってきたのだ。
どうして呪いをかけたのだろうという彼女の疑問、そしてなぜニキータを連れて行こうとしたのか、これにニコは一つの予想が浮かんでいた。
以前テオが言った「破魔の巫女」という存在が、おそらくヴァレリアなのだろうと。それ故に邪魔だったのだ。
「破魔の巫女」であるとか、特殊な力をもっているとか、彼女が自身について言及したわけではないが、この推論は間違っていないだろうと思う。
魔女は彼女を殺せなかったのだから。
そしてニキータは、アンゲリキが王妃に成り代わっていた時に息子として育てていたのだから、再び手駒にしようと考えたのだろうと。
実際、彼は黒い獣として魔女の駒になっていたのだから。
*
「と言うことで、まずは地下に降りてみるさ。リッケン、あんたの慎重論は聞き飽きた」
テオは立ち上がり、リッケン、シュミット、ユリウスを眺める。
部屋の中には、重苦しく嫌な空気が漂っていた。誰もが猜疑心の塊になって、互いの腹を探り合っていたのだ。ジノスが言った、アンゲロスに与する者がいる、という言葉が彼らにそうさせていた。
シュミットは、特にユリウスとテオに疑いの目を向けている。
リッケンは、一同を注意深く観察しながらも、この状況を作り出したジノスについての考察も忘れてはいない。
そしてユリウスは、この場にいない人物への疑惑をまだ捨ててはいなかった。彼は、ジノスそして黒竜王にも不審を抱いているのだ。その上、リッケンに対しても慎重な態度を示していた。
テオは大きく肩をすくめて息を吐く。
「大体なあ、アンゲロスが王宮に入り込んでるなんて、本気で思ってるのか? あり得ないだろ」
「なぜあり得ないと、あなたに言い切れるのですか」
シュミットが眼鏡の奥からテオをにらみつける。言外に、いないと言いくるめた方が自身にとって都合が良いからかと問うている。
「あのなあ……オレを疑うのは勝手だが、時間の無駄だぜ。行こうユリウス」
テオはユリウスを促した。面倒な話はさっさと切り上げて、行動に移りたいというのが態度にありありと出ている。
地下の騎士の間を調査するのだ。宝玉が安置されていた部屋だ。アンゲロスの痕跡や、騎士の墓所に関する手がかりが無いかを調べることになっている。
この騎士の間に辿り着ける人間は限られている。アインシルトはその一人だ。
彼は王宮に戻った翌日、一度地下に降りている。
しかし騎士の間のレシーフの扉は閉じられ、中に入ることは叶わなかった。強引に突破しても良かったのだが、テオの回復を待ってから、共に調べることにしようと彼は判断したのだった。
「なぜあなたなら、扉を開くことができるのですか」
「その許可があるからに決まってるだろう」
「だから! なぜ許可されているのかと訊いているのです!」
シュミットは苛立ちを隠さずに詰問する。
「救国の魔法使いという話は聞きました。しかしあなたでなくても、王がご自身で出向かれるのが、一番安全ではありませんか? 騎士の間という聖域に、敵を招き入れるかもしれないというのに」
「おーい、シュミットォ、オレを敵呼ばわりかよ。というか、その質問は黒竜王に向けたものじゃないか。八つ当たりは止めて欲しいね」
おどけて肩をすくめるテオに、シュミットはチッと舌を打った。横を向いて忍び笑いをするユリウスにも、キッと鋭い視線を向ける。この二人を地下にやるのが不安で仕方がない。
そして、内大臣は魔法騎士団隊長にも、疑いを抱いていた。あの男は誰も信じられなくなるこの状況を作り出すために、アンゲロスの存在をわざとチラつかせたのではないかと考え始めていたのだ。疑いだせばきりがない。
胃が痛み始めた。重い息を吐いて、椅子の背にもたれた。
じっと見つめていたリッケンが口を開いた。
「シェーキー、どうしても行くと言うのであれば、お前とアインシルト殿だけでいいのではないか? シュミット殿の言う通り、あそこは聖域でもある。立ち入る人数をむやみに増やさぬほうが良いと思う」
彼の意見は、むやみに騎士の間に近づかぬ方が良いというものだった。しかし、アインシルトが地下を捜査するべきと言っている以上、テオに止めろと言ったところで何の抑止にもならなかった。
「ユリウスを行かせるなと?」
「そうだ」
テオはチラリと友を振り返る。
「だそうだ。どうする?」
「私は王の指示に従うだけだ。傀儡ではなく本物の王にね」
シュミットとリッケンの視線がさっと彼に集中する。
この若い魔法使いはまだ王に疑いの目を向けているのかと、シュミットは嫌悪を露わにした。土塊の人形とはいえ、王の姿に向かって攻撃を仕掛けたユリウスに、シュミットは良い感情を持ちようがなかった。
一方、テオはプッと吹き出していた。
「……含むなあ、お前」
若干あきれていたが、ユリウスの物言いを楽しんでる、そんな顔だった
