表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
瞬間cm  作者: 藪乃幸次
2/4

その2


***


────今度こそだ、今度こそこの手紙をあの人の物の中に忍ばせてやる。この前は奴に邪魔されたが、今日は既に帰っていることを目撃している。忘れ物もしていないことも確認済みだ。だが、また誰かに横槍を入れられる可能性もある。そのことを考えると直接渡した方がいいのではないのだろうか。……『直接』か。

奴は直接私のことを好きだと言ってきた。三日前の話である。嫌いなはずなのに、少しだけ悪い気もしない。──しかし、まさかあの彼が私のことを『好き』だなんて……。こんなに嘘をついている私を。だが、彼に限って嘘をついているようなことはありえない。また、友達として好き、という意味にとるとしても私と彼はほとんど喋ったことがない。接点がないのだ。私のような間とは正反対にいる人間なのだ、彼は。

私は頭を左右に思いっきり振る。今考えるべきなのはあの人のことであって、彼のことではない。そもそも、私は彼のことが嫌いだ。あの嘘を憎む態度も、人のことを見透かしているような態度も、嫌いだった。嫌いだと思っていた。

教室のドアを開けると、誰もいない廊下にオレンジ色の光が差し込んでいた。窓辺に寄ると、グラウンドで部活をしているあの人が目にはいる。一瞬で一発だった、私の目が勝手にあの人に吸い寄せられるような感じだ。気がついたら視線の先にあの人がいる。そして、胸が締め付けられるように切なくなる。高鳴る。これを恋、好きと呼ばずになんと呼べばいいのだろうか。あの人の表情は真剣そのもので見ているだけで喉奥が震えた。身体が熱くなっていき、手汗で掌が湿る。脇が少し気になったがきっと大丈夫だろう。今日のために準備はぬかりない。肩にかけた手紙が凄く重く感じた。

 小気味良いリズムを立てながら階段を降りていく。緊張で胸がはちきれそうだった。落ち着け落ち着け、と心の中で何度も唱えても心の重しはまるで消えそうにもない。一階に降りてグラウンドを眺める。気を抜くと涙が溢れてきそうな気がした。もうすぐ部活している以外の生徒が帰らなくてはならない時間になる。しかし、あの人が所属している部活動が終わるのはその時間よりもかなり後だ。直接渡すのならば待たなければならない。そうなった場合のためにもちろん策は練ってある。いや、これを策と呼ぶのは間違いだろう。単純な話、自習室へ行くのだ。そこで彼が終わるまで時間を潰す。それだけのことだったらからである。

校舎に下校時間を知らせるチャイムが鳴り響く。私はどうするべきなのだろうか。ロッカーに手紙を忍ばせるか、机に置いていくのか。それとも────直接渡すのか。


大きく深呼吸をしてみる。夕日は既に沈みかけ、空は赤黒く染まりかけていた。髪をさらう風が思った以上に冷たくて冬がすぐそこに来ていることを感じさせた。ふと、彼の目を思い出した。私のことを『好き』だと言った時の彼の目を。真剣そのものなあの目を。。


目を閉じてもう一度大きく深呼吸。私はグラウンドに背を向け、階段へと向かう。自習室は確か三階だ。階段を上る足取りは妙に軽かった。


***


10月中旬、机に頬杖をついて外を見る。窓辺から差し込んだ柔らかな日差しが少し眩しくて目が細まった。空には巻積雲、つまりいわし雲が散りばめられ風に揺らされていた。壁に設置されたスピーカーからは今流行りのアイドルグループの曲がとても小さいボリュームで流れていた。息を吸うと、紙のどこか甘い匂いが鼻につく。僕はこの匂いが好きだった。

「なーに黄昏れてんの?」

「あぁ、香月か」

後ろを振り向くとそこには整った顔。香月浩、そんな名前の奴。彼の前髪や襟足は以前は長かったはずなのに今日は違って短くなっていて、どことなく真面目な印象を与えている。もしかして彼も振られでもしたのだろうか、僕のように。いや、そんなことはありえない。彼のあだ名は『第二図書室の貴公子』だ。つまり顔がいいのである。

