1(前)わが胸、怒りに燃えて
Wolfgang A Mozart 作
息を引き取る間際だったと思う。
薄れゆく意識の中で、藤井更紗として生きた思い出が駆け巡る。
α波の出る音楽が胎教に良いとの情報を得た母が、手頃なピアノ曲を聴き続けたことから始まる。
それが切っ掛けで、両親はクラシック音楽好きとなり、天才ピアニスト『セシル・ミュラー』の大ファンになったことから、彼女のピアノ音源がBGMとして常に流れた環境で育った。
先天的なのか、胎教由来の後天的かは分らない。
が、物心ついたときには絶対音感が備わっていたらしい。
両親はそんな私へ、とても軽い気持ちでおもちゃのピアノを与えたそうだ。
ほら、よくある、グランドピアノ型の小さなおもちゃの、アレ。
BGMはその名の通り、バックグラウンドで流すように聴く曲だ。右から左っぽく。
それでも毎日繰り返し聞けば、耳に残る。
例えそれが乳児でも。多分。
スーパーでオバサマが、魚魚魚ぁ~とハミングしちゃう感じで。
まぁ、キノコノコノコ元気の子でも可。
だから満足に喋れない程の月齢だった私が、毎日聴くセシル様の曲を、例のおもちゃで何となく弾いたらしい。
アウアウ言いながら。
そこからは、『ウチの子天才かも?!』の、お決まりコースだ。
三歳で本格的にピアノを習い始めた。
七歳でジュニアピアノコンクール金賞。
十歳で全日本グランドファイナル優勝。
両親は嬉々として、それらの動画をネットに上げた。
そしてそれは、思わぬ方向から反響を呼んだ。
両親と同年代であるセシル様は、私が生まれてすぐ、公の場から姿を消した。
ある日忽然と消えてしまったらしい。
事故か事件か。大々的な捜査が行われたが、セシル様は見つかっていない。
そんな折、セシル様の身内を名乗る方から連絡があったそうだ。
セシルのピアノを貰ってくれないか、と……
両親は驚き焦り、丁重に辞退したと言う。
けれどセシルが望んだことだからと、押し切られたらしい。
そしてセシル様が愛し、その後我が相棒となるベヒシュ※が、我が家へやってきた。
◆◇◆◇◆◇◆
ここまでの記憶は、どれもこれも笑顔だった。
ピアノは親友。ピアノは相棒。キャプテンピアノ。
触れるだけで誰よりも私の感情を読み取ってくれ、何よりも楽しくて大切だった。
けれど周りが、天才だ神童だセシル様の再来だと騒ぎ立て、過大どころか過剰な期待を押し付けられるようになってくると、大人の思惑による強要が始まった。
つまり、それ。しかできなくなったのだ。
我が家は裕福には程遠かったが、両親は私のそれに対し、借金を重ねてかなりの無理をした。
セシル様のベヒシュと予備GP。
それらを置く場所の確保や、防音設備に有名講師費、海外コンクール遠征費、それに伴うドレスなどの衣装費云々……
六桁の円が当たり前に飛び交う事態を、子ども心にも感じ捉えていた。
矢鱈と広告の多い動画を、かなりの頻度でUPしていたのも、その手の事情なのだろう。
だからピアノを休みたいなどと、口が裂けても言えなかった。
朝起きると、登校までピアノ室に。
昼休みは、学校の計らいで音楽室に。
放課後は、ご飯とお風呂以外はピアノ室に。
学校の休みは、一日中ピアノ室に。
買い食いだ寄り道だなどできるはずもなく、林間学校、修学旅行など、ピアノに触れられない日があるだなど以ての外だと全て欠席。
だからお友達と呼べる人などいない。
お友達どころか、会話をしたことのある同級生自体が片手で余る。
中学以降は、学業的にも色々と厳しくなってくる。
けれど塾になど行く暇もテスト勉強をする暇もないから、授業中で全てをクリアしなければならない。
だから授業と授業の合間時間は、トイレに行くことすら時間が勿体なく、宿題と予習に費やす。
この頃になると、もう周りの同年代たちは、私をどう扱って良いのか分からなくなっていたのだろう。
ピアノさえ出来れば問題がないため、学区内の公立中学へ通うのだが、登校から下校まで常に一人だった。
『藤井さんは、私たちとは違うから』
色々な意味を含めて囁かれる台詞。
分からないなら近寄らなければ良い。
遠巻きに、嫉妬、僻み、尊敬、憧れ、無関心などなど、自身が感じるまま噂する。
そんな外野の声に心を揺さぶられ、それが音に表れてしまう。
それを『物差しで手を叩かれる』などの体罰という形を以って指導をされてしまうから、心乱す外野声を遮断する術を覚えた。
当たり前だが、痛いのは嫌だ。
楽譜を延々と読んでさえいれば、脳内にその音が溢れ出す。
音の中に居れば、安心安全で何にも乱されずに済んだのだ。
何というか、読書の音符版だよね。
私にとっては、活字も音符も大差ない。
よく、国語の試験で、作者の気持ちを表す箇所を抜き出しなさい云々な問題があった。
楽譜もそれ。それなー。
音符が語る。記号が語る。
その語りかけられた音を拾い集め、要約し、音楽家は意訳した自身全霊で奏でる。
ピアニストを目指す者は、僅かな違いはあれど私と変わらぬ毎日なのではないかと思う。
ピアニストだけでなく、何かを極めようとする人間は、『ソレ浸け』になるものだとも思う。
けれど、理解はしていても孤独だった。
況して思春期真っ只中で、親の言うことでさえも矛盾や不合理さを覚える時期だ。
何もかもに嫌気が差し、語る指は苛立ちを奏でた。
積もった鬱憤の晴らし方を知らず、気づけば負の感情を込めた楽曲ばかりが得意になっていた。
特に自らが編曲を行った、魔笛・女王のアリアは喝采を受け、ゆえにその後から『夜の女王』などという、うら若き乙女には余り好ましくない二つ名で囁かれてしまうこととなる。
身体を一音一音小刻みに揺らし、歯を噛み締め、眉間に皺を寄せて鍵盤を叩いて過ごす日々。
他人の声は聴こえなくなったけれど、今度は自分の心の声に惑わされ続けていた。
※ベヒシュタイン=ドイツの高級ピアノメーカー名の略であり、更紗が勝手につけた相棒のあだ名。