「疑心暗鬼を生ず……オレのことも疑っているのか?」
「いいや、お前は大丈夫だ。いつも通りのバカなテオドール・シェーキーにしか見えない」
「……………………信用してくれてありがとう、とここは言っておくか」
二人はニヤリと笑いあう。
その時、アインシルトが部屋に入って来た。足早に彼らが囲んでいるテーブルに近づいてくる。
「待たせましたの。ご両名には了解頂けましたかな?」
地下探索の件だった。前置きは無く要件をのみを端的に言い、リッケンとシュミットを交互に見つめた。二人は渋々うなずいた。
「なに、そんなに心配してくださるな。少しばかり覗いてくるだけのことですからの」
「そうそう、宝玉はもう無いんだ。今更何を心配するっていうんだか」
「黙っとれ!」
アインシルトの言に乗っかって調子よく笑うテオの頭を、ガツンと勢い良く杖が叩いた。
先程も喰らったばかりだったから、その衝撃は結構なものだった。頭を押さえてしゃがみ込む友人を、ユリウスは苦笑して見つめる。
「で、私はどうすればいいんでしょうか? 行けと言われたり行くなと言われたり……」
「行けばいいだろ!」
アインシルトへの問いかけだったのに、テオが勝手に答える。頭をさすりながら、もう戸口へと向かっている。こりゃ待て、と老師は彼のローブを掴む。
「まあ、そのつもりじゃったしのぉ。ユリウスは力になる。ご理解下され」
アインシルトは髭を撫でつけ、リッケンとシュミットをまじまじと見つめた。
「よろしいかの? 陛下にもこの旨、伝わっておることですし」
「……解りました」
半ば強引に了承を引き出して、老師はニッコリと微笑む。
内大臣シュミットはなげやりに本殿からの人払いを指示し、リッケンは淡々と部下に警備の命令を下した。不測の事態に備えてのことだった。
そしてアインシルトは弟子二人を引き連れ、地下の騎士の間へ向かったのだった。
*
細い通路は入り組んで迷路のようだった。手に持ったランタンの光に合わせて、三つの影がふわりと揺れる。
テオを先頭に歩く三人は封印の魔法に惑わされること無く、目的地へと向かっていた。誰も何も言わない。足音だけが響いていた。
突然現われた階段を降りきると、壁に神話のレリーフが施された通路に出た。テオが指を弾く。備え付けられていたランタンに次々に明かりが灯り、光の列が現われた。
ふと視線を落とすと、石の破片が散らばっていた。壁にはいくつものプレートがはめ込まれいるのだが、その一つが無くなっている。それらは王の名が刻まれたプレートだ。
テオの頭にあの時の記憶が蘇る。軽く指で弾いただけなのに、プレートは剥がれ落ち割れてしまったのだ。そのプレートには黒竜王の名があった。
「ありゃぁ……」
「わしが先日訪れた時には、もう粉々になっておったぞ。どこの粗忽者の仕業じゃろうなあ。作りなおさねばならん」
アインシルトがこの馬鹿もんがとつぶやく。
「ここまで粉々にはしてねぇ。侵入者の仕業だ!」
「自白しおったか」
「…………」
そのまま歩み続けると、三人の前に髑髏の騎士のレリーフが現われた。
躍動感あふれる騎馬の上に髑髏の戦士がまたがる彫刻だ。戦士の頭部は水晶で、大きく開いた眼窩にルビーがはめ込まれている。精緻な細工を施された見事な作品だった。
テオは一目見て、眉をしかめる。おかしい。以前このレリーフを見た時は、その水晶の髑髏は美しく透き通っていたはずだ。しかし今は白く濁っているのだ。
じっと見つめ上げる。あの時感じた、今にも斬りかかって来そうな迫力が無くなっていた。
「アンゲロスの仕業……かな?」
「今更何を……。宝玉を盗ったのはアンゲロスだ」
テオの呟きにユリウスが答えた。
当たり前の事を言わせてくれるなと、言った顔だった。責任を感じている彼にしてみれば、宝玉を盗まれたと口にするだけでもチリチリと胸が痛むのに、とぼけたことを言われると皮肉かと勘ぐりたくなるのだった。
テオは真顔で受け答えをする。
「ちがう。水晶のことさ。お前は騎士の声を聞いたんだろう? それが急に静かになった、それはこの濁りのせいかもしれない。墓所とこの場所との繋がりが切られたようだな」
「そうか……騎士は守り人の役目をしていたが、その魂はここをはじき出されてしまったということか」
なるほどとうなずき、ユリウスはテオの隣に並んで騎士を見上げる。
雄々しい騎士の姿は、どこか物悲しげにも見えた。
「何故だろうな。この地下に張り巡らされた魔法に乱れは全く見られないのに、なぜ入り込まれたのか……」
「言ったろう。ニキータが生きていたんだ」
「本当なのか?」
「本当じゃ。さあ、テオドール。扉を開けい」
二人の背後から、アインシルトが声をかけた。
テオはレリーフの壁に手をあて、そしてゆっくりと押していった。