23 ピアノ協奏曲第2番ハ短調 作品18
S.V.Rachmaninov 作
セルゲイ・ラフマニノフ様作曲、ピアノ協奏曲第二番。
三楽章構成の壮大なるこの曲は、現世のちみっこ手では、冒頭、初っ端、出だしから!
アルペッジョアルペッジョアルペッジョで、誤魔化すしか弾きようがない。
更に序盤のピアノは伴奏に撤する仕様なのだが、主旋律を奏でてくれる方がいらっしゃらないので、撤せられるわけがない。
「おいおい…、オブリガードの超絶技巧って、すげぇもん弾いてんだな……」
「ぬおぉ?」
「それは主旋律じゃないだろ? どう聴いても」
いきなり声をかけられた驚きと、確実に知らないであろう曲を、楽譜も見ずに断言するセルゲイ隊長に戸惑い、素っ頓狂な声が出た。
「祖父さんがチキューの曲を描き下ろしたんだろ? ならスコアもあるな」
そう言うが早いか、指をぱちりと鳴らす。
すると、何と言うことでしょう!
ヴォルフ様の音楽室に保管されているはずのスコアが、匠の手により今ここに表れ……
ではなく、とりあえず言わせてください。
なんだこいつ~~~~~~っ!
◆◇◆◇◆◇◆
「アンジェリク、遠征の用意をしなさいとは言いましたが、この大量の粉は何ですか」
職務を終えて隊舎に引き上げ、さてピアノピアノと思っていたのに、既のところでフランツ隊長に捕まった。
そしてこの抜け目のない我が上司の持ち物検査があり、疑惑に満ちた訝しげな視線で私に問う。
そこで、よくぞ聞いてくれましたとばかりに、両手のひらを蠅の如く擦り合わせながら説明しだす。
「これはこれはお客様、流石はお目が高い。こちらはですね? 蝦蟇のパサついた胸肉を、それはもう柔らかく仕上げてくださる魔法のお粉でございます」
先日、大公邸の料理長オットーさんに(寸劇しながら)頼んで、用意してもらったソレだ。
今回の遠征は、日帰りではちょっと無理な地方に蝦蟇が大量発生したので駆除に行くらしい。
蝦蟇というのだから蛙でしょ?
蛙は鶏肉に似てるって聞くしさ?
日帰りできない距離だから野営するわけで、初キャンプだもん。気合いも用意も抜かりなしです。
けれど怪訝な表情のまま、袋の中身を指に取り、こすり合わせながら確認する我が上司。
その姿はまるで科捜研の男。
マリ子じゃなくマリ男さん。
あ、それじゃ赤い帽子の髭ヤッフーじゃん。ヨッシーはどこ?
「誰を探しているんですか。というか、これは単なる塩と砂糖じゃないですか」
分析の終わったらしい上司が疑問顔で物申す。
だから分かってないなと両手のひらを空に向けて、肩を竦めながら文句を吐き出した。
「はっ! これだから公爵家のお坊ちゃまは。苦学生なめんな? やっすい輸入鶏胸肉を、これに漬け込んで来る日も来る日も食べるんだっつうの」
そう言い終わると同時に、上司の手刀が私の腕に飛び、そのままの勢いで耳を引っ張られた。
「食肉の輸入などあり得ませんし、貴女は苦学生になどなったことがないでしょう!」
「いしゃいいしゃいいしゃい〜」
大袈裟に痛がっているところでドア外から聞こえる声。
「おーいアンジェリク、いるか?」
「どうぞー!」
「よう! 昨日のアレ、作ってみたから試食し…げっフランツ」
声の主であるセルゲイ隊長も、我が上司に対する開口一番が、「げっ」なんですね。
仲間がいてくれて嬉しいです。
「おやセルゲイ、久方ぶりですね。貴方いつ帰還したのですか? 報告書が私のところに届いておりませんが」
セルゲイ隊長率いる七番隊は、遠方の調査として数年間遠征に出ていた。
当然その遠征に、我が四番隊の一班も救護で参加しているため、隊長同士の帰還報告は当たり前だ。
「あぁ、すまない。昨日かなり遅くに帰ってきたから、今から報告書を提出するところだ」
