29 G線上のアリア
Johann Sebastian Bach 作
合体しそびれた蝦蟇の後始末を終えて、荷馬車に積み込んでいた。
やはり蝦蟇の皮は防水物の用途が沢山あるそうで、できるだけ回収するらしい。
となると、どうしてもこの曲が歌いたくなるわけで……
「ガマガマガ〜マ ガ〜マ〜 カエルを乗せて〜」
「アンジェ、それドナドナ」
既にドラゴンからの変身を解いた、ルロイのツッコミが入る。
だから視線を合わせて頷き、サムズアップまでがお約束、と。
「なんか、二人の世界に入れない……」
「ドンマイ!」
しょぼんと項垂れるフレデリックにサムズアップしながらそう叫ぶ。
すると仲間に入れたうれしさから破顔したフレデリックが、親指を立てた。
そんな姿にキュンとする。
いや、待て。キュンって何だ、キュンって。
「ねぇアンジェ、帰りは僕に乗っていく?」
「え、いいの?! あ、ダメだ。ナリタさんが悲しむ」
「成田山?」
「その発音は千葉のお寺だよね? この場合は馬の方」
「あーーーー、もしかしてブライアン?!」
そこで、今度は最初から世界に入ってこれたらしいフレデリックがドヤる。
「俺のはキタさん! ちなみに、セルゲイのはシンボリさん!」
「さらにちなみに、エリック兄のはオグリさん!」
そこで堪らず、愉悦の声を上げてルロイが騒ぎ出す。
「なんだよそれ! そのうちディープインパクトとかアーモンドアイとか現れそう!」
けれどその言葉に反応した上司が、振り返りざま言い放つ。
「私の愛馬が何か?」
「えぇ?」
「私が公爵を襲爵した際、団長がグラニを贈ってくださいました。その名がインパクトだったのですが、それを聞いたセルゲイがなぜかディープと」
そこまで言って、はたと口をつぐみ、今度は怪訝な顔で私の手を指さす。
「と言うかアンジェリク貴女、あれだけ言い聞かせたのに持ってきたのですね、その粉……」
「あー、オットーと寸劇してたアレね?」
「あ! そうだった! うむ。苦しうない、ちこうよれ」
持参した粉を数個のボウル入れて、そこに一口大に切ったお肉を放り込む。
興味津々で覗き込むフレデリックとルロイに、お手伝いをお願いしようと思います。
「ルロイ、これモミモミして」
「オッケー」
「俺は?」
「じゃあ、フレデリックはこっちをモミモミして」
「オッケー」
「おーいアンジェ! 多めの油を熱するって、こんな感じでいいのかー?」
珍しく同期たちが呼んでいる。
そう! 本日のお夕飯は! みんな大好き唐揚げだ!
鶏肉じゃなく蝦蟇肉だけど。
「「「「「「うまーーーーーーーっ!」」」」」」
食べた者たち全員が大絶賛だ。
余りも旨い旨いと騒ぐので、気になった他の団員たちも寄ってきては、その美味しさに笑顔になっている。
けれど思う。
矢張りまだまだレシピの完成には程遠い。だって、アレがないんです。
「醤油と味噌が恋しい……」
ボソと呟くと、隣で唐揚げを頬張っていたルロイが賛同してくれた。
「あー解る。こっちには無いもんね。作らなかったの?」
「うん。どっちも、なんとな〜くな工程はわかるんだけど、米麹の作り方が全く分からないの」
唯一行事に参加できたのが、小学三年のときの社会科見学だった。
日帰りで行くそれは醤油工場で、醤油のソフトクリームを食べ、出来立て醤油のお土産を頂いた記憶がある。
参加できた唯一の遠足だったし、一緒に回るお友達もいないし、醤油ができるまでの仕組みも結構しっかり見学していた。
だけどその記憶的に、米麹は既に出来上がったものを使用していたのですよ。
「ヴォルフ様は物知りだから大概のことは教えてくださるんだけど、なんせほら、日本人じゃないからさぁ」
「あーねー」
この大豆依存症は、日本人特有の症状だと思う。
留学中も、ホームシックになったのは相棒と醤油を想ってだったし。
それで両親が大量に醤油を送ってくれたが、流石にピアノは宅配できず諦めました。
そんな物思いに耽ったところで、朗報です。
「あ、もしかしたら僕わかるかも。ちょっと待って!」
ルロイはそう言うと、目の前でタブレットを操るような動作をし始める。
「え、何それ……」
「ん? ステータス画面のこと? 異世界転生なら王道中の王道じゃん。知らないの?」
「???」
「あ、ごめん。知るわけないよね、脳音だった。つか、アンジェもできるんじゃない?」
「え? 本当?」
「うん。ステータスオープンって言ってみ」
「ステータスオープン!!」
……。
何も起こりません。
万歳しながらルロイに言われたとおりの呪文を叫んで見たが、上司と仲間の私を見る人相は悪くなるし、言い出したルロイは左斜め下を見ながら嘲笑中なのですが、これはなんの拷問ですか?
