38 トルコ行進曲 ヴォルフ編曲
W. A. Mozart 作
「おぉアンジェ良いところに! 見てくれ。創作意欲が湧きに湧いて、編曲を一気に書きあげてしまったよ」
今にもジルバ辺りを踊り出しそうなステップを踏みながら、ヴォルフ様がホールに現れ、出来立ての楽譜を手渡される。
が、並んだ音符を見ただけで、恐ろしさから楽譜を落としかけた。
「イィッ」
吸い込んだ息が悲鳴になる。
本気の悲鳴は、母音しか出ない。これマジで。
「大丈夫! アンジェなら弾ける弾けるぅ」
語尾に音符マークが付きそうな塩梅で、ヴォルフ様は軽く言うが、はっきり言おう。
莫迦なんじゃなかろうか――
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作、ピアノソナタ第十一番・第三楽章。
通称、トルコ行進曲と呼ばれるこの曲には、とても有名な編曲が二つあった。
ファジル様のジャズ風アレンジと、ヴォロドス様の原曲乖離超難アレンジだ。
そして今、この手の中にあるヴォルフアレンジは、難技巧のブギウギ風リズムになっておりますよ。
一体、どうやったらこんな……
もう一度言います。
莫迦なんじゃなかろうかっ!
「アンジェはどうもラテンが苦手だからね。弾きなれた曲のアレンジならイケルイケルっ」
ブギウギな曲をハミングしながら、それはジャイブなステップで、ヴォルフ様が我が相棒の周りを旋回する。
さらに私へ手を差し伸べながら、セルゲイ隊長を思い起こさせる、ラテンなセリフを言い出した。
「こういうのはノリと勢いさ。カモン、アンジェ!」
だからヴォルフ様の手を取り、踊ったことはないけれど、見よう見まねで踊り出す。
わかってきたぞ。
ジャイブはスキップができれば楽勝だ!
「うっ……どうしよう、ナニアレ、止めるべき?」
「じ、祖父さん元気だな……」
「アンジェそのスキップは川田アナ……」
ノリノリだったので
私より遅れて大公邸に到着した、孫二人と居候さん方々の、お気持ち表明は聞こえませんでした。
◆◇◆◇◆◇◆
「ア、アンジェリク! わたくし、色々思い出しましたの! 思い出しましたの!!」
「な、なにをでしょう……」
興奮状態で現れたソフィアさんが、私に駆け寄ってくる。
何やらソフィアさんの云うことにゃ、白竜王ルートは開放条件が白竜王の危機を助けたことらしく、それで大聖女に覚醒するのだとか。
そして、白竜王の危機はバジリスク討伐時に起きるのだとも。
「でもさ? 大聖女覚醒条件とかもう分かっちゃってるわけでしょ? ということはさ? 竜王はソフィアさんとフォルテッシモ確定?!」
「そう! そういうことなのですわ! わたくしは、全力でフェリクス様とフォルテシモなのですわ!」
「「きゃ~~~~っ!」」
盛り上がっておいてなんですが、いつも入るルロイのツッコミがないのでちょっと寂しいです。
けれどあちらサイドで、兄とフレデリックが騒いでおりますが、えー、何?
しかも、あちらこちらで、意識を失う方々が……えー、集団貧血?