「それ誤用だからね」

「へ?」

香月はきょとんとした顔をする。まぁ、既に定着してしまった言葉なのでこのような反応は仕方ないのであろう。

「いや、さ。『黄昏れる』って言葉が誤用だよ、って言ってんの」

「間違えてないって。 夕方になることや物事の盛りが終わって衰えることを指すんだろ?」

「お前は僕の人生が既に最盛期を迎えて終わりかけていると言うのか?」

ひどい奴だな、と僕が毒づくと彼はクスッと笑う。本棚に囲まれたこの場所、つまり図書室には僕と彼の二人しかいなかった。

暗いな、と彼は言った。

「そう? 窓から光が入ってきてるし、僕にはちょうどいいくらいだけど」

今は太陽が一番高くなる時間帯だ。プラスしてこの部屋はかなり日当たりがいい。昼寝をするにはかなりいい場所だな、と僕は来るたびいつも思う。

「ここのことじゃないさ、君のことだよ」

香月が僕の向かいの席に座って僕を見る。少し垂れた彼の目の瞳には僕一人だけが映っていた。

「それに、君がここに来る時は決まってほとんどが悩んだ時や思い詰まった時だからね」

「へいへい、いつもテンプラ通りの行動をしているんだな僕は」

「それを言うならテンプレだっての」

逆に指摘されてしまった。いや、誤用ではなく間違いだからセーフか。それでも恥ずかしいものは恥ずかしいな。少し上手いことを言って自分のフォローを試みることにしよう。

「僕の行動はいつもアゲアゲでサクサクなんだよ」

「それで時間が経って萎びてきちゃったんだ」

「そうそう、お前に揚げ直しに来てもらったの」

「それで? 今度はなにがあったの?」

目の前で少し茶化していた目が真剣モードへと突入する。やはり、こいつは友達思いでいい奴だな、と僕は感心した。しかし、僕の感心と今回の落ち込みの原因であることの話しやすさは比例しないのだ。

上手いこと言い出す心のタイミングをつかめず、僕は口ごもった。『えーと』だとか『まーね』だとかの茶を濁す言葉が僕の口先で踊り狂う。

「いいからさ、話してみなよ。 話さなきゃなにもできないぜ?」

目の中の鏡に僕が映る。何もおかしいことはないはずなのに、唇の端がキュッと吊り上がった。僕は両目を片手で塞ぐ。そして、やけに重い口をなんとか開いた。

「あの子がさ。 あの子が付き合い始めたんだ」

ぐらりと脳が揺れた気がする。数秒前の言葉は外に吐き出しても喉に引っ掛かっていた。

「……あの子。 あぁ、例の嘘つきちゃんのことね」

香月は頬杖をついて目を泳がせた。あの子についての記憶を洗っていたのだろう。

「そう、例の嘘つき女のことだよ」

「ふーん、で? 君はそれをどうして知ったんだい?」

「彼女にさ、直接言われたんだよ。 ……死刑みたいなものさ。 ギロチン的な」

「なんて言われたの?」

「『あの人は恥ずかしいから黙っててって言われたんだけど、君にはある意味感謝してるから伝えておくね』って急に言われてさ───」

────この先は口に出したくなかった。付き合っている付き合っている付き合っているなんて何度も言いたくなかった。口に出して、再確認したくなかった。だから、僕は口を閉じた。思いのほか硬く閉じてしまった口は二度と開かないような気がした。二度と開かなければいいと思った。

「…………大変だったね。 君はさ、それで──どうしたいの?」

「…………いや、さ。 それがわからなくてどうしたもんかと思ってさ。 気は滅入るし、最悪な気分なうって感じ」

自分で言ってて更に気が滅入ってきたような錯覚に陥る。──いや、錯覚ではなく現実か。僕は視線を彼から外した。窓の外は嫌に青かった。

「どうしたもんか、て言われてもね。 ……それよりさ、君はどうして嘘つきちゃんのことが好きになったの? 」

香月は苦笑する。そして、僕は黙った。時計の秒針が小刻みに動く音がやけに大きく聞こえた。

「笑わないか?」

「笑わないよ」

香月は笑いながら言う。その様子を見て、僕も少し笑った。

「一目惚れなんだよ」

え、という声が彼の口から漏れた。僕は足にに力を入れ、前方の足だけを浮かす。少しだけ、ほんの少しだけ、天井が近くなった気がした。

「一目惚れなんだよ、ヒトメボレ。 一発でやられたね。 ズッガーンってさ、体全体に電気が走る感じ。 気がついた時にはもうメロメロのキュンキュン 」

おかしいだろ、笑えよ。そう僕は言って椅子を元の状態に戻した。今度は本当にさっきより天井が近くなった。目の前の男は少しだけ優しく微笑んで口を開けた。

「この世にはさ、マグレと気まぐれしかないんだぜ」

「えらくかっこいいこと言うんだな、大爆笑の自信があったってのに」

「受け売りだよ、この前読んだ本に書いてあったのさ」

「それで、その言葉から俺になにをアドバイスするんだ?」

僕がそう聞くと彼はクスッと笑って目を閉じて見せた。

「特にないよ、思い出したから言ってみただけ」

「なんだよそれ」

ちょっとだけ僕の声のトーンが下がる。その様子を聞いてか香月はくつくつと笑った。

「君にだってあるだろ? 頭の中にポンとでてきて言いたくてたまらなくなるーみたいなこと」

「まぁ、わからないことはないけどさ」

「じゃあ、いいでしょ?」

香月は大きく伸びをする。その下がった目尻は僕に彼が眠いのではないかと思わせる。

「そこそこシリアスな話をしているんだ、そういうことは後にしてくれると嬉しい」

「はいよー」

「そんなことよりだな────」

と僕が言っている途中でドアが開く音が混ざる。口を開けたまま視線を入り口へとスライドさせる。ひらひらのスカートが目に入る。

「香月くんいる?」

そこにいたのは今ここで話題に出そうとした『彼女』だった。香月はちらりと僕の方を見てから微笑を浮かべた。そして、立ち上がって彼女の方へと歩いていった。

「どうしたの? 何か用かな?」

にこやかに笑顔を浮かべて彼女に接しているのだろう。ここからだと香月の背中しか見えない。それに加えて小柄な彼女はその背中に隠れてしまう。つまり、この位置からでは二人の表情は見えないわけである。だから、声のトーンからででしか彼等の調子を想像することができないのだ。彼女の顔をじっくりと見れないのが心底惜しい。

