鯛焼き
初詣でにぎわう神社の前に、一軒の小さな鯛焼き屋がある。
もう何十年も前からあるその店は、年中無休で毎日おいしそうな匂いを出している。
メニューはつぶあん一つ。最近の店のように、アイス鯛焼きやピザ鯛焼きなどといった一風変わったものは用意していない。
だが、初詣帰りの人は決まってこの店で鯛焼きを買う。寒いからというのも理由の一つだが、何よりおいしいことで有名なのだ。普段の日でも、神社で遊ぶ子供たちのおやつになっている。
その店を営んでいるのは、一人の男だった。もうすぐ還暦を迎える彼は、一人暮らしをしている。
十数年前に妻を亡くし、妻が遺した愛する娘も二年前に他界した。
それでも男は鯛焼きを焼き続けた。
夕方。
徐々に参拝客が少なくなってきた。もうあと五分もすれば、店終いの時間だ。
男が片付けを始めていると、「すみません」という小さな声が聞こえた。
見ると、小学生くらいの女の子が立っている。
「たいやき三つ、下さい」
「はいよ」
残っている中から、まだぬくもりがあるものを選んで袋に入れ、渡してやる。
女の子は男に百円玉を三枚渡すと、
「ありがとう!」
と言って立ち去った。すぐ近くに、両親らしき人が立っているのが見える。
「はやく食べないと、冷めちゃうよー」
女の子の声が男の所まで聞こえてきた。
三人並んだ影が、次第に遠ざかっていくのが見えた。
男の妻はもともと体が弱く、出産してまもなく他界した。
男は親戚の手も借りながら、鯛焼き屋を営みつつなんとか娘を育てた。
親戚の中には、店を閉めて何か他に職を探した方がいいのではないかという者もいた。
だが、妻は男に言った。あなたの鯛焼きが食べたい、と。
そして眠るように妻が息を引き取ったその翌々日から、男はまた鯛焼きを焼きだした。
妻に鯛焼きを届けるために。
男の娘は、とても活発な子だった。
よく神社のクスノキに登って、太い枝の上で足をぶらつかせていた。
娘は毎日飽きもせず、男の作る鯛焼きを食べていた。
おいしそうに鯛焼きをほおばる娘の姿が、男は好きだった。
だが、ある日のこと、娘は小学校に行ったっきり帰ってこなかった。帰り道で事故に遭ったのだ。
男の元に連絡が来た時、すでに娘は息を引き取っていた。
娘の葬式が終わって数日経ったが、男が店を開ける様子はなかった。
ある日、一人の女性が男の元を訪れた。女性は娘の担任だった。
「これをご覧ください」
女性はそう言って一冊のノートを男に差し出した。それは、娘のクラスの第一冊目の学級日誌だった。
男は震える手でノートを開いた。ちょうど真ん中あたりに、目当てのページはあった。
『いちばん好きな食べもの:お父さんの作った鯛焼き』
男の目が、幼い文字を捉えた。目の奥が急に熱くなるのを男は感じた。
声をつまらせながら涙を流す男を見て、女性はただ微笑むだけだった。
その翌日、また店の周りには香ばしい匂いが立ち込めていた。
今日も男は鯛焼きを焼いている。
クスノキの枝の間を、風が吹き抜けた。