1章 幼少期
羽鳥文彦は1921年(大正10)8月15日に羽鳥家の次男として誕生した。生まれたのは朝方のようで、蝉もまだ目覚めていない頃に産声を上げた。
羽鳥の幼少期はとにかく明るい子であったと、彼を知る人達は皆口を揃えてそう言った。羽鳥はよく走り回り、木登りや川遊びをして空を見上げることも多かったという。もしかしたら、羽鳥本人も気づいていない空への憧れというものがあったのかもしれない。
羽鳥が生まれたのは名古屋城の城下町で、近くには愛知県警本部や第八師団。飛行工業など軍人や役所仕事の人達と関わることが多かった。その中で羽鳥の憧れは警官であり、幼少の頃より将来は警察官になるんだと幼なじみに毎日のように言っていたという。その幼なじみは羽鳥の叶えられなかった警官へとなり元愛知県警本部長の髙見義顕だと、近所の方に話を伺った時は著者自身仰け反るのではないかと思うほど驚いた。まさかお偉いさんになっていたなんて人の縁とは驚きでいっぱいである。
「文彦はあの歳にして多感していた縁がある。特に軍人のことを嫌っており、周りが兵隊ごっこをしている中では文彦も混ざって遊んでいたが、よくいっていたのは『軍とはただの権力の暴力でしかない。今まで白星しかつかなったのは先人のおかげであり、我々日本人が優れている訳では決してない。もし今戦争が起こった際、本当の戦いを知っている者がこの国にどれだけいるのか、それがボクは怖いよ』だった。 本当にその通りに日本は見極めの甘さでこの国全体を焼け野原にした。……私はね、文彦とともに警察官を本気で目指していたんだ。アイツの親父殿をあいつ以上に恨んでるのはもしかしたら私かもしれない」
縁があり、髙見に話を伺った際に話していただいた話だ。髙見の話が本当であるのならとても多感な子供であったことが伺える。一緒に警察官を目指していたにもかかわらず、結果として警官と軍人に別れることになってしまったことが、今でも心残りだそうだ。
羽鳥とは引っ越したあとも交流が続いていたらしく、長期休みなどで帰ってきた際には一緒に勉強をするような関係であったようだ。特に英語に関しては兵学校の方が実用的でよく日常会話を英語にして遊んでいた。夏は兵学校の白い軍服、白の帽子でそれ以外の時季節は紺色軍服に身を包み、昔と変わらぬ笑顔で帽子を振って挨拶していたそうだ。白かった羽鳥の肌がさすがに日に焼け色付いていたが、そこらの男に比べたら断然白く、羽鳥自身は陸での日差しと海やけがきついとボヤいていたらしい。
だが、中区で育った時期が短く、さらに名古屋大空襲により当時の面影も焼かれているため、羽鳥の記録は髙見の記憶しか残っておらず、同郷の話のほとんどは熱田区に引っ越してからである。
熱田に行ってから羽鳥は瞬く間にその地域全域の子供たちの大将のような立場になったと語っていただいたのは、祖母も羽鳥の幼なじみと言ったらと名が出てくるほど祖母、幸子とも晩年まで親交のあった所崎斐蔵だ。
所崎は当時、ガキ大将から虐められる立場にいたらしく、いつも学校に行くのも外に出るのも嫌で仕方がなかったそうだ。だが、ある時いつも通り囲まれて蹴られるなど暴行をされていた際、突然話しかけてきた人物が羽鳥だったようだ。羽鳥は別に暴力を受けていた所崎を助けるために話しかけたのではなく、その前日にそのガキ大将は羽鳥の兄である一蔵に対しちょっかいを出してしまったようだ。その事を知った羽鳥が制裁を込めて乗り込んできたわけである。「おまえら、転校してそうそうの兄ちゃんをいじめの標的にするなんていい度胸してんじゃん。兄ちゃんは運動が苦手なんだ、相手はボクがしてあげるからいつでもおいで」
優しそうな顔で微笑みながら言っていたが目が全く笑っていなくて当時は本当に怖かったと、所崎が語ってくれたが瞬く間にガキ大将とその取り巻きたちを地面に叩き潰した羽鳥を所崎はヒーローのように思ったと語っておりそれ以降、当時気の弱かった所崎は羽鳥の後をついてまわったという。中学に上がる頃まではいつも一緒に行動をしており、当時のことをほかの方に聞いても羽鳥の隣にはやはり所崎の姿があったという。悪くいえば金魚のフンのような存在だったと皮肉っていう人もいるほど、一緒に過ごしていた。
だが、羽鳥の交流関係は広い訳では決して無かったようだ。パーソナルスペースは広い方であったようで友人は少人数で深く親交をしていたようだが、後年は部下との親睦を図るためか距離感が近かく、知り合いがとても多かったと語る人達もいる。
しかし、密接に親しくはなかったが勉強が出来、運動神経も良かった羽鳥を尊敬していた人も多くおり、小学校の地域付近を聞いて回った際も、本人と話したことがある人は少なかったが羽鳥は足が早かったや、よく通っていた現在もある本屋を教えてもらえたりと、彼が生きた証はあちこちに散らばおり、人の記憶の中にも残っていた。
だが、羽鳥と交流が多かった所崎がある時から隣にいることが無くなったと所崎本人が語っている。
「人見知りで自分に自信がなかった私だが、文彦と行動をともにするようになって人と関わることが怖くなくなった。そこから私自ら友人を作るようになって仲のいいグループで別れてしまった。……文彦の中学での様子はあまり知らないんだ」
所崎はそう語り、別に仲違いをした訳では無いんだと言っていたが、所崎は活発に動く友人たちに囲まれていたのとは逆に羽鳥は文学に興味のある友人たちに囲まれ、あまり外で動いていなかったそうだ。人間の交流関係とは一重にこういったものだろう。
だが、彼らの友情は戦時中も続いていたため固い絆があったのだろうと推測する。