33 人生のメリーゴーランド
J.Hisaishi 作
SIDE ジョウ
王国騎士団には、生きし伝説と呼ばれる偉大な方々がいる。
ヨハン・フェルディナント・ド・コンラート
紅蓮の王獅子。言わずと知れたコンラート王国・第二王子殿下。
炎魔法を操り、その身をも燃やし斬り込む姿は鬼神。
セルゲイ・ヴァン・カラヤン。
無二の勇者であるカラヤン大公閣下の孫。
膨大な魔力と繊細な魔術で火水風地の四属性を操る大賢者。
フランツ・フォン・ビューロ。
若くして三大公爵家当主となった孤高の風公爵。
強力な風魔法を操り、突剣レイピアにて特攻するレイピアの魔法騎士。
フレデリック・ヴァン・シュリフェ。
セルゲイと対を成すカラヤン大公閣下の孫。
全ての流派を纏め上げる、寡黙な麗人武道の帝王神。
エリック・ローレン
闇氷の隠密偵。傾国の魔王ゲオルクの息子。
ありとあらゆる手段を用いて、密命を速やかに遂行する冷酷無比な掃除屋。
竜王・フェリクス・ルロイ
麗しきホワイトドラゴン。突如住処である恐深山より消え、ルロイというミドルネームにて団員に擬態。
灼熱と吹雪を同時に操り、竜を統治する若き王。
遠目からでも見られたらいいな。
少しでも自分のことを記憶の隅にでも留めてくれたらいいな。
そんなレベルの方々が、今此処に勢揃いして、アンジェリクを取り囲んでいる。
有り得ない。ただ只管にそう思う。
同じ場所の空気を吸うことすら躊躇うほどなのに、我が隊長や竜王を呼び捨てにし、殿下や閣下に対しても言葉遣いがおかしいアンジェリク。
このアンジェリクは伝説ではなく、名物だ。
矢張り生き伝説と謳われるゲオルク隊長の娘であり、エリック隊長の妹であり、史上最年少で騎士団へ入団している。
けれどだからと言ってこれといった実績もなく、二つ名も通り名もなければ、特化した何かも聞こえてこない。
『コネ入団の使えない女児。でも顔はめちゃくそ可愛い』
学校に遊びにきた卒業生方が、大したことないとそう口々に嘲笑っていた。
けれど晴れて入団してみれば、あれだけ馬鹿にしていたはずの先輩方が、彼女を敬っている。
常に伝説の誰かが傍にいるし、常に誰かが監視をしているような状況だからなのかと思ったけれど、入団式余興の演技で剣を合わせた瞬間に悟った。
無理だ。今の俺では全く歯が立たない――
「ジョウくんで閃いた! いざ召喚。おいら消えちゃうよ~!」
だなどと、全くわからない妙な呪文を盛大なジェスチャーと共に唱えたかと思ったら、何が起こるわけでもなく鼻歌だけが響きはじめる。
けれどそこからは、我が五感全てを翻弄された。
彼女の剣は舞いのようだ。
剣舞とバレエを混ぜたような、その口ずさむ曲に合わせて女神が舞うような……
観客という名の団員たちが、感嘆の息を零しながら彼女の演技に見惚れている。
けれど彼女の凄さは、そんな美しさだけではない。
両手に構える双剣ダガーは、油断すると我が目で追えぬほどの高速で左右が入れ替わる。
フェッテターンから一瞬にして消え、ダガー可動域まで踏み込まれる。
そう。短剣の可動域に、だ。
隙をつき反撃に出れば、完全なる絶対防御で我が剣は弾かれ、逆にダガーが首元に宛がわれる。
そう。その隙さえも誘導だ。
こんなの、どうやって対応すればいいんだ。
こんなの、倒せる者がいるのか?
いや、いる。いるんだ。
「え? 私、あの人たちから一本も取れたことないよ?」
演技を終えたアンジェリクに、ケロっとそう言われた。
あの人たち。
先に述べた伝説の方々を指しているのだろう。
さらに、自分の人生でこのような出来事が起きるのかと思った。
「アンジェ! とても美しい舞いを見せてもらったよ」
部外者立ち入り禁止の此処に、正装で両手を広げ駆け寄ってくる白髪の紳士。
それは憧れて憧れて、自分が騎士になろうと決めた切っ掛けの神だった。
「わ~い、ヴォルフ様だぁ!」
ヴォルフガング・ヴァン・カラヤン。
異世界より召喚された、一世紀唯一人の勇者様。
ある時より病に伏せ、表舞台に現れることのなかった彼が、はつらつとしてアンジェリクに駆け寄り、抱き締めている。
「勿論さ。アンジェの演技を見逃すわけにはいくまい? な、カール」
「えぇ、アンジェ、わたくしまで鼻がたこうございましたよ」
カール・フィッシャー。
「私が背中を預けられるのはカールだけ」と、勇者カラヤンに言わしめた聖騎士。
回復魔法を操る剣帝であり、フレデリック隊長の師匠とも言われている方だ。
「えへへ。あ! お二人に紹介します。こちらはジョウ・サカモトさんです」
「カラヤン大公閣下、カール卿にご挨拶申し上げまちゅ!」
突然の紹介に、慌てて敬意辞儀を取りながら挨拶に勤しんだ。
が、噛んだ。盛大に。
けれどアンジェリクは全く気にも留めず、まるで我が事のように自慢げに語りだす。
「ジョウくんは凄いんです。騎士学校を主席卒業して、既に剣王なんです!」
「ややや、やめてアンジェリク。自分なんて恥ずかしい」
