その終
「……本当にいた」
ファーストフード店についた僕の眼にはたった一人の女の子の姿しか入らなかった。彼女は始めて会った時と同じで輝いていたが、携帯とにらめっこしているその眼は少しだけ曇って見えた。
「遅い。 何分待ったと思ってるの?」
僕に気づいた彼女は唇を尖らせて言う。
「……30分ぐらいですか?」
「そんなに待つくらいなら帰ってる。 5分よ」
「…………」
何も言わずに僕が彼女の隣に座る。嘘をつきたくない僕はしばしば沈黙という選択肢を使う。────それでも少し、罪悪感が胸に募るのだが。
「なによ、なんか文句でもあるの?」
「ないけどさ、今日は始めから素でくるんだなーって思った」
「えー。 やっぱりやっぱり君もこっちの私の方が好きなの?」
彼女はそう言うと両手を顔に当て上目遣いで眼を合わせてくる。心臓が跳ね上がり、ドキリという音が頭の中でなる。慌てて眼を逸らして店内に眼線を踊らせた。やはり、今日も学生は多かった。同じ制服の学生達がトレイを持って右往左往する店内は少し暑かった。
「アハハハハ。 耳まで真っ赤にしちゃってさ」
隣で甲高い声で彼女が笑うと、またしても僕の心臓が跳ね上がる。久しぶりだからだろうか、いつも以上にドキドキする。
「……でさ、何の用なんだ?」
「んー? 別に君は私に会えるだけで嬉しいんだし用なんて聞かなくてもいいんじゃない」
そう彼女がニコッと笑いかけてくると、その通りです! と言ってしまいそうになる。というよりぶっちゃけそう言いたい。だけど、このままでは話が進まない。今日、ここに来た意味がない。いや、僕にとってはあるのだけれども。
「ダメだよ。 今日、僕をここに呼び出した理由を聞かないと意味がなくなる」
「なんの意味がなくなるのさ?」
「今日、君が僕をここに呼び出した意味がなくなる」
僕は彼女に向き直って言った。目と目が合う、その瞬間は永遠にも感じられた。吸い込まれそうなその黒い瞳に僕は釘付けだった。
「……恥ずかしくないの?」
眼を見開いた彼女。どうやら何かに驚いているらしい。しかし、その何かが僕にはわからない。そのため僕は何も返せなかった。
「あの、さ。 そんな臭い台詞をさ、真顔でさ、しかもキメ顔で言ってさ、恥ずかしくないの?」
「恥ずかしい……かも」
────だよね、と彼女は小さく笑った。僕も笑う。うまく笑えたかどうかはわからないが。
「二股かけられた可哀想な女の子」
呟いた声が聞こえた。僕は眼を伏せる。彼女に言いたいこと────言えることは何もなかった。
「私の今のクラスでの立ち位置さ」
君のせいなんだよ、と彼女は唇の端を吊り上げる。このことに関して、僕にはなんの弁解もない。罵られるなら罵られるのみだ。
「だけどさ、君には結構感謝してるんだよ」
にっと笑ったその笑顔は眩しかった、どきりと胸が音を立ててなるくらいに。
「私一人ではきっと、彼の二股なんか気づかなかったもの」
「…………どうしてだよ?」
「だって、私自分にも嘘つきだからさ」
────いや、自分にこそ一番嘘をつくの。そう彼女は悲しそうに笑う。その仕草を僕はとても美しいと思った。僕は彼女を見る。ただ見とれていただけではない、単純に彼女にかける言葉も仕草も何も思いつかなかっただけだった。今目の前で悲しげな顔をしている彼女が一発で救われるような言葉を僕は持ち合わせていなかった。こういう時、香月ならうまいこと言うのだろうけれども、僕にはどうにもこういもできなかった。
「君が謝る必要なんてないよ」
「でもさ、結論で言えば俺があんなことしたから──」
君が悲しんでいるんだ、という言葉を俺は言わずに飲み込んだ。これ以上俺はこの人に何かを言うべきではないのだと思ったからだった。きっと目の前の彼女は全部自分のせいにするつもりなんだろう。だったらなんで、俺をここに呼んだのだろうか。
「君は何も悪くない、むしろ悪いのは綱図や私の方なのよ」
「あんたも。 あんたも何も悪くない」
「いーや。 私、結構君にひどい真似したからさ」
優しい。これが彼女の嘘だとしても、彼女は優しかった。鬱陶しいぐらいに優しかった。
「俺は、罵られる覚悟で来たんだぜ」
罵れよ、と俺は軽く笑った。ドがつくくらいマゾヒストの誕生の瞬間だった。
「ずるい人だよ、君は。 どうしてそんなにずるいの? 君はどうしてそんなに強いの?」
「惚れたよしみ。 好きな人の前でぐらいかっこつけたいんだよ」
