18 月光 第3楽章
L.v.Beethoven 作
「これは一体、何の冗談でしょうかアンジェリク?」
こめかみに青筋が、それは綺麗に浮き出たフランツ隊長のおなりである。
けれどそこでモロ様の大きな耳が異変を感じ取り、私たちの背後へ向けてピンと動き立つ。
その途端、モロ様の魔力を通じて、私の耳にも聞こえてしまった。
森から聞こえる不協和音。人間には聞こえない遠く小さく叫び泣く、子どもの悲鳴が……
モロ様が、私を見つめながら鼻で自身の背をクイっと指した。
その指示に一度だけ頷き、同時にモロ様の背に飛び乗る。
背に着地したであろう瞬間には、もうモロ様は走り出していた。
「アンジェリク!!」
「嘘だろ、おい!!」
両隊長の声が、ドップラー効果を醸しながら一瞬にして遠くなる。
救急車が目の前を通り過ぎた瞬間、ピーポーピーポーからプーポープーポーに変化する感じで。
当たり前だが、乗馬のような鐙などない。
背をかがめ腿でモロ様の胴をギュッと締めて踏ん張り、両手は腰の短剣を抜刀する。
あぁ、きっと明日は内腿の筋肉痛に違いない……ガッデム。
ウッドワームが複数体、ウネウネクネクネしながら、幼子たちを取り囲んでいた。
「キモっ! キモーーーーーーーッ!」
たかだか直径五ミリ程度のミミズですら地面を這っていれば飛び退くのに、直径五メートルは優にありそうなミミズってどう?
しかも三百六十度に歯が生えた口とか、直視するのも無理。無理無理無理無理ーーーっ!
その光景を見た瞬間、脳内に月光の三楽章が流れ出す。
プレストアジタートで、一気に加速し上昇するアルペッジョ。
極めて速く、興奮して、弾くべし弾くべしなその曲は、朝から弾きたかった曲でなりけり。
帰ったら絶対弾いてやる!
『小娘よ、我が声が聞こえるかぇ」
「え? モ、モロ様?」
『説明は後回しだぇ。まずはあの兄妹からヤツの注意をお離し。我を蹴って飛び、ヤツの視界に入って囮となり』
「はいっ!」
だなんて元気にお返事をしてみたものの。
犬神様を足蹴にする私を見たら、ジョージ隊長にガッツリ怒られるだろうなぁ……
「ほんっとすみません! いきます!」
モロ様の背から後頭部へ向けて走り出し、加速のついたその勢いのままデカミミズに向かって飛び上がる。
そこで初めて浮かび上がる疑問。
「や、ごめん。とりあえず飛んだけど、目ってどこ?」
けれどそのような心配は杞憂でした。
視界というより気配を感じ取るようで、グルリと私へ向けて口が開く。
「ひぃぃ、こっち見んなっ!」
目はどこか分からないけれど、見られている気がするのでそう叫ぶ。
全身海老反り空中で反動をつけ、両手のダガーを二本纏めてffffffffで叩き込んだ。
「ギッギィィィィィィーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
黒板を爪で引っ掻いたような、耳をつんざく鳴き声が森にこだまする。
『小娘、繰り返せ』
モロ様のその声と同時に、白毛が視界の下隅に入った。
なるほど。私の落下地点に必ずモロ様がいてくれる。ならば下を見ず繰り返すのみだ。
デカミミズに飛び蹴りを入れ、刺さったダガーを抜く。
その反動で後ろ向きの宙返りをしながらモロ様に着地する。
モロ様が飛び上がり、その瞬間を狙ってまた足蹴にしてしまいました、ごめんなさい。
もともと、モロ様が二階建くらい大きいので、そんなモロ様がジャンプし、さらにそこから私がジャンプし……
これ、五階建は余裕で超えている気がします。
シルクドソレ〇ユ万斉!
私は頭を。モロ様は地中に潜っている半身を攻撃しつつ、兄妹を守っているのだけれど、ここで兄の方が助かったと気を抜いてしまったのか、妹を抱きしめたまま動かなくなってしまっていた。
それは困る。私はこんなミミズに勝てる気がしません。持ってる武器はダガーだし。
モロ様も本来の使い手ではない私とでは、本領発揮ができないはずです。
よって、完全に瞬発力だけは疾風な私たちのフライングであり、隊長がたどり着くまでの時間稼ぎでしかないので、助かったなどと思っちゃダメなんです。
「お兄ちゃん! 今のうちに妹を安全なところまで守って走れーーーーっ! あ、やばっ」
その叫び声に反応したデカミミズが、振り下ろしたダガーに照準を合わせた。
でももう転回できないし止まれません。
ところが突如、刃先が目の前に表れ、直後に絶叫が鳴り響く。
「グュギャァァァァァァァァァァァァァァ!」
……。
えぇ?
うげぇ。助けて貰っておいて何ですが、レイピアの一撃で倒しましたよ、うちの上司。
レイピアですよ? レイピア。
いや、私のダガーよりはマシかも知れませんが、戦闘用ではなく護身用のあの突剣で、竹を割るように真っ二つに切り裂けるものなのですね。
救護隊は援護を主とするため、戦闘が不得手な団員揃いです。
それでも隊長なのだから強いだろうと思ってはいましたが、これほどだったのにはびっくりですよ。
けれど、発言は相も変わらず嫌味オカンでしたよ。
「制止を振り切り飛び出していったくせに、油断するとは何事ですか!」
レイピアに付着した魔獣の体液を振り払う、ヒュンと風切る音がする。
まぁ案の定、静かに私の罵倒を開始です。
「えー、だって私じゃあんなの倒せないしぃ、フランツ隊長が来るまで囮になって、あの子たちから遠ざける時間稼ぎをしてればいいっていう作戦だったしぃ」
「はぁぁ。私が来なかったらどうするんですか!」
「来るじゃん、来たじゃん」
「私が倒せなかったらどうするんですか!」
「はぁ? 倒せないわけないじゃん隊長が」
「何故貴女が偉そうに言うんですかっっ!」
頬っぺたを引っ張られ、ひまわりの種を詰め込んだハムスターの如く喚く。
「いしゃい! いしゃいしゃいいい!」
ギャンギャンと言い合いながら本体へと帰還する。
十匹ものデカミミズを倒し終えたらしい五番隊と、怪我人を看護する我が班員たちで慌ただしい中……
「うん。いいんだよ、こっちはゾフがいなかったけどなんとかなったし。うん。あのアクロバティックな連携プレーは息ぴったりで、うん。ゾフを踏み切り板に何度もしてても、うん」
愛槍斧ハルバードで肩たたきをしながら、うんうん自己完結するジョージ隊長がうざいです。
というかちょっと待ってください?
モロ様をジョージ隊長がゾフと呼んでおりませんでしたか?
ということはですよ?
モロ…ゾフ?
美味しいお菓子が目の前にチラつきましたよ。チョコとかチョコとかチョコとか。
そこまで考えついた矢先、非常事態用発煙筒の色鮮やかな紫煙が上がる。
「ありゃあ、テクラお嬢様の六番隊だな。どれゾフさんよ、今度は一緒に行ってくれますかねぇ?」
『なんなのだぇ? 嫌味ったらしい! うざっ!』
ジョージ隊長の言葉に返答しているモロ様の台詞に噴き出し、咄嗟にフランツ隊長の背中に顔を押し付け笑う。
「ブッフ」
「アンジェリク! 貴女今、私の隊服でくしゃみを拭きましたね!」
いや、くしゃみしてないですよ
ちょっと笑っただけで
や、ちが!
やめ~~~~ほげぇ~~~




