9. 1人にしないで
「ここ、どこ?」
花子は目を覚ますと、上半身だけ起こして辺りを見回した。
部屋は真っ暗で目を凝らしてもよく見えない。
ただ、自分が今いる場所は村でも宿でも、ましてアデルの小屋でもないことだけはわかる。ベッドも、アデルの小屋の物よりもさらに上質で肌触りがよく、気持ちがいい。部屋の中はとても静かで、嗅いだことのない良い匂いが漂っている。だが、花子にとってそんなことは重要ではない。花子にとって重要なのはここが知らない場所であり、アデルがいないということだけだ。それを認識すると寝起きの花子の意識は一気に覚醒し、恐慌状態に陥った。花子は自身の身体を掻き抱き、必死にアデルの名を呼ぶ。
「ア、アデル......。アデル!アデル!アデル!アデル!アデル!アデル!アデッ......。」
大丈夫、まだ名前を知らなかったあの時だってアデルはすぐに来てくれた。大丈夫、眠る直前、アデルは花子を捨てようとはしていなかった。......本当に?体調を崩して足手まといだから捨てたくなった?いや、アデルはそんなことしない。捨てるにしても花子の意識がないときに黙って花子を捨てたりしない。大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、だい、大丈夫、だ、だだ......。
花子は狂ったようにベットから飛び出し、駆け出した。部屋は窓が無いのか薄暗く、飛び出してもどう進めば良いのかわからない。手さぐりに歩を進めるも、すぐに足をもつれさせて転んでしまう。花子はそのまま蹲ると、小さくなって自分の腕を嚙み始めた。不安で不安でたまらない。腕に血が滲み始めると、どこからか扉の開く音が聞こえた。
「花子?」
花子はその声を聞きつけると、勢いよく顔を上げ扉を開けた存在に駆け出した。
力いっぱい抱き着くと、思いっきり息を吸い込み、腹の底から大声をあげながら泣き始める。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」
アデルはあまりの様子にしばし呆然としたが、すぐに我に返ると足にしがみ付いた花子をべりっと引き離し、顔を覗き込みながら額に手を当てた。
「どうした?熱がまたぶり返し......てはいないな。どこか痛むか?」
「ひうっ、はっ、はっ、ううう~。」
花子は嗚咽を漏らすばかりで要領を得ない。
アデルもつい今しがた目を覚まし、軽く身支度を整えてから花子の様子を見に来たのだが、寝室の扉を開けたらベッドで寝ているはずの花子が床で蹲っていて、しかもいきなり抱き着いたかと思えば号泣し始めて訳が分からない。困った末に花子を抱き上げ優しく背中を叩いてやると、花子はアデルの首に両腕でかじりつき、さらに大泣きし始めた。
これはまずい、過呼吸になる。
「泣き止め。」
アデルはどう慰めて良いかわからず、ただひたすらその言葉を繰り返す。
「泣き止んでくれ。」
「うあぁぁぁぁぁぁ。」
「頼むから。」
「ふっふっふぅぅぅぅっ。」
「泣き止んでくれ......。」
「あーあーあーあーあー。」
アデルは自分一人の力では無理だと諦め、かなり嫌だが振り返って助けを求めた。自分と一緒に部屋に来ておきながら何もせず、後ろでずっとニヤニヤこちらを眺めていた男を。
「あれれ~?何ですか~?もしかして女の子1人慰められないとか~?」
「いいから早く助けろ。」
「それが人にものを頼む態度ですかね?」
「頼みではない、命令だ。」
何と傲慢なのか、お願い......もとい命令をされた男、フィリーは彼のそんな態度にも嫌な顔はせず、余裕の微笑(アデルからしたら微笑などではなく気持ち悪いニヤケ顔だが)を浮かべながら近づく。フィリーは不快に思うどころかアデルのそんな態度すら面白がっていた。
フィリーはアデルという男を気に入っている。まだ数日一緒に旅をしただけに過ぎないが、フィリーの人を......特に男を見抜く目は抜群で、これまでその目と直感で何人もの優秀な部下を得てきた。そんな彼の目と直感がこの男は超超超1級品であると訴えている。だからこそどれほど邪険にされようとも性懲りもなくアデルの周りをうろついているのである。
では、女を見る目に関してはどうなのだろうか?言うに及ばず、フィリーの能力は対男専用であり女性相手になった途端、その冴えわたる目と直感は途端に使い物にならず、曇ってしまう。良く言えば博愛主義、悪く言えば見境が無いのである。
しかし、対女に曇るフィリーの能力でも花子だけは例外であった。フィリー自身、うまく言葉にできないが花子は普通の女の子とは何かが違うのだ。それをわかってアデルは傍に置いているのかと思ったが、これまで見ていてどうもそうではないらしい。
(まぁ、今はそんなことどうでもいっか。早く花子ちゃん慰めてあげよっと。これでアデルの10分の1でもいいから俺に懐いてくれるといいなぁ~。)
彼自身、大泣きする花子を見てすぐに慰めてやりたかったが、まずは保護者であるアデルが対応すべきだと考え静観していたのである。まぁ、すぐにどうしようもなくなってこちらに助けを求めてくるだろうとは思っていたが、予想以上に早かった。やはりアデルの対子供能力は赤点、否、むしろマイナスである。
花子に抱き着かれてるアデルはなかなか手を出してこないフィリーにイライラしながら急かす。
「早くしろ。」
「はいはい~。」
フィリーは花子の片腕をグイっと掴んでアデルから引きはがす。花子は抵抗するが、幼女の力など成人男性であるフィリーには全く意味をなさない。花子は気に入らないとばかりに体をのけ反らせて絶叫する。
「おい、悪化させてどうする。」
アデルがぎろりとフィリーを睨んできたが、フィリーからしたら何でアデルが花子の腕の状態に気づかないのか不思議で仕方がない。アデルのことは気に入ってるが、だからと言ってアデルの子供に対する無能っぷりは看過できない。それとこれとは別というものだ。いつも飄々としているフィリーには彼独自の明確な基準に基づいて態度を切り替えている。今がまさにその時だ。
「本気で言ってます?花子ちゃんのこの腕の状態を見たうえで?」
フィリーが教えてやるとアデルは愕然とした表情で花子の腕を見た。
「花子ちゃんにつられてあなたまで動転してどうするんですか。まずは手当でしょう?」
そういうとフィリーの後ろからさっと侍女が出てきて花子の腕の手当てを始める。フィリーはただ静観していたのではなく、手当の道具を取りに行くよう指示をした侍女が戻るのを待っていたのだ。
侍女が素早く包帯を巻き終え、手当てを終えるのを確認すると、アデルは掴んで固定していた花子の腕を離した。そして、花子の頭をゆっくりと一撫でしてから優しい声で歌いだす。
花子はアデルの腕の中にいるという安心感とフィリーによって紡がれる暖かなメロディーのおかげで、次第に落ち着きを取り戻していった。フィリーは歌いながら根気強くハンカチで花子の止まらない涙をぬぐい続けてくれた。
「もう大丈夫そうだね。」
フィリーは花子が泣き止んだのを確認すると、ベッドのある部屋と隣り合った応接間のソファーに寝そべり、先ほどの侍女を口説き始めた。
「......ごめんなさい。」
花子は自分がつい先ほどまで赤子の様に大号泣していたのを思い出し、羞恥のあまりアデルの肩に再び顔を埋めて縮こまる。
アデルはそんな花子の背中を先ほどと同じように優しく叩いて、できるだけ優しい声音になるよう意識しながら花子に問いかける。
「一体どうした?」
「......。」
花子からの返答はないがアデルは根気強く待つ。
しばらくして言葉を探すようにしながら花子が話し出した。
「怖かった。アデルがいなくて......。知らないとこ......。暗い......怖い。」
「そうか、すまなっかった。」
アデルはこれまでずっと花子と一緒に寝ていた。生贄としてささげられた花子の精神が不安定だったのに加え、旅の道中での安全確保、そして寝床の数などの諸々の理由のためだ。無論、花子が幼い子供だからではあるが。もうそろそろ花子の精神も安定してきて、なおかつ寝床も十分にあるため1人でも問題ないと判断したが、どうやら早計だったようだ。しかし、これまでの人目のない旅と違い、この館には複数の目があるため、いくら幼いとはいえ血の繋がりのない男と幼女がともに寝るのは些かどころではなく問題になる。これは何か対応を考えねばなるまい。
しかし、花子の部屋には侍女が詰めていたはずである。目を覚ました花子がなぜ1人だったのか、あとで館の主に確認しなければ。




