3.正統な竜
アデルは悩んでいた。
恐らく花子は孤児だった為に、村人たちから生贄に選ばれたのだろう。
最初に花子を見つけた時、花子は死にかけていた。育った村に送り届けたところで、酷い扱いを受けることは間違いない。さらに生贄の身にも拘らず生き残ったとあっては命さえ危うい。
だからと言って、この小屋に置き去りにするのも酷だろう。アデルが連れていくしかない。しかし、アデルは子供を育てたことなどない。まして女の子などどうやって育てたらいいのか皆目見当もつかない。
あのまま死なせず手を出してしまった以上、アデルは花子が安全な環境に落ち着くまで彼女を庇護する義務がある。アデルが家に連れて帰り、家の者に世話をさせる手もなくはないが、アデルは花子を自分の住む世界に引きずりこみたくはなかった。
「よしっ。」
アデルは狩った獲物をもって花子の待つ小屋へ戻るために歩き出した。
もう名前まで与えてしまったのだ、腹を括るしかない。
アデルは小屋の隣の食糧庫に血抜きした獲物をしまうと、小屋の戸を開けた。花子は先ほどと同様に竈の前の椅子にちんまり座っている。
「王都に行く、明日出発だ。いいな?」
少女はアデルの方を向き、きょとんとした顔でよくわかっていない顔をしていたがこくりと頷いた。
アデルの言うことなら、という意思がありありと伝わってくる。出会って間もないにも関わらずここまで懐かれているいことに面映ゆい気持ちと危うさを感じる。素直に言うことを聞いてくれるのは楽でいいが、アデルは花子を思考することを知らない人形にはしたくなかった。
「わかってないのに頷くな。」
アデルの顔が険しかったせいか、花子は明らかに委縮した。花子は再び頷こうとしてハッとしたように顔をググっとあげ、見る見るうちに困ったような涙目になり震えだした。
アデルは自分の言い方がまずかったことに気づき、苛立った。自分が口下手なことは自覚している。そのいら立ちを吐き出すかのように大きく息を吐くとついに花子の目にたまり続けていた涙が流れだした。
アデルは慌てて自分の袖で花子の涙をぬぐってやった。
ハンカチなどという上等なものは生憎持ち合わせていない。
「すまない。」
花子はフルフルと首を横に振った。
「少し待ってくれ。」
アデルはカバンから地図を取り出すと机の上に広げ、花子に側に来るよう手招きした。
花子は椅子からそろりと滑り降りると机に近づいてきた。背が低すぎて机の上が見えないのだろう、背伸びをして覗き込んでる。その様子を見てアデルは花子を抱き上げて腕に座らせた。花子はびっくりしたように目を丸くしたが大人しくされるがままになっている。
「俺たちが今いるのはここだ。ここが王都、わかるか?」
アデルが地図を示しながら話すと花子は頷いた。
「俺たちはここに向けて移動する。」
「わかった。」
アデルは花子をじっと見つめると花子を先ほどの竈の前の椅子に座らせて、自分は地図を片付け明日の準備を始めた。
王都には親を亡くした子供を育てるために神殿が管理する孤児院がある。そこでなら花子も生活していけるだろう。それか、アデルが後ろ盾となり里親を探しても構わない。子供に恵まれなかった夫婦ならば王都にも一定数いる。自分の手元で育てるよりもきっと幸せになれる。
花子のことはそれでいい。しかし、幼い娘をあのような洞窟に置き去りにし、捧げものにするとは、この周辺の村について王都に戻り次第調べさせねば。そんな悪しき風習は絶たせねばならない。ここの領地の伯爵は温厚で人柄がよく、人畜無害で中立的立場ではあるが、その分保守的で変化を好まず、古い慣習を重んじる為、交渉の余地はあるものの、説得するにはなかなか骨が折れそうだ。
