1. 人生が動き出した日
洞窟の中に一人の少女が横たわっていた。
少女は何も持っていなかった。
名前もない、親もない、兄弟もない。
あるのは垢まみれで汚れた体だけ。
手足は小枝のように細く、肌は枯葉のように乾ききっており、目は落ちくぼみ、腹だけが異様に膨れていた。
少女は孤独だった。
もう生きる気力がなかった。
体はすごく暑いのに震えが止まらない。
早く楽になりたかった。
少女は長く長く耐えていたこの苦痛からの解放を願い、目をつむった。
少女が目を開くと、木でできた天井があった。
背中が痛くない。
全身が柔らかいものに包まれている。
少女は理解した。
とうとう自分は死んだのだと。
その瞬間、深い安堵と幸福感に包まれた。
「