彼女は僕を見た。顔からが火が出るくらい恥ずかしかったが僕も彼女の目を見る。うっすらと涙が溜まった眼。僕はそれをじっと見た。
「好きだ」
次に何を言うかとかそんなこんなを考えるよりも先に言葉が出た。慰めるだとか、救うだとか僕にとってはどうでもいいのかもしれない。悲しげな、憂鬱そうな彼女の顔は嫌いなのかもしれない。僕の視線は彼女の目から離れない。僕の周りから空気は消える、苦しい。僕は、僕は。
彼女は黙ったままだった。笑えよ、軽蔑しろよ。こんな最低な僕を、人の弱っているところに告白するような卑怯な僕を笑えよ。全部の責任を僕に擦り付けて楽になれよ。
「いい人だね、君は」
ハンカチを出して目元をぬぐってにこりと笑った。花柄のハンカチで、それが彼女らしくて愛おしかった。そんなことを思う僕を我ながら気持ち悪いと思ってほくそ笑む。いや、本当は彼女にいい人と言われて照れていただけなのかもしれない。
目の前の女の子は人差し指立てて言った。口元に笑みを浮かべたてはいるが、心から、心から笑っているようには見えなかった。
「だから、そんないい人な君の言うことを一つだけ聞いてあげることにします」
「それってさ──」
「質問は受け付けません、早く決めないと締め決めっちゃいますよ」
彼女はわざとらしくからからと笑った。僕も笑った。でも、本心からは笑えなかった。彼女が何を求めているのか、少し予想はついた。これは誘い受けというやつなのかもしれないということも理解していた。しかし僕のうぬぼれだという可能性もあった。それでも今、付き合ってと、彼女になってくださいと言えば笑顔で了承することもわかっていた。
どうすることがベストなのか、僕にはわからない。どうすれば彼女が心から笑顔になるのかもわからない。やっぱり世界はわからないことだらけだ。テストの回答ですら完璧に分らないのに、目の前のこの問題はどうやって解けばいいのだろうか。
真っ直ぐに僕を見る彼女。僕は大きく息を吸う。
「俺に、いや──僕と携帯番号とメールアドレスを交換してください!」
この日から、僕と彼女はメル友になった。
***
「まじありえないんだけど!」
私は携帯に向かって怒鳴る。本日の怒りをすべて解放して私は携帯をベットに叩き付けた。電話の相手はあいつだった。嘘をつかないあいつはどうやら私のことが好きらしく先週、二回目の告白みたいなことをしてきたのだ。そのくせ、度胸はない奴で友達も少ない。一週間、私の愚痴を叩き付けてきたがいまだによくわからない。ただひとつわかるのは、彼がいい奴だということだ。
「そんなこといきなりいわれても事の顛末をきかないことには何もわからないじゃないか……」
拾い上げた携帯を耳に当てると彼の声が聞こえて来る。思いっきりベットに叩き付けたというのに電話を切らなかったらしい。最近、彼のことを真正の変態じゃないのかと疑ってい始めた。その可能性、大である。
「うっさい! あんたは知らなくていいのよ!」
「理不尽すぎる。 酷い言いようだと思う」
「感想なんか受け付けてないっての! 明日から授業のノート、あんたの分とっといてあげないわよ!」
電話の相手の彼は今、停学中だった。あと数日で解ける予定らしいが、永遠に解けなくてもいいと私は思う。私のためだったとはいえ、本当に馬鹿なやつである、彼は。
「あー、香月に頼むから別にいいかも」
「……馬鹿じゃないの? そこは平謝りするところじゃないの?」
好きな女の子にノートをとってもらうということに彼は執着心はないのだろうか。もし私なら──。
「冗談ですよ、ノートお願いしますよ。 本当にお願いしますよ」
電波に乗ってやってくる彼の声は楽しげに笑ったいた。それにつられて私も笑う。
「あと数日だから我慢してあげるわ」
「ははー」
そこで会話は止まった。私が沈黙したからだ。彼との会話は楽しかった。自分の本心で誰かにぶつかるのは楽しかった。だけど、私はこれからも周りに嘘をついていい顔をし続けるのだろう。それでも昔と違うのは今の私にはありのままでいられる誰かがいるということ。それは、世間一般的に見たらとても素晴らしいことなんだろう。
「だからさ」
私は言う。呼吸は正常、いつも通りだ。続けて私は電話口に向かって呟いた。
「ノートをとっててあげた代わりにさ」
電話の相手である彼は黙っていた。私の声だけが聞こえた。胸の鼓動は早い。緊張しているのだろうか。
私は言う。
「学校に来たら、何か言うことひとつ聞いてよね」
窓を閉めているというのに、さわやかな風が私たちの間を通り抜けた気がした。




