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3パッヘルベルのカノン

Johann.Pachelbel 作


★フレデリック登場

SIDE フレデリック




 フレデリック・ヴァン・シュリフェ。

 侯爵家の嫡男であり、プラチナブロンドに輝く髪と、とても明るい琥珀色の瞳を携えた美男子だ。

 さらに素晴らしいのは、家柄・容姿・品行方正だけでなく、史上最年少で騎士団入りを果たした剣の手練でもある。


 と、このようにさらりと述べただけでも、なんとも完璧すぎて嫌味なほどの青年だった。


 それでもそれは彼の表面をただなぞっただけの説明であり、中身は負けず嫌いで寂しがりやでヤキモチ焼きで鈍感な、あー、はいはい。な、王道メインキャラでもある――



◆◇◆◇◆◇◆



 ヨハン団長と共に教会へ立ち寄ったのは、先の討伐で負傷し、入院中の隊員たちを見舞うためだった。

 かなりの大戦だったので誰彼も経過は余り芳しくなく、教会を以ってしてもお手上げの状態だ。


 こうなってしまった経緯は省く。

 今更詰ったところで、裏切り者の戦犯は既に死亡しているし、瀕死の隊員たちもどうにもならない。

 奇跡が起きるのをただ祈るばかりだ。


 そこで見舞いの後、神殿にて祈りを捧げようと移動をしていた時だった。

 催事がなければ鳴り響くことのない、パイプオルガンの音色が耳に届いた。

 けれどその後すぐその音は止み、女性が誰かに何かを嗜めるような声が響く。


「アンジェリクちゃんごめんなさい。パイプオルガンは弾かせてあげられないの」


 内容からして、多分これは聖女の言葉だろう。

 その台詞に沿うように、ヨハン団長が呟く。

「子どもの悪戯か?」

「そのようですね」


 ところが今度は、チェンバロのポリフォニーが始まった。


「なんだこの曲は……」


 ヨハン団長はそう呟いた後、演奏が終わるまで口を開くことはなかった。

 自分もまた、動けば曲が止まってしまうような気がして、身じろぎもせずその場に立ち竦んでいた。


 後に祖父から、この曲の典型技法を『カノン』と教わる。

 ある旋律を他の声部で、厳格に模倣しながら追いかけてゆく技法曲だ。

 けれど何も知らずに初めて聴くこの音楽は、我が根底を覆すほどの斬新な音色だった。


「…、ア、アンジェちゃん、とても素敵だったわ……」


 驚きに満ち、少し掠れた女性の声が奏者を労わる声を出した。

 ちゃん付けで呼ばれることからも、その奏者はまだ成人前なのだろう。

 けれど、どこぞの貴族のお嬢様であったとしても、この状況は有り得ない。

 ジャンルすらないこの斬新な曲を、ちゃん付けで呼ばれる少女が即興で弾いたことになってしまう。

 ところがその後、我らはさらに驚くこととなる。


「ありがとうござぃます、せいじょさま」


 喜び弾むように答えた声色加減は、少女ではなく、もっと小さな幼女のものだった。

 ヨハン団長も同じ想いだったのだと思う。

 常に冷静な彼が、我慢できずに礼拝堂へと足を踏み入れた。

 自分も団長を追い、この目で確かめたかった謎を解く。

 そしてそこには、我らの登場に驚き目を見張る、美しい人形(ヴィスクドール)が居た。




 薄曇り空のような色合いの青みがかった長い銀髪に、宝石のように煌めく薄い碧眼。

 唯一、我が瞳に映る者が人間だと思わせたのは、右目尻に浮かぶ黒子のお陰だろう。


 浮世離れというか規格外というか、母上が幼少時から大切にしている人形そのままだ。

 目尻のホクロ以外、余りにも似すぎていて、あの人形が動き出したのではないかと思考が舞う。

 けれどどこかで見たことのある造形で、それがどこだか思い出せず、舞ったそれは明後日の方向に飛ぶ。


 その場に居る誰もが、何をどう言葉にして良いのか分からないでいた。

 そんな空気を切り、我に返ったヨハン団長が、幼い子に対する親しみを込めた挨拶をする。


「はじめましてお嬢さん。私は王国騎士団のヨハンだ」


 すると幼女が驚きで更に目を丸くし、輝く笑顔で斜め上の答えを返してきた。


「ヨハン? 本当?!」


 騎士団という肩書きでなく、単純に団長の名前に驚いたようなその返答に戸惑った。

 更に続く幼女の台詞が、それを確実なものとする。