「アンジェには無理みたいだね。きっと僕だけのチートなんだろうな」
「ルロイさぁ、本当は私が出来ないの知っていたでしょ」
下から俯き笑い続けるルロイの顔を覗き込み、顎を突き出し威嚇する。というか猪木る。
「アンジェ、その顔でサ行を言ってみて?」
「え? しゃ、しゅぃ、しゅぅ、しぇ、しょぉ」
「ぷ。ダッサ」
何の意味もありませんでした。クソ。
「ねぇねぇ、それでどんなことができるの?」
「ん? あ、スマホとほとんど一緒だよ」
「えぇ? じゃ、検索、マップに、お買い物もできちゃうの?」
「あー、買い物はできない。検索とマップは使えるけど、この世界の範囲なんだよねぇ」
なるほど。全世界だけでなく、異世界まで宅配してくれるのかと思ったよ、熱帯雨林が。
でも検索は使えるのなら、もしかして米麹の作り方がわかるかも?
「あ、これかも! 東の国の醸黴……うん。これだ!」
「おおおおぉ!」
「でもアンジェ、麹作るのに一年はかかりそうだよ……」
「醤油のためならそのくらい我慢する!」
「おし、じゃ帰ったらやってもらおう、オットーに!」
「かもすぞ~!」
「アンジェ、それはモヤシ〇ン」
◆◇◆◇◆◇◆
「アンジェ、これ」
「おぉ! カリンバさんだ」
「やっぱり知ってた。弾ける?」
「んー、速弾きはできないけど、子守歌くらいのゆっくりしたのなら」
カリンバとは、親指ピアノなどと呼ばれている小さな楽器で、金属の棒を親指で弾いて奏でるオルゴールのような音が印象的な携帯楽器だ。
だが、棒が何本とか形状とかの決まりは全くないらしい。
フレデリックが持ってきたのは二十一本の棒で、四角くメモ帳ほどの大きさだ。
前世で弾いたことのあるカリンバは十七キーだったし、ヒョウタンのような形だった。
「記憶が曖昧だから、ちょっと練習しなきゃだけど、触ってもいい?」
「もちろん! アンジェにプレゼントしようと思って持ってきたんだ」
フレデリックからカリンバを受け取り、一音弾く。
すると真向いに陣取っていた上司が言った。
「アンジェリク、一音弾くごとに、その音が泡になるよう魔力を操作してみなさい」
「泡?」
良く分からないが、物は試しだやってみよう。
親指で棒をピンと弾き、奏で出た音を魔力で捉えてシャボン玉のような泡にする。
「出来た!」
思わず見れば、珍しく我が上司がとても優しく笑っている。
だから溜まらなく嬉しくなって、ゆっくりとしたバッハ様のアリアを奏でながら、いっぱいのシャボン玉を作り続けた。
シャボン玉がカリンバの音と共に、優しく柔らかい風に乗って、団員たちの元へと飛んでいく。
指で突いて割って楽しむ者や、団服でバウンドさせて楽しむ者、モロ様たちはパクリとそのシャボン玉を食べていた。
この風は、我が上司が作り出しているのだと思う。
「やべぇ、眠くなってきた」
「うん、絶好調に身体がふわふわ軽くなってきた」
え、なんで?
みんなずるいよ!
 




