4トッカータとフーガ ニ短調
Johann.S.Bach 作
★ヨハン登場
SIDE ヨハン
ヨハン・フェルディナント・ド・コンラート
王国第二王子殿下であるが、王太子殿下にお子が誕生したため、無闇な権力派閥を避けるよう自ら騎士団に身を投じた。
現在、王位継承権三位である。
唐紅色の髪に意志の強そうな榛色の瞳。
その燃えるような赤髪は闘志を表し、千人にも及ぶ王国騎士団を纏め上げる人物だ。
◆◇◆◇◆◇◆
端麗過ぎて怖い程のその女児は、言動からして貴族令嬢では無い。
けれど凛とした振る舞いと、両手にできた剣ダコから、騎士爵嬢だと予想された。
そこにあの特徴的な薄青銀髪と、暗闇でも輝く水色の瞳だ。
間違いない。この女児は傾国の魔王と呼ばれるゲオルク・ローレンの息女だ。
さらに、自分の身体の中で、有り得ないことが起きて居た。
女児のチェンバロ演奏を聴いた途端、燻り隠し続けていた左膝の痛みが綺麗に消えた。
有り得なさ過ぎて思考が追いつかないけれど、騎士団長として、王族として、確認しなければならない。
だから女児に歩み寄り、怖がらせないようゆっくりと話しかけた。
「はじめましてお嬢さん。私は王宮騎士団のヨハンだ」
女児の受け答えは、その見た目年齢に伴い、理路整然には程遠いものだった。
半歩後ろに控えて居たフレデリックは、魂を抜かれたように半口を開けて女児に釘付けだ。
それでもこの奇妙な出来事を検証するため、パイプオルガンの演奏を許可した。
すると破顔した女児が、我が身体に抱き着き、見上げて言う。
「ありがとうございます! とっておきのヨハン様を弾きます!」
立場上、刺客を意識し、幼子でも触れることを許さない。
けれどいつもなら躱せる速度のソレを、躊躇うことなく受け入れた自分に慄いた。
更に言えば、我よりも先に動くであろうフレデリックすら、抜刀どころか左手が鞘にも触れていない。
それでも、可笑しな事はさらにさらにと続く。
女児のとっておきなヨハンは、本当にとっておきだった。
催事でもないのに響く音色とその驚嘆なる旋律に、教会周辺が俄かに騒がしくなって行く。
さて、これはどうしたものかと思いを巡らせているところに、突然現れた男が女児を隠すように我らの前に憚った。
「ヨハン団長、我が妹が大変なご迷惑をお掛けいたしました。フレデリックもすまない」
エリック・ローレン。
フレデリックと同じく、史上最年少で入団した団員であり、ゲオルクの子息。
つまり、この女児の兄である。
フレデリックとエリック。
Wリックなどと陰で揶揄される名も似たこの逸材たちは、同年齢の同期であるが、現在の地位は雲泥の差がついている。
第一騎士隊に入団より所属し鍛えられたフレデリックは、圧倒的な強さを誇り本年度より副隊長となる。
反対にエリックは第九騎士隊を自ら希望し、その中でも不人気な門兵や雑用を入団より熟していた。
これでは宝の持ち腐れだと周りが騒ぎ、何度も移動を打診するも、父親が長期不在のため、家族を守らねばならないという体で辞退され続け今に至る。
けれど真の理由は別にある。
エリックは我が父、つまり陛下の影だ。
何の計らいでか、機密下で騎士団へ在籍しているに過ぎない。
だが、これで合点がいった。
これはエリックの言葉通り、色々な意味で守らなければならないはずだ。
現に魅了されたフレデリックは女児に釘付けであるし、教会の門は今にもなぎ倒されそうな勢いで叩かれている。
ところがそこで、笑顔のエリックとは裏腹に、半歩後方に控えるフレデリックがゾクリとする殺気を放った。
勿論、その殺気が向かう相手はエリックだ。
女児登場から一度も触れることのなかった愛刀に手を添え、カチャリと態と音を立て、エリックを煽っている。
腹立たしいことだが、凡人である自分には、この天才たちの間で何が起きているのか正確には把握ができない。
辛うじて、小さな空間の揺らぎを捉える事は出来た。
どちらかが、無詠唱の魔術を放ったのだろう。
けれどそこで、多分色々な意味で『紙一重』なのであろう女児が、そんな天才たちの間に割って入った。
「お兄ちゃん! ヨハン様が弾かせてくれたから、ヨハン様の曲を弾いたのよ」
「マイシュガーハニーアンジェ。とっっっても素晴らしかったよ」
「ほんと?」
「ほんとさぁ!」
漸くフレデリックの殺気が消えたため、つと振り返れば、一人心地で百面相を繰り広げるフレデリックがいた――
◆◇◆◇◆◇◆
教会での数日後、執務室にエリックを呼んだ。
「単刀直入に言う。エリック、妹君の全てをもみ消し守ると誓おう」
その言葉で全てを把握し、一切感情の読み取れない表情のままエリックが返答する。
「それは取引ですか? 命令ですか?」
だから不敵に笑って、我が迷いすらも吹き消すよう断言した。
「明日から三番隊に移動しろ。命令だ」
「……御意に」
後に、ローレン兄妹が起こしたこの騒動は、聖都教会の奇跡と呼ばれることとなる――




