14 ラ・カンパネラ パガニーニ大練習曲集 第3曲
Franz Liszt 作
SIDE フランツ
私はフランツ・フォン・ビューロ。
王都騎士団に十五歳で入団し早十数年。現在は第四騎士隊隊長の任を授かっている。
また、襲爵を三年前に行ったため、ビューロ公爵とも呼ばれる。
が、最近騎士団内ではフランツを捩り、ママンツなどと影で囁かれているらしい……
実に腹立たしい!
大体、なぜこのような呼び名で囁かれるようになったのかと言えば、どれもこれも忌々しい新人団員アンジェリクのせいだ。
騎士だというのに頭の中が音楽で一杯な彼女は、研修帰りのクタクタな身体でも、寝る暇を惜しんで、鍵盤の彫られた一枚板をカタカタカタカタと延々に叩いている。
同居している兄のエリックはどこまでも妹に甘く
「もう少しマイスイートアンジェを寝かせてあげたいから、遅刻させるね」
だなどと、ほざく始末。
だから仕方なく毎日一時間前に隊舎へ赴き、アンジェリクの起床を促していたのだが……
実に嘆かわしい!
まだ十歳そこそこの未成年者であると考慮しても、流石にあれはズボラすぎる。
兎に角、脳が音楽で出来ている『脳音』なので、一枚板にかじりつく以外は、全く、一切、何一つ、やらない。
片付けない、食べない、風呂に入らない、爪を切らない、歯を磨かない、言ったらキリがない。
だからもう起床だけでなく、部屋を片付け、食事を用意し食べさせ、風呂を沸かし、髪を乾かし、爪を切り……
そんな私のことを寝ぼけたアンジェリクがママンと呼んだため、ママンツなどと呼ばれる羽目になったのだ。
「ようママン…じゃなくてフランツ。娘はどこに預けてきたんだ?」
我が執務室へ入室する寸前、第五騎士団隊長のジョージに声を掛けられた。
どこをどう見たら、そんな事が言えるのか。
だから苛立ち紛れに返答する。
「このおバカを、何処かに預けられるわけがないでしょう?」
そう言いながら半身を返し、マントを被った我が背中の物体を誇張すれば
「ブッ! おまっ、とうとうオンブかよ!」
口に含んでいただろう飲料を盛大に吹き出したのち、ゲタゲタと笑われた。
「魔力が初めて枯渇しました。データは後ほど」
「……そうか。わかった」
◆◇◆◇◆◇◆
私は入団から爵位継承するまでの十年間、国境警備隊である第十騎士隊に所属していた。
敬畏やまないゲオルク隊長率いる部隊で、騎士道の全てを彼に教わり、何度も彼に命を助けられた。
けれど父上が逝去し、騎士であると同時に公爵位をも継承するにあたり、王都を離れることができなくなったが故に、基本が王都勤務の第四騎士隊へ転属した。
そんなゲオルク隊長が溺愛する娘、それがアンジェリクだった。
人見知りされて泣かれただとか、初めての言葉がパパンだっただとか、王都まで何十日もかかるこのような辺境の地で、いつ帰ることができたのだろうと思う反面、彼ならば瞬時に行き来できる術をもっているのではないかと思い始めていた。
それは同じく公爵家嫡男であるセルゲイが、第九騎士隊より転属してきたことで確信に変わる。
セルゲイは、異世界からの召喚者にて勇者であるヴォルフガング大公閣下の孫であり、王家直系よりも多くの魔力を持つ魔導士だ。
魔術では大公閣下をも凌ぐと謳われるセルゲイが、隊長の執務室から青褪めて退出し、私に呟く。
「古代の失われた魔術を、何の知識もないまま、指を鳴らすだけで展開するんだ……パチン。だぜ?」
「ま、まさか、そんな馬鹿な話などあるわけが……」
「うちの爺さんなんてもんじゃない。あれは魔王だ……」
そんな物思いに耽る私の前を、汗臭い鼻歌交じりのアンジェリクが通り過ぎていく。
らっぱっぱ~ るっぱっぱ~ などと騒ぎながら、数枚の紙を振り回している。
そこで我に返り。アンジェリクの首根っこを摑まえ、更に振り回す紙をも捥ぎ取り見た。
【ラ・カンパネラ パガニーニ大練習曲集 第三曲】
そう殴り書きされた、ヴォルフガング大公閣下直筆の楽譜に鳥肌が立った。
跳躍の大きさが激しく、一気に三オクターブも下がる技巧も超絶さが必須だ。
私も楽器を弾く。けれど、これは全くといって想像がつかないものだった。
「アンジェリク、貴女これを……奏でられるというのですか?」
つい飛び出してしまった言葉に、アンジェリクがアホの骨頂加減を兼ね揃えた顔で応答する。
「まぁ、最悪ですからねぇ、おフランツ様はさぁ!?」
何やらとても、すごく、激しく、Appassionatoな昴ぶりが抑えきれず、いつもなら風呂を勧める状況にも関わらず、フレデリック部屋のアップライトピアノまでアンジェリクを促しやってきた。
そしてその感情が赴くまま、言い渡す。
「ならばこれを弾いてみなさい!」
何事だと、フレデリックやエリック、ヨハン団長までもが現れた。
けれどそれをアンジェリクが奏でた時、その場にいた誰もが口にする羽目になる。
「鐘か――」
何というものを、目に。耳に。してしまったのだろう。
アンジェリクの小さな手から、激しく切なく鐘の音が降り注ぐ。
臓器を鷲掴みされたような感覚を殺すため、眉間に皺を寄せる。
そして小さな鐘の音が、コーダと共に大鐘の共鳴と変化していく。
全てに圧倒され、打ちのめされ、茫然と立ちすくむ我ら。
否、明らかに私へ向けて、息切れし舌打ちしたアンジェリクが言い放つ。
「ちっ、これだから、おフランツ様はさぁ!」
何やらとても、すごく、激しく、Appassionatoな昴ぶりが抑えきれず、アンジェリクの蟀谷に、両拳骨を宛がえていた。
「いしゃいいしゃいいしゃい~~~~~~~」




