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1. 目覚めと絶望的な使命 ~転生者の慟哭~

 薄い意識の中で、リリアナは【温もり】を感じた。


 それは十一年間知ることのなかった、天上の贈り物のような感覚――――。冷たい石の床に横たわり、薄い毛布一枚で震えながら眠る日々では感じられない温もり。


 羽毛が、まるで雲のように全身を包み込んでいた。朝の光が(まぶた)越しに差し込み、その眩しさに思わず目を細める。座敷牢の小さな窓から差し込む、あのはかない光とは違う。これは世界が惜しみなく注ぐ、祝福の光だった。


「……光? 朝の、光……?」


 震える手で顔を覆おうとして、リリアナは凍りつく。


 ――大きい。


 この手は、大きすぎる。細く痩せ細り、打撲の痕が消えることのなかった自分の手ではない。節くれだち、剣ダコの残る、戦士の手。


「え……?」


 跳ね起きた瞬間、世界が大きく動いた――――。これは目眩ではない。ただ、視界があまりにも広く、高く、そして鮮やかすぎるのだ。


 天蓋付きのベッド。金糸で刺繍(ししゅう)されたカーテンが、朝の微風に揺れている。磨き上げられた大理石の床は、まるで凍った湖面のように自分の姿を映し出す。壁に並ぶ歴代当主の肖像画は、威厳に満ちた眼差しでこちらを見下ろしていた。


 ――これは、夢だ。


 十一年間、石壁を見つめながら何度も見た夢。外の世界への憧れが生み出した、哀しい幻想に違いない。


 でも、この手触りは? この温もりは? 胸の奥から湧き上がる、この圧倒的な力の奔流は?


 リリアナは震える足で立ち上がり、部屋の隅にある姿見へと歩み寄った。一歩、また一歩。大理石の床に響く足音さえも、まるで別人のもののように重く、確かだった。


 そして――――。


「兄上……?」


 鏡に映っていたのは、深紅の髪と鋭い金の瞳を持つ青年だった。


 アレクシス・フォン・ローゼンベルク。


 十一年間、自分を虐げ続けた兄。「忌み子」と吐き捨て、気まぐれに暴力を振るい、自分から光を奪い続けた、あの兄の顔が、そこにあった。


「嘘……嘘でしょう……?」


 震える手で頬に触れる。鏡の中の「アレクシス」も同じように頬に手を当てた。


 その瞬間、頭の中で何かが弾けた。


 堰を切ったように、前世の記憶が流れ込んでくる。


 ――深夜のオフィス。残業続きで疲れ果てた身体。唯一の癒しだったスマホゲーム。


 『聖騎士と運命の花』


 乙女ゲームと呼ぶには重厚すぎる世界観。緻密に練られたストーリー。そして何より、心を鷲掴みにされた一人のキャラクター。


 カイル・エルンスト。


 素朴で優しい宰相の息子。誰に対しても分け隔てなく接し、小さな命さえも大切にする心優しき青年。そんな彼が、あるルートでは無残にも命を落とす。


「カイル……!」


 記憶が鮮明になるにつれ、リリアナの顔から血の気が引いていく。


 思い出したのは、ただのゲームの結末ではなかった。何度プレイしても変えられなかった、あの絶望的な光景。それは単なるCGではなく、まるで自分がその場にいたかのような、生々しい記憶として蘇った。


 ――炎に包まれる王都。瓦礫(がれき)と化した城壁。逃げ惑う人々の悲鳴が、耳の奥で木霊する。


 ――血溜まりの中に横たわるカイル。かつて勇者の証として手にした聖剣が、皮肉にも彼自身の胸を貫いている。


 ――そして、その亡骸の前に立つ聖女マリア。天使のような微笑みは消え、その瞳は虚無に染まっている。全身から溢れ出す黒いオーラが、まるで瘴気(しょうき)のように世界を侵食していく。


「違う……これは、ゲームじゃない」


 リリアナは震える手で胸を押さえた。アレクシスの――今は自分の心臓が、早鐘のように脈打っている。


「これは『現実』だ。私が何もしなければ、カイルは死に、この国は滅びる」


 窓へと駆け寄り、カーテンを勢いよく開く。


 朝日に照らされた王都が、眼下に広がっていた。石畳の大通りを行き交う人々。市場から聞こえる商人たちの呼び声。子供たちの無邪気な笑い声が、風に乗って届いてくる。


 平和だ。あまりにも平和で、美しい光景。


 でも、リリアナは知っている。この全てが、失われる未来を。


「私が……私だけが、知っている」


 膝が震えた。恐怖が全身を這い上がってくる。


 前世の自分は、ただの会社員だった。残業と締切に追われ、ゲームだけが癒しの、どこにでもいる独身OL。そんな自分に、世界の命運など背負えるのか? 


 ――無理だ。


 ――逃げたい。


 ――こんな重すぎる運命なんて。


 だが、その時、部屋の隅に立てかけられた剣が朝日を受けて輝いた。


 アレクシスの愛剣『蒼炎(そうえん)』。


 吸い寄せられるように近づき、その柄を握る。想像以上の重さに、一瞬よろめいた。しかし次の瞬間、体の奥底から何かが湧き上がってくる。


 熱い。まるで血管を溶岩が流れているような、圧倒的な力の奔流。


「魔力……これが、魔力……!」


 指先に意識を集中させる。すると、まるで意思を持つかのように、青い炎が手の平で踊り始めた。


 美しい。そして、恐ろしいほどに強大な力。


 十一年間、「魔力を持たない忌み子」と蔑まれ続けた自分には、決して得られなかった力。座敷牢の中で、どれほどこの力を渇望したことか。どれほど涙を流したことか。


「……できる」


 涙が、一筋、また一筋と頬を伝った。


 それは恐怖の涙ではなかった。十一年間の悔しさと、今ようやく手にした希望が入り混じった、複雑な涙だった。


「私には今、力がある。知識がある。そしてーー」


 胸に手を当てる。アレクシスの心臓の奥で、自分の魂が確かに脈打っている。そこには、前世から変わらない、あの想いがあった。


 ――カイルを救いたい。


 ただそれだけの、純粋で一途な想い。


 何度もプレイした。何度も彼の死を見届けた。そのたびに画面の前で泣いた。「どうして」と叫んだ。「もっと違う未来があったはずなのに」と。


 でも今は違う。今の自分は、ゲームの外側にいるのではない。この世界の中にいて、力を持っている。


「私が守る。絶対に」


 『蒼炎』を鞘に収め、リリアナ――いや、今はアレクシスとして生きることを決意した少女は、強く拳を握りしめた。


 十一年間の座敷牢暮らし。前世の知識。そして今、手にした強大な力。


 全ては、この時のためだったのかもしれない。


 窓の外では、平和な一日が始まろうとしていた。だが、その平和を守るための戦いは、今この瞬間から始まるのだ。

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