「初めましてサカモトくん。フレデリックが言っていたよ、期待の新人だと」
「初めましてサカモト様。えぇ、先ほどの演技もお見事でした」
「いえ、自分などアンジェリクに全く歯が立たず……」
「そう視切れた人間が、あの場に何人居たか。だよ、サカモトくん」
「そうですね。サカモト様は構えた瞬間に悟っていたようですし」
顔が、身体中が、激しく熱くて堪らない。
今の自分はきっと、りんごよりも赤いだろう。
そんな自分とは反対に、キラキラした水色の瞳を目いっぱい大きく広げて、アンジェリクが素っ頓狂なセリフを解き放つ。
「へぇ。やっぱりジョウくんは凄いんだねぇ!」
「アンジェ! あ、閣下たちとジョーも一緒だったの?」
そこへ我が隊、フレデリック隊長が現れた。
開口一番からして、アンジェリクを迎えに来たらしい。
すると大公閣下から思い付きのお誘いがあり、あれよあれよと話が展開していく。
「そうだ、もし都合が良ければ、サカモトくんも我が家へ来ないかい? 簡単な食事会を開くんだ」
「ハハッ、いいね!」
「いやでも、アンジェリク先輩は誰かと食事会があるって言っていたし、自分だけそのような……」
「うん。ヴォルフ様ね?」
アンジェリクが手のひらをひらひらさせて、大公閣下を指し示す。
「あ!!!」
そこで漸く気が付いた。
偉大なる勇者大公閣下を愛称で呼ぶ者など、国王陛下くらいだと思う。
だけどそれを遣って退ける規格外がアンジェリクだ。
ヨハン団長殿下に幼児抱きをされ、敬語なく文句を垂れていたのを目の当たりにしたばかりじゃないか。
◆◇◆◇◆◇◆
「あれ? ジョウも来たんだ」
「はい。皆様のお言葉に甘えさせていただきました。えっと、その……」
そのように返答はしたものの、気づく。
自分はこの人? 竜? を、何と呼べば良いのだろう。
自分の疑問を、見透かしたように真顔で彼は言う。
「ルロイで構わないよ。あ、でも様は付けてね?」
「はい。ルロイ様」
「ちなみに、アンジェは呼び捨てでいいから。僕が許す」
「は、はぁ」
簡単な食事会というのは、社交辞令だと知った。
団員の第一正装は団服だから、ドレスコード的にはクリアしたけれど。
アンジェリクは着いて早々、我が隊長によく似た美しい貴婦人に連れられ、それは見事なドレスに着替えてフロアへ登場した。
絹糸のような青銀髪が儚さを際立たせ、透き通るほどに白い肌と整いすぎたパーツは、まるで人間国宝が作り出した溜息がでるほど美しいビスクドールだ。
何度見ても、息を止める。息を潜む。固まる。
そんなアンジェリクを、躊躇うことなくエスコートに向かう者。
その者もまた、芸術家が仕上げた彫刻が動き出したかのような眉目秀麗加減だった。
乙女な令嬢たちが喜びそうな、お伽物語を妄想させるその二人は、見た目に反した話で笑いあっている。
「ねねアンジェ、おいら消えちゃうよ~を弾いて!」
先ほどのアンジェリクの盛大なジェスチャーをも真似て、フレデリック隊長が呪文を唱えている。
「えー、めんどくさ」
おい、アンジェリク!
「なぜカルシファ……。あー、さっきの演武で口ずさんでたのはハウルか」
そう言うが否か、ルロイ様が自分の肩を意味深にポンポンと叩く。
わかるわかる。といった同調の意を表す行為だと認識する。
わかるけれど慣れろ。そんな肩たたきなのだろう。
「ねぇルロイ、カルシなんとかって何?」
「んー。地球のジョウが作った曲で、映画っていう娯楽に遣われていた曲なんだ。で、その登場人物が」
「おいら消えちゃうよ~だ!」
「まぁ、ほぼ正解」
ここでは実しやかに異世界の話が展開される。
カラヤン大公閣下は、異世界召喚者として有名だ。
けれどルロイ様とアンジェリクもまた、前世の記憶を持った異世界からの転生者だと言う。
映画というのは、歌劇のようなものと推測する。
あの物言いからして、ジョウと言う名の音楽家も、存在するのだろう。
転生などという眉唾物語が本当にあり得るのか?
そんな疑問に苛まれ始めた頃、それは始まった。
晩餐まで時間があるとのことで、集まった皆がグラス片手に各々寛いでいる。
そんな中、アンジェリクがピアノを弾きだした。
ノスタルジックなそのメロディは、三拍子のワルツでゆっくりと始まる。
あの演武で口ずさんでいた曲だと気づくのに、時間はかからなかった。
解らない。わからないけれど、気づけば泣いていた。
一音一音が琴線に触れ、凝り固まった心を震わせる。
ドロドロだった色々なものが一気に流れ出て、濁流のように溢れやまない。
頑張っても頑張っても、この涙を止められそうになかった。
格好悪い。
そう思って周りの様子を伺ってみたけれど、張り詰めたように奏でられるクライマックスには誰もが泣いていた。
セルゲイ隊長は上を向き。
フレデリック隊長は、隠すことなくアンジェリクを見つめながら。
そしてそれは、ピアノの音色や曲調のせいだけではなく、アンジェリクの天性な偉業だと知るのは然程時間がかからなかった――




