6. 約束
宿屋で騒ぎ過ぎた花子たちは早々に追い払われた。アデルがサラを口説いていたフィリーを力ずくで引きはがし、宿賃に色を付けたことで、女将からの人攫いの嫌疑は薄れたがそれでも居心地は良くないので花子たちも無理に居座ることなく予定より早いが出発した。
いつも通り花子は馬に乗り、アデルが手綱を引く。そしてフィリーがふらふらと後をついてくる。
花子はアデルがいつ話しかけてくるのか戦々恐々としていた。
......捨てられるかもしれない。
暴力を振られたり罵られるのは耐えられる。だが、アデルに捨てられることだけが花子にとっては何よりの恐怖だった。先程からそんなことばかり考えていたせいでフィリーが側に近づいてきたことに気づかなかった。
「花子ちゃん、花子ちゃん。」
「ふぇっ!」
驚きのあまり変な声が出てしまい、そのまま舌をかんだ。
「......~~~~~っ!!」
あまりの痛みに背中を丸めて悶えていると、フィリーが花子の背を摩ろうと腕を伸ばしてきた、が、どこから取り出したのか、アデルがすかさず小石を弾いてフィリーの手を払った。
「いっ......。はいは~い。触りませんよ~だ。」
「.......。」
アデルは何事もなかったかのように前を向き続けてる。
「......ったくも~。あー、花子ちゃんいきなり話しかけたから驚いたよね。ごめんね。」
未だ身もだえていた花子は涙目で思いっきりフィリーを睨んだ。
「ふぁんのひょうへすは!」
「あっはははははは!アデル、今の聞いた⁉ふぁんのひょうへすかだって、ぷっくくく。」
花子はフィリーがあまりに笑うものだから思いっきりフィリーの脇腹を蹴った。しかし、フィリーはそれをひょいっとかわすとアデルの横まで行き、何の反応も示さないアデルの顔を覗き込んだ。
「あれ~、怖い顔がさらに邪悪になってますよ。」
「......うるさい。」
「八つ当たりですか?」
フィリーがニヤニヤとアデルの周りをうろついて挑発するとアデルがガシッとフィリーの頭を掴んだ。今回はフィリーも咄嗟によけきれず、アデルにキリキリと頭を締め上げられる。
「痛い、痛い、痛い!」
涙目になりながらもなんとか身をよじってアデルの手から逃れると素早くアデルから離れた。
「もうっ、空気が重いったらないんですよ!花子ちゃんずっと顔面蒼白だし、貴方は貴方でいつもの部仏頂面に眉間の皴が加わって凶悪な顔になっているし。確かに、さっきのは花子ちゃんが悪かった。だけど、貴方が侮辱されたのに我慢がならなくて怒っただけじゃないですか。子供なんですから、刃物の危険性を教えて反省させて終わりです。それをいつまでも向き合わずに引き延ばして......。どうせ切り出し方がわかんなかったんでしょ?やっぱりあなたは幼い子供だ、そんな男に人を育てる資格がありますか?」
花子は出会ってから始めて見せたフィリーの真面目な顔に呆気に取られていた。軟派な側面ばかり目立っていたため、こんな表情をすることが意外だった。ただただ感心してしまった花子と違い、アデルはバツが悪そうな顔をすると長い溜息をついた。そしてフィリーを手招きすると手綱を預けて花子と向き合った。
花子はアデルの真剣な表情に体が硬くなり咄嗟に俯いたが、花子の方が馬上という高い位置にいるのでこれでは意味がないと馬を降りようとしたがアデルに止められた。
「そのままでいい。」
「......でも。」
「あの時、お前はあの女将を本気で殺そうとしたな?」
アデルの声が一段低くなり、刺さるような冷たい目が花子をひたと見据えた。
花子は咄嗟に首を横に振ろうとしたがアデルの視線がさらに鋭くなった。
「嘘をついた瞬間、俺は二度とお前を信じない。それを踏まえたうえで答えろ。」
花子は涙目になりながら首を横ではなく縦に振った。
「甘ったれるな、口で返事をしろと言ったよな?」
花子は全身を小刻みに震えさせながら何とか声を絞り出した。
「は、はい。」
花子が素直に返事をしたため本当に、ほんの少しだけアデルの視線が和らいだ気がする。
「あの時、お前はあの女将を本気で殺そうとしたな?」
「はい。」
「なぜだ?」
「アデルが......。」
「俺が?」
「アデルは人攫いじゃない。」
「ああ。」
「すっとこどっこいじゃない。」
「ああ。」
「背が高いのも......いい。」
「......あ、ああ。」
「ぶふっ。」
真面目に話していたというのにフィリーがいきなり吹き出した。花子とアデルはそろってフィリーの方に視線を向けるがフィリーは素知らぬ顔で咳払いをしてごまかしていた。
「失礼、俺のことはお気になさらず話を続けてください。」
アデルは腕を組み、右手の人差し指で左の二の腕をトントンと数回叩いてから花子に視線を戻した。
花子もアデルと目を合わせる。
「お前は人を殺したことがあるか?」
「ない。」
「......。」
「......多分。」
「詳しく話せ。」
「わからない。けど、頭に血が上ったら気づいたらナイフを掴んでた。鳥と同じで首を狙えばいいと思った。」
「それでなぜ人を殺したことがないのに多分がつくんだ?」
「私、前のこと覚えてない。だから、多分。」
「そうか。」
「うん。」
「今後、俺の許可または自衛目的以外での殺人及びそれに準じる行為を禁止する。」