「今弾いた曲もヨハン様が作ったの。それからコレもヨハン様が作った曲なの」

 そう言うが早いか、先ほどの曲とは違う旋律を右手だけで軽く奏でた。

「どちらも違うヨハン様だけれど、どのヨハン様もすごいの!」

 そして何が楽しいのか、クスクスと笑う。

「だからヨハン様も、きっと偉大ね!」


 けれどふと思い出したように動きを止めると、眉尻を下げしょんぼりしながらボソと呟く。

「本当はパイプオルガンも弾きたかったけど、私の身分じゃダメなんだって」


 そこでヨハン団長が、幼女へ言葉を返す。

「ほう。それならばお嬢さんがパイプオルガンを弾けるよう、私からお願いしてみようか?」

「え? そんなことができるの?」

「あぁ、できるよ」

「やっぱりヨハン様は偉大!」


 パァーっと花が咲くように破顔すると、幼子特有の人懐っこさで団長に抱き着き、見上げて言い放つ。


「ありがとうございます! とっておきのヨハン様を弾きます!」


 上目でそう言いきった幼女を間近で見やり、胸がキュッと絞られ、堪らなく愛しいと思った。

 そんな初めての感情を抱いたことにモヤモヤして、首を捻る。


(待て。愛しいって何だ?)




 成人を迎え、侯爵家嫡男として婚姻を急かされるようになった。

 本宅に帰れば、適齢期女性たちの肖像画が山積みされているが、最近は別宅にもそれが届くので、騎士団寮に引越し逃げた。


 男が九割を占める騎士団で、常日頃からむさ苦しい中で過ごしているからか、どうにもこうにも女性のあの独特な化粧とか香水などの匂いを受け付けない。

 かと言って、強烈な汗臭や足蒸れ臭も受け入れられないけれど。


 そんな想いに耽られたのは、幼女がパイプオルガンを弾き始めるまでで、ただでさえカノンに感銘を受けたばかりだというのに、続くフーガで完全に心は打ちのめされた。

 勿論、この『フーガ』という形式も、後に祖父から教わるのだが。


 そして大音量で奏でられるパイプオルガンフーガのお陰か、辺りが騒がしくなっていく。

 誰彼もが、間近で聴こうとしているのか、教会の扉が盛大に叩かれている。

 そこに、一人の男が音もなく忽然と現れた。


「ヨハン団長、我が妹が大変なご迷惑をお掛けいたしました。フレデリックもすまない」


 彼女を隠すように壁となり、建前だけの謝罪の言葉を告げる男。

 同年の同期であり、俺が密かにライバル視するエリックだ。


 余り似てはいないが、口ぶりからしてどうやらこの幼女は、彼の妹らしい。

 そして妹のことになると、いつもの冷静さを失うようで、ピリとした殺気を完全には抑え込めていない。


 魔力を持たない筈のこの男は今、確実に、認識阻害の結界を幼女に張った。

 しかも無詠唱で、だ。

 更に、成り行きに依っては、団長へも攻撃を厭わない覇気を、笑顔のまま纏っている。



 この男は強い。



 手合わせをしたことは一度もない。

 けれど肌で分かる。感じる。

 ゾクとした、下から突きあがるような感に見舞われ、思わず笑みが零れた。

 それでも、一触即発状態に終止符を打たせたのは、パイプオルガンを弾き終え、恍惚とした表情で語る幼女の声だった。



「お兄ちゃん! ヨハン様が弾かせてくれたから、ヨハン様の曲を弾いたのよ」

「マイシュガーハニーアンジェ。とっっっても素晴らしかったよ」

「ほんと?」

「ほんとさぁ!」


 エリックの殺気が全て吹っ飛び、代わりにピンクのオーラがポワポワ浮かぶ。ように見えた。

 そして目尻を極限まで下げまくり、妹へ向けて、甘たるい声で甘たるい台詞を吐いている。

 しかも空高く抱き上げ、クルクル回りながら……


 そこで気がついた。


(そうか! 自分には弟妹が居ないからわからなかったけれど、この感情は、兄妹に対して芽生えるものだ。小さきものを可愛いと愛しく思う。そういうことなんだ!)


 そう一人心地に納得し、漸く左手を鞘から外す。

 ところがそこで、片眉を上げて、胡乱に俺を見るヨハン団長と目が合った。


 え? なぜ呆れたような顔で自分を見るの?


 これが自分の遅い初恋だったと認識するのは、まだまだ遠い未来な、フレデリック十五歳だった――

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