35 風の通り道
J.Hisaishi 作
「実はこちら、フレデリック様ルートの大公閣下企画イベントなんですの!」
先ほどのスコアを持ったソフィアさんが、ルロイを伴って隊舎にやってきた。
ピアノを弾きにフレデリックの部屋へ行こうとしていた矢先だったけれど、まぁた長くなりそうな予感がする。
「フレデリック様とわたくしが、愛の喜びをアンサンブルいたしまして」
「あーはいはい、で、フランツとアンジェがタンゴをやって、競うとか?」
「えぇ。ですが、本来はヒロインとフレデリック様のペアなのです。それを悪役令嬢であるわたくしが横取りしてしまいますの」
「へぇ。あんたも大概忙しいね」
「まぁ、ですけれどちゃんと当日にヒロインが現れ、フレデリック様はヒロインを選び、イベントは成立しますのよ! はふぅ」
ソフィアさんは頬を染め、ロマンチックな溜息を吐いておられますが、ヒロインはどこにいるのでしょう?
「因みに、フランツ様ルートですと、ヒロインとフランツ様が愛の喜びをアンサンブルするだけで、この競い合いはありませんの。けれどリベルタンゴとアンジェリクが出てきましたから、間違いありません。ヒロインはフレデリック様ルートですわ!」
イベントとは条件をクリアすると起きる催しで、攻略対象との愛がとても深まる大事なものらしい。
そしてヒロインの恋路を応援してくれているヴォルフ様が、そのイベントを手掛けてくれたそうだ。
どこにいるのか分からないヒロインの為に、皆さまお優しいですね……
なぜか胸にチクチクとした痛みが走り、虫でも付いているのかとビビッと手で払った。
「アンジェ?」
「あ、や、虫がいた気がして」
「え? この部屋に虫がいるわけないじゃん。防御魔法かかってんでしょ?」
「ん? あ、そうか? あれ? じゃなんでだ?」
「さぁ? ププ」
なぜかニヨニヨしているルロイの表情に、妙に苛立った。
最早、ダッシュで話を終わらせピアノを弾きに行きたい。
だから質問などは一切せずに、さくさく話を進めようと思います。
とりあえず、ヴォルフ様からいただいた楽譜だ。弾かない理由は一切ない。
というか、どちらも弾きたい。
でもそれはイベントとやらが終わった後、改めて楽譜を借りれば済むことだ。
けれどうちの上司に、どう説明すればいいのか分からない。
というかさぁ、ヒロインはどこにいるんだってばよ?
「ヴォルフ様がそう言うなら……でも隊長がやってくれるかなぁ」
「そんなの聞けばいいだけじゃん。ねぇフランツ~! この楽譜弾ける~っ?」
そこでルロイが、キッチンにいるであろう上司に向かって叫ぶ。
すると、驚き震えるソフィアさんが切り返した。
「なななぜ、フランツ様がこちらにいらっしゃるのでしょう……」
「え? 夕飯作ってるから?」
「は?」
「だから言ってんじゃん、ママンツだって」
「えぇ? お料理ができるなどという設定はございませんでしたのに。ふがっ!」
最後の『ふがっ!』の意味は分かりませんが、アッパーが決まった感じの慄き方にこちらが慄くのですが。
まぁでもその『ふがっ!』の先を振り返れば、エプロンで手をふきふきしている我が上司がおりました。
「こちらですか?」
「そそ。大公のスコアなんだけど、フレデリックが無理なんだと」
「これは面白いスコアですね。勿論弾けますが、フレデリックが無理とは?」
ルロイとの会話を続ける上司に、大縄跳びに挑む様相でタイミングを計っていたソフィアさんが口を出す。
「あ、あ、あの! フレデリック様はわたくしと一緒に、違うアンサンブルを弾くので」
「……。このおバカの相手がいないということですか? フレデリックがコレじゃなく貴女を選んだと?」
その言い方にもやっとする。もやもやっと。
私はおバカでもコレでもないですよ!
「い、い、いえ、正確にはわたくしではなく、カレン・グノー嬢を選ばれるのですけれど」
「グノー? グノー男爵家の令嬢ですか?」
「は、はい。九番隊のジュリオさんの妹君ですわ」
ヒロイン居た~~~~っ!
九番隊のジュリオさんとやらには全く覚えがありませんが、やっとヒロインさんの登場ですね?
しかもそんな身近にいるとは。びっくりどっきり。ずっきんどっきんでも可。
「そのグノー家令嬢とフレデリックに面識が?」
「なんかぁ、大公がお膳立てしてなんたらかんたらぁ?」
「大公閣下がですか? このおバカではなくグノー家令嬢を?」
だからぁ、その言い方にイラっとする。イライラっと。
私はこのおバカではないですよ。まとめんな!
「おーいフランツ、デザートはこれでいいか?」
そこに魔法陣から、甘い匂いを漂わせたセルゲイ隊長が湧いて出た。
この香ばしく砂糖の焦げた匂いはアレだ!
「その匂いは、キャラメルプリン!」
「ハハハハハ。どーだ、アイスも添えちゃうぞ」
「キャー! セルゲイ隊長サイコー!」
いつもの如く大木に掴まる蝉のように、ジャンプしながらセルゲイ隊長へ飛びついた。
そこで後を追うように、ルロイが私の反対側へ飛びつきながら叫ぶ。
「マジか! フランツ~、僕もここで飯っていく~!」
「構いませんが、ルロイは大公邸に遣いを出してください。アンジェリク、ご飯が先です! じゃなければデザートはあげられません」
眼福眼福と呪文を唱えながら手を合わせ、拝み続けるソフィアさんでしたが、お経はどうやら終わったようで退室の旨を告げました。
「ふぅ。では、わたくしはそろそろお暇を。もしかしたらヒロインも今頃フレデリック様のお部屋にいらっしゃるかも」
「え? でもフレデリックはまだ帰宅してないよ?」
「彼女は、いつでも入室できる呪文を、(ゲームでは)知っていらっしゃるそうですし」
私はそんな呪文を、フレデリックから教えてもらっていない。
ピアノ部屋の行き来は、許可なくできるよう設定をしてくれてはあるけれど。
別にそんな呪文を知りたいわけじゃない。そうじゃないんだけど……
「毎日、帰るまで待ってほしいとも(ゲームでは)言われていらっしゃいますし」
ブチン。
何かが音を立てて切れた音が脳裏に響いた――
◆◇◆◇◆◇◆
初めてビューロ公爵家の王都邸に訪れた。
いや、だってさぁ、うちの上司は常にうちの隊舎部屋へいるから、こっちに来ることがなかったというかぁ。
けれど上司とは超対照的な、朗らか笑顔の皆さまにご挨拶をされながら案内されて、大広間へやってきた。
「えーーーーーーーなんでグランドピアノがあるのっ」
「いけませんか?」
「だって、五台しかないんだよ? なのに弾けもしない隊長のところにあるなんて、宝の持ち腐れじゃん!」
「誰が弾けないと言いました」
「えぇ?」
慣れた手つきで腰掛け、上司がすっとピアノを弾きだした。
「貴女ほどではありませんが」
それは大好きなアニメの挿入歌で、主人公たちが巨大な木の上でオカリナを吹いているシーンに使われていた。
私もこんな幻想的な世界に飛んでいけたらなどと、願い続けた曲でもある。
「あ、これ……」
「貴女が眠くなってくると弾きだす曲ですよ」
「えぇ?」
「気づいていなかったのですか?」
遠い思い出を語りたくなる音色に、我慢ができず自分語りを吐き出した。
「ピアノピアノの毎日でした……ずっとピアノ部屋に籠り、誰とも喋らず……
誰もが知っていて当たり前のこと、知っていて当たり前の感情、そういったものが私は欠落していて……焦った両親が、名作と呼ばれるアニメ……その、動いて喋る児童文学書を私に与えてくれました。
数々の物語と、動く絵と、それに合わせて奏でられる曲が……私の拠り所でした」
「貴女の弾く曲に、どこか統一感のあるものがあって」
そういって、先日大公邸にて弾いたメリーゴーランドをフランツアレンジで弾きだした。
「これとか……それから、これとか」
今度は神隠し、そして、もののけへと、柔らかく静かな音色が連なっていく。
「きっと同じ作曲家のものだろうと思っていたのですよ」
いつの間にかチェロを用意していたセルゲイ隊長が、元の挿入歌を弾きだした。
そして上司が伴奏を繰り出す。
「この曲は景色ですよね。嫋やかな若草色の草原を吹き抜ける風。私にはそんな景色が見えますよ」
「お前は草原か? 俺にはどこまでも続く田園が見えるよ」
セルゲイ隊長の深いチェロの音色が、主旋律を優しく優しく奏でていく。
阿吽の呼吸で旋律が入れ替わり、互いのアレンジを加えて調和される音。
脳裏に広がる稲穂の海に、風が抜けた――
(メイちゃ~~~ん)
目の周りがカッと熱くなる。
多分、記憶にある限り、声を出して泣いたのは初めてだ。
それでも止められず、フランツ隊長の胸に飛び泣き続けた。
「川で冷やした胡瓜を一本まんまかぶりつきたいのっ!」
そして泣きながら訳のわからぬ文句を盛大に叫び、ユラユラ揺れながら私を抱きとめるママンツの胸の中で寝落ちした――
「笑っていますが、私がママンツなら貴方はパパゲイですからね」
「勘弁しろって。ゲオルク隊長とライバルなんて死んでもご免だね。考えるだけで恐ろしい」
そう言いながら、愛おし気にアンジェリクの髪を撫でる。
そして頭頂部に優しいキスを落とした――