一昨日には既に大公邸でレモンパイを作っていたし、花火もやってたし、昨日は協奏曲をアンサンブルしてたし、報告書なんて書いてなどいないはず。
息をするようにとても滑らかな嘘を吐くセルゲイ隊長だが、クソ細かい我が上司が見逃すはずもなく……
「貴方はアンジェリクの入団前に遠征へ出ましたよねぇ。なぜ既に知り合いなのでしょう?」
「祖父の伝手で昔から知っているぞ? な、アンジェリク」
うわぁ、ここで私にふるんだ。
でも色々面倒なので、無言のまま首を縦に何度も振るだけにとどめました。
すると上司の目がスッと細められ、尋問は佳境に入ったことを知る。
「では昨日のアレというのは? アンジェリクは昨日、大公邸より昼には帰宅しておりますが、貴方は昨夜遅くに帰還されたのでしたよねぇ?」
「それは、もうじき帰るよと、伝書鳥でやり取りをしたのが昨日なのさ。ね、アンジェリク」
ナディア様に似たトロける甘いマスクが、バリトンボイスで何やら言っている。
そのウインクはヴォルフ様そっくりだと眺め見て居たところで、布が床に落ちる音がした。
「え…マイスートハニーアンジェとセルゲイが伝書鳥の仲…?」
振り向けば、この部屋の主人である兄エリックが、隊服を床に落とし呆けている。
ついでに絶望状態で両膝をつき天を仰ぐ兄も見た。
けれど兄はすぐに立ちあがり、私の元へ飛んでくる。
更に、ユッサユサと肩を揺さぶられ、「お兄ちゃんは聞いてない!」と連呼されましたが、私も聞いていないので返す言葉が見つかりません。
と言うよりも、どのように返答したところで、誰かしらに角が立つため、どうしたら良いですか?
「あ、セルゲイ昨日ぶり! もしかしてその手の皿は、アンジェが昨日言ってたやつ?」
天然のストッパーほど清々しいものはないよね。
流石だよフレデリック。
そして、肝心なことを思い出させてくれて有難う。
「あ、そうじゃん! セルゲイ隊長、シフォンができたの?!」
この世界で大人気な、かのアントワネットが好物だったと言われるお菓子クグロフが、重すぎて苦手だった。
だから、同じような形だし、同じような材料だし、抽象的な作り方だけを伝え、シフォンケーキが食べたいとセルゲイ隊長にリクエストしたのだ。
「おぉ、そうだった! ホールで持ってきたから、皆で食べようぜ」
「やった! 丁度良いタイミングで来たな俺!」
「本当に、超ナイスだったよフレデリック! お前の分は大きめにカットしような!」
フレデリックの背中を叩きながら、セルゲイ隊長が奥へと進む。
「えー、ずる! 私が発案者なんだから私だって大き目がいい!」
だから彼らに続いて進みながら、交渉を始めたのだが、おかんとおにぃの地を這う声が後ろから襲い掛かります。
「待てお前ら……」
「お待ちなさい……」
ア「むぅ。やっぱホイップクリームが欲しいなぁ」
セ「ん? ホイップクリームとはなんだ?」
ア「んー、生クリームをメレンゲみたく泡だてたもの?」
セ「生クリームとはなんだ?」
ア「えーと、確か生乳を分離させてうんたらかんたら?」
フ「ねぇアンジェ、全然わからない」
ア「えー、だって私も生クリームの製造法なんて分からないもん。あ、でもさ、ゼラチンはある?」
セ「あるぞ」
ア「おぉ! ならできるはず!」
セ「よし、なら今から行くか、シンボリさんで!」
とりあえず結果は分かっているのですが、ここは聞いておくべきかと思います。
が、目をキラキラさせたフレデリックに先を越されました。
「シンボリさん?」
「いや、ルドルフのことを祖父さんがそう呼ぶからだな?」
「アンジェ! この『さん』はどっち?」
「敬称でーす!」