王都に戻ったらアデルはアデルのままではいられない。アデルバードとして嫌でも権力の渦に飲み込まれることになるだろう。それまでは、部下が必死に作ってくれたこの束の間だけは、ただのアデルとしてあの少女と旅をするのも悪くはないだろう。
アデルは荷造りを終えると、花子に一声かけ小屋の外に出た。
小屋に声が聞こえないあたりまで来ると、1匹の黒い蛇がアデルの足元にすり寄ってきた。
「蛇田」
アデルが呼びかけた途端、その蛇は瞬く間に人の姿に変わった。
コンプレッションウェアのようなピタッとしたTシャツにミリタリーパンツを履き、足元はコンバットブーツを身に着けている。服装からして一般人でないことは明白だ。むしろあからさますぎる。だが、闇に溶け込む彼らはこれでいいのだ。
蛇田と呼ばれた人物は一言も発することなくアデルの前に立ち、視線は下に落としながら向き合った。
「状況は把握しているな?蛇田はそのまま俺につけ、蛇谷は花子だ。蛇原は王都に行きレオポルトに報告を、以上。」
命令したにもかかわらず、微動だにしない様子にアデルは眉を顰めた。
「聞こえたはずだ、直ち任務に迎え。」
それでも目の前から立ち去らずにいる為、もう一度口を開こうとしたらようやく蛇田は反応を見せた。
「……、あなたはまだ竜ではない。我々は竜にのみ従う。」
「伯父上より指輪は既に継承されている。」
「違う。指輪はまだ継承されていない。」
「……俺も人のことを言えた義理ではないがお前も大概融通が利かないな。だが、ルイポルトへの報告だけは行け、いいな?」
「先代竜より受けた命令はあなたの身柄の死守のみ。」
蛇田は視線を下に固定したまま、なおも頑なにアデルの命令を拒否する。アデルは一つ息を吐き、ゆっくりと瞬きをした。瞬間、蛇田の背中が粟立つ。蛇田は目を見開き、アデルを見つめる。
「何度も言わせるな。俺が正真正銘の竜だ。先代も先々代も竜の指輪を継承してはいたが、真の竜ではなかった。」
「覚醒、されたのですね?」
「ああ。」
アデルがそう返答した途端、周囲に潜んでいた蛇たちが一斉に人の形をとり、アデルに向かって跪いた。
「正統なる竜の誕生に心よりの祝福を!」
蛇田の声に合わせて人型であった蛇たちが一斉に蛇の姿に戻り、とぐろを巻いて頭を垂れた。
「先ほどまでの無礼に謝罪を。」
蛇田は一人だけ人型を維持したまま額を地面に付け伏していた。
「構わない。それよりも任務の遂行を。」
「御意。」
返事をするや否や蛇田は再び蛇の姿に戻り森の奥へ消えた。先ほどまでアデルを囲んでいた蛇たちもいつの間にか見えなくなっている。
アデルは黒蛇の消えた後を見つめながらしばらくの間、立ち尽くしていた。
「……竜……か……。」
アデルの瞳は未だに底冷えする様に冷たく、怪しく光っていた。
苛立ちを晴らすかのように握りしめた拳を近くの木にぶつける。哀れな木はミシミシと音を立てながら倒れた。それでもまだ足りず、今度は先ほどより力を込めて足を振り上げ、勢いよく隣の木を蹴ろうとしたが、寸前で思いとどまった。小屋の扉が開く音がしたためだ。普通の人間の聴覚では聞こえない音も竜として覚醒したアデルには聞こえる。花子が不安になって外に出たのかもしれない。急いで蹴りは止めたが、少々力を入れ過ぎたようで風圧で木が3本ほど折れてしまった。アデルは気にせず、そのまま急いで花子のもとに向かった。
すると案の定、扉からひょっこり顔を出した花子が不安げにきょろきょろと辺りを見回していた。
アデルが花子の前に姿を現すとじーっと、見つめてきた。
「どうした?」
アデルが尋ねると花子はなんでもないと言うかのように、首を横に振った。
それを見たアデルは、いずれ口で返事をするよう様に言わなければと思いつつ、花子と共に小屋の中に戻った。