「いや、ね。 本を探してるんだけどね。 図書室になかったから先生に聞いてみたらここじゃないかと言われてね。香月くんっていつもここにいるから詳しいんじゃないかなーって思ったんだ」

一気に喋る彼女に対して香月はうんうん、と相槌を打ちながら耳を傾ける。香月は基本紳士であることを知っているが、少し胸にモヤっとしたものが広がった。

「あぁ、それでね。 ……えーと、本の題名は何? 探してくるよ」

メモでも渡されたのだろうか、少し沈黙すると彼はクルリと向きを変えたくさんの本棚の方へと消えて行った。第一図書室で借りられることのなかった人気のない本はここ、第二図書室にお蔵入りされる。また、それなりに貴重らしい本もあるらしいここは本来なら鍵がかかっているらしいが、何故か香月は鍵を持っており、入り浸っている。それなりに彼とは付き合いがあると思ってはいたけれど、まだまだ知らないことがあるということである。それに彼はあまり詮索されたがらないのだ。

そんな風に思案しながら彼が本を探している様を見ていると、彼女がこちらを見ていることに気がついた。ドキリッと心臓が跳ね上がるような感覚。急に息苦しさが襲いかかる。

「ねぇ、あなたって香月くんと仲良かったんだね」

艶っぽい唇から言葉が投げかけられた。返事をしようと思っても沸き立つ胸に言葉が出てこない。どうやら僕は久しぶりの彼女とのコンタクトに焦っているらしい。

「私、君は友達がいないものかと思ってたの」

ニコッと笑った。可愛らしい笑顔だったが、その表情とは裏腹に言葉には多量の棘と毒が含まれていたような気がする。

「ぼ、僕にだって友達いるさ。 馬鹿にしないでよね」

「へー。 何人くらい?」

必死で数えて見ても両手にも満たなかった。こういう時に嘘で誤魔化すなんてことが出来ないのが少しだけ悲しいような気もするが、嘘をつく自分、なんてものが想像出来ないのでこれでいいのだろう。

「私さ、君のことが嫌いだけれども結構感謝もしてるのよ」

へ、と間の抜けた声が出た。僕は彼女に感謝されるような真似を、好かれるような真似をした覚えはない。それどころか、ほとんど接点も持っていなかったのだ。

「いや、ね。 彼────ううん、綱図くんに告白する時にね、君のことを思い出したから直接告白したんだ。 好きです、付き合ってくださいってね」

満面の笑みで語る彼女。それに僕は相槌すら打たなかった。いや、打てなかったという方が正しいか。

「それでね、綱図くんってね。 ラブレターとか嫌いらしかったんだ。 だから、もし私が彼にラブレターで告白してたら付き合えてなかったかも、って思ってね」

わざと、なのだろう。嫌いな人の好きな人が自分であると知ってての行動なのだろう。それに僕と一対一の時には嘘をつかないと彼女は言っていた。嘘つきの彼女のことだ、これも嘘の可能性があるのだけれども。

「だから、ありがとね」

彼女がその時に見せたのは、天使の笑顔と表現してもいいぐらいに幸せそうで楽しげな笑みだった。そして、その笑みに僕は見とれた。

それから、時計の長針が進む、チクタクと音を響かせながら。僕の頭に反響する。告白。成功。ラブレター。綱図。図書室。本。香月。彼女。僕。好き。嫌い。夕日。空。月。───まるで連想ゲームだ。次々と脳内に浮かんでは消える情景に、僕は彼女の笑みを重ねていた。

「本、見つかったよ」

ぽん、と僕の肩に手がおかれた。瞬時に体は硬直し、弛緩する。その衝撃で脳内の情景もすべて吹き飛んだ。吹き飛んで、心の奥底へと転がり落ちていったのだ。

「ありがとね、香月くん。 そしてあなたも」

「うん、またなんかあったら来てよ。 ほとんどここにいるから」

一言、二言と会話を楽しげに交わす二人。それを黙ったまま聞く僕。本を確認する彼女。チラリと僕の方を見る香月。僕。もう一度お礼を言う彼女。香月。僕。この閉鎖された息苦しい場所から出て行く彼女。

いつの間にか予鈴のチャイムが鳴る。椅子に座っていた僕を香月はじっとりとした目で見ていた。

「君ってさ、不倫だとか浮気だとか略奪愛だとかってどう思う?」

この広く開放的な部屋の中、香月は僕に聞いた。開け放たれた窓から入ってくる光と、爽やかな風が鬱陶しかった。

「大っ嫌いだ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