序:飛虎と狐
「はあ……はぁ……はっ、はははっ……」
周りには人の屍の山。生きるものは己が一人と……強大な六尾の化け狐が一匹。
尻尾が6本。醜悪な狐の顔。身体は狐だがどこか人の女性を思わせるフォルムをしていた。
手足は獣の特有のものだったが大きな胸とくびれた腰つきと艶があった。
狐面と事象を歪めかねないほど暴力的なまでの妖気の所為で気持ち悪いだけであったが。
絶望的な戦場において、疲労に息を上げながら男は確かに笑っていた。
「残念だったな。ここに相棒も俺の家族もいねぇよ。」
既に逃がした。荷物と一緒に気絶させた相棒と妻。そして産まれてくるであろう子供。船に放り込んで流してきた。海の上で妊婦を抱えて航海はちょっと大変かも知れんが……相棒ならばなんとかするだろう。
俺は……逃げることはできない。
「どうせ性格の歪んだお前のことだ。俺と相棒の目の前で俺の家族を喰らって絶望に歪むのを眺めようとか思ってたんだろ?」
一人では逃げることの出来るような実力差ではない。
「昔からお前は存在自体がクソだったもんな。そういえば一度肥溜めにおとしてやったこともあったか?クソ狐?」
クソ狐が怒りに顔を歪めている。
俺と相棒に絶望を与え、己が復讐心を満たせなかった為か罵倒された為か、おそらく全ておいてだろうが……。
このクソ狐には満たされることがない。
常に飢え渇き己が欲望を満たす為に快楽を求める。自身の欲求通りに事が運ばないのは耐え難い苦痛だろう。
「お前にとっては微々たる時間だったんだろうが俺にとっては人生の半分がお前との鬼ごっこだ」
妻子が殺され、国が滅ぼされ、相棒と共に復讐しようと追いかけまわして痛い目に合わせてやったら恨まれ追いかけまわされた。
そうしてクソ狐を殺せる方策を考えては追いかけ、失敗し、また追われてを繰り返しきた。
「生きてる者の中でお前との付き合いは俺と相棒が一番長いんだ。」
だがここ最近は静かだった。
ただ平穏に日々が過ぎっていった。
この追われた国で新たに妻が出来、子が出来たことをどこかで知ったのだろう。
子が産まれるその日をじっと静かに待っていたのだろう。
「クソ狐の考えることくらいわかるようにもなるさ」
俺の目の前で殺し、無力と哀しみを合わせた絶望を与え、愉悦に浸るその時を。
そうなったら俺も相棒も心を折られただろう。
しかし考えが読めていたから欺けた。
「所詮は畜生。考えてることがクソ単純なんだよ」
怒りで殺気が膨れ上がってきている。
一矢報いるにはあと少し。
「その程度の頭だから大切な尻尾が3本もなくなるんだ。元九尾ちゃん?」
向こうもこちらとの付き合いが長い。
だからこそ油断している。相棒がいないこの状況で体力もない俺には打てる手がもうないと。
知略を担当していた相棒がいたなら多少警戒もしただろう。
周りに屍だらけの絶望的な状況に相棒なら絶対にしない。
相棒は優しい。ゆえに甘い。だからこそ相棒には打てない効果的な下策があるのに。
絶対的な強者である化け狐の弱点は強者であるが為の経験不足。
そして尻尾が大切。まずはそこを馬鹿にしよう。
「六尾って語呂が悪いな! 畜生らしく丸出しだが立派な胸もついてるしこれからは乳尾って名乗れよ! あはは! 語呂もいいしな!
おいっ! ちく────……」
流石、畜生!しゃっべている間に頭に血が上って大口を開けて襲いかかってきた。
ふざけやがって! 人生最後の台詞をちくびって叫ばせながら殺す気か!
これだから頭に回るはずの栄養が胸に回ったやつは!
……妻の小夜みたいに胸にも頭にも栄養が回らないという例外もいるが……。
だが油断している上に冷静さを欠いているのは好都合だ。ただ怒りの溜飲を下げる為にいたぶって遊んでいただけだった攻撃に明確な殺意が入った。
これでクソ狐の鼻を誤魔化す為に身体中に仕込んだ呪符諸々を奴の口に放りこめる!
長い付き合いでようやくわかったことはこのクソ狐は天災の類いだ。
この程度で殺せるとは思っていない。
だが俺の新たなる家族と相棒にいつか降りかかる天災の「いつか」を遅らせることが出来るなら!
遅れたその時間が必ずクソ狐を殺す。
一国を文字通り飲み込むようにして滅ぼした絶対的な強者の尾を3本切り落とした相棒ならば必ず殺す。
その為に足掻く。
弱者であるが為に武器を持って足掻く。
突っ込んでくるクソ狐に左腕だけを喰わせて避ける。
「ぐぅうううぅぅぅぅ……!! クソがっ!」
痛みに呻きを上げる。
さあもう少し足掻こう。胸にまだクソ狐に対する怒りも恨みも残っている。
最後の台詞がちくびでは締まらない。
左腕を失った激痛を噛み殺して嗤う。
とりあえず死ぬまでにクソ狐の乳首を右腕にもつ刀で削ぎ落とすと目標を定めた。
ほとんど残っていない体力を振り絞って、死力を尽くしてそれをする。
武王と呼ばれた己の意地を必ず通す。
鍛え極めた武術・武功の全てを。己が持てる全ての力を。
ただいつかの未来に繋げる為に。
少しづつ己の身体を喰わせながらどこまでもクソ狐を侮辱しながら死んでやる。
嘲笑し、挑発し、時には絶望に沈んだ振りをしながらまた侮辱する。死ぬまでそんなことを繰り返す。
どんなに絶望的でも笑うのだ。それが俺が今まで通してきた闘い方だ。
前へ。もう一歩前へ。限界を超えてなお前へ。
……そして────