「ルロイ待て待て待て待て!」
「ルロイ、爪、つめつめ! ヤバイヤバイヤバイって!」
「メイプルシュガースイートハニー、大広間のピアノ弾いて~」
「エリック、なんかもうそれ、ただの甘味料じゃない? アンジェのアの字も入ってないじゃん」
ごちゃごちゃ騒ぐ彼らを無視して、ピアノ椅子に腰かけた。
そこでソフィアさんが、広げようとした楽譜を覗き込む。
「アンジェリク、何をお弾きになりますの?」
「ん? あー、トルコ行進曲なんだけど、ヴォルフ様編曲なの」
「まぁ! わたくしの得意な曲ですわ! それを大公閣下がアレンジされたのですか?」
「うん。凡人の感覚じゃ、理解できない感じで」
そう言って手にしていた楽譜を、ソフィアさんに手渡した。
「アアアアアアアアンジェリク?」
どう聞いても『ア』が多すぎかと存じますが、えぇ。確かに私はアンジェリクです。
「こここれはいいいったい……」
『こ』と『い』も多いけれど、言いたいことは解るので答えます。
「えっと、ブギウギトルコ行進曲ヴォルフ編曲?」
「こ、こんなの弾けませんわよ! 一小節がこ、こんな行進曲なんて有りえませんわ!」
「うん、しかもヴォルフ様の指示はダブルタイムね」
「ご、ご冗談でしょう?」
まぁ、確かに。
練習しまくった今でも、莫迦なんじゃなかろうかと思っておりますし?
初見のソフィアさんが、そう思うのも無理はない。
でも矢張り、ヴォルフ様が編曲したものだ。どうにか弾き熟し、世に出て喝采を浴びるべきだ。
そこまで考えて気が付いた。
ソフィアさんも、毎日頑張ってピアノを練習していると言っていた。
ならばこの機に、皆の前で発表したいのではないかと。
だから閃いたとばかりに告げる。
「あ、ソフィアさんも弾いたらどう? 練習沢山してるんだしさ!」
けれどソフィアさんが片手のひらを私に向け、嬉々と断言した。
「それは出来ませんわ! フェリクス様は独占欲の強い方ですし、わたくしを愛しすぎ、他の攻略対象とセッションなど見聞きすれば、王都を殲滅してしまいますもの!」
「ルロイ待て待て待て待て!」
「ルロイ、爪、つめつめ! ヤバイヤバイヤバイって!」
既視感を感じる遣り取りが、後方から響く。
そして今度はフレデリックから、ピアノを弾けと催促された。
「アンジェ、早くピアノ弾いて!」
慌てて楽譜を広げ、指体操をする。
ところが不意に現れたセルゲイ隊長が、広げた楽譜を取り上げニヒルに笑う。
「もう音符なんて頭に入ってんだろ? ノリと勢いだぜ。カモン、アンジェ!」
溢れる既視感。
「うえぇ。大公の遺伝子、こわ~」
トルコ行進曲は一小節二拍だが、それをブギの八拍子に改造。
更にダブルタイムという、まぁ簡単に言うと加速装置を付けられた感じ。
そこに原曲よりも激しい技巧が加わっているので、奏者は暴言を吐きたくなるのだ。
それでも、こういった曲に挑戦したくなるんだ、これがまた。
弾き切れた時の達成感って、何物にも代えがたいから止められない。
ちょっとした中毒かもね。ランナーズハイみたいにさ。
「うわ……知ってる曲なのに、全く知らない曲だ、これ……」
「ひ、ひける方が存在するのですね、あんなあんな……」
「まぁ、僕のスイートアンジェは天才だからね」
「ふっ。やっと殻を破ったか。どれ、もうちょい煽ってやるかな」
クライマックスに近づいたころ、突然チェロの音がピアノの後からついてきた。
そう、カエルの合唱みたいに、主旋律を輪奏されているのだ。
同意のないそれは、例えるなら車間距離をビタっと詰められて、煽り運転をされているようなものである。
だけど、唯でさえダブルタイムのダッシュ中だ。
主旋律だけとはいえ、初見聴奏で楽々それをやられると……燃える。クソがっ!
こんなことをする、できる、チェリストはあの男しかいない。
だからチェロの音色がする方向へ向けて、一瞬だけの意思表示をした。
「あはははっ! ハンニャー!」
く、くそ。
「どう表現したら良いんだ、この混沌の渦をよ」
「はっ。無駄だよジョージ。天才×天才の破壊力だな」
「あら、団長甘いわよ。ほら、バイオリンを持った天才たちが……」