花子はアデルの使った言葉が難しくて何を言っているかわからなかった。アデルはとても大事な話をしているだろうから理解できないのはまずい。だけど、どういう意味なのか聞きなおしていいのかわからない。これ以上アデルを失望させたくない気持ちが花子の行動を迷わせる。
「返事は?」
ここでわかっていないのに返事をしたら嘘になってしまう。アデルに嘘をつくのは駄目だ。でも、どうすればいいのかわからない。花子の体は小刻みに震えだし、目には涙が溜まっていく。
すると、アデルが困ったように眉を寄せ、溜息をついた。
どうしよう、どうすればいいのかわからないうちにまた失望させてしまった。
「俺は、そんなに難しいことを要求しているか?」
どうしようどうしようどうしよう。
遂に花子のストレスが限界を超えようとしたとき、見かねたフィリーが助け舟を出してくれた。
「あなたは本当に不器用ですね。口をだすつもりは無かったんですが、このままだと花子ちゃんが意識を失いかねないですからね。」
「お前には関係ない。」
「正気ですか?俺も当事者ですよ?」
「花子の保護者は俺だ。」
「だったらもっと子供の扱いを学んでください。」
フィリーの言う通りアデルは自分の接し方が子供にとっていいものなのか、いや、良くない自覚はあった。そのため、言い返すことができずフィリーの言葉の続きを待った。
「あなたは言葉の選び方が下手です。これまで一緒に行動してきた上での俺の推測ですが、花子ちゃんはこれまで碌な教育を受けられない環境にいたんですよね?恐らく、保護者とは言いつつアデルが花子ちゃんを保護したのは最近のことだ。あなたと花子ちゃんでは過ごしてきた環境がまるで違うんですよ。それを抜きにしても花子ちゃんは9歳の女の子ですよ?自衛とか準ずるとか言われたってわかるわけがない。もっとかみ砕いて説明してあげないと、ね?」
基本、軟派で変人のフィリーに思いっきり正論をかまされたアデルは、頭では自身の過ちに気づいていても素直に言うことを聞く気にはなれなかったのかぼそぼそと反論した。
「俺は口下手なんだ。」
「だから?」
「......。」
「だから子供の花子ちゃんがあなたの意図を察せと?」
フィリーはアデルを心底馬鹿にした目で見て鼻で笑った。
「はぁー、花子ちゃんと話しますよ。いいですね?」
フィリーはアデルの許可を待たずに花子の側に近づいてきた。これまで律儀にアデルの要求を守り、挨拶や一言二言交わす以外、フィリーは花子と話そうとしなかった。軟派ものだが根はしっかりしている。
「花子ちゃん、この人が言いたかったのは、この人がいいよっ言うまで人を殺したり、人をナイフとかで傷つけたりしちゃダメということだ。ここまではわかるね?」
「わかります。」
「うん、良い子だ。だけどね、相手が花子ちゃんを殺そうとしたり傷つけようとしたとき、花子ちゃんは自分を守るために戦わなきゃいけない。花子ちゃんが自分から相手を傷つけるのは駄目だけど、自分を守るために仕方なく相手を傷つけてしまうのをあの人は許すって言っているんだ。これが、自衛目的の意味。ここまでは大丈夫?」
「大丈夫です。」
「よし、賢いね。じゃあ後は簡単、それに準じる行為っていうのはこの場合は殺すだけじゃなくて殴ったりひっかいたり、それらすべての相手に重い怪我を負わせること。転んで擦りむいた傷はそのままでもすぐに治るよね、だけど腕が折れたらなかなか治らない。怪我の重い軽いっていうのはそういうこと。」
「わかった。」
「他にわからないことはある?」
「ないです。」
「じゃあ、アデルと『今後、アデルの許可または自衛目的以外での殺人及びそれに準じる行為を禁止する』ことを約束できるね?」
「できます。」
フィリーは自分の役目は終わったとばかりにアデルに目配せをするとアデルから手綱を受け取りそっとアデルの背中を押した。
「......すまなかった。」
「アデルは悪くない。」
「いや、今回は俺が悪かったんだ。もうすでに分かっているかもしれないが、俺は......口下手なんだ。以前、わからないまま返事をするなと言ったが、今後は俺の説明でわからないことがあったら固まって涙目になるのではなく、すぐに聞いて欲しい。」
「わかった。」
花子とアデルはお互いの様子を伺うようにチラリと視線を交わすと、どちらからともなく笑みが漏れ自然と空気が緩んだ。
「約束、アデルが良いって言うまで自分を守る以外で人を傷つけない。」
「あぁ、俺も、できる限り言葉を尽くすことを約束しよう。」
「はいっ、じゃあ街まであと少し、張り切っていきましょう!」
話が終わったことを感じたフィリーがいつの間にかアデルの側に戻ってきていた。
「そうだな、今回はお前に助けられた。感謝する。」
「いや~、じゃあ街に行ったら綺麗な女の子がたくさんいるお店に連れて行ってくださいよ。勿論、あなたの奢りで~。」
フィリーから先程までの頼れる姿が一瞬で搔き消え、普段のふざけた軟派な態度に戻った途端、アデルのまとう空気が再び氷点下まで凍った。ただこれまでの様に蹴りなどの制裁をしていないあたり、アデルの中のフィリーの評価が上向きに修正されたのは間違いない。
「一人で勝手に行け。」
「えぇ~、そんなぁ~。」
花子自身も出会った当初、フィリーのことを気持ち悪いと思ってしまたことを心の中で詫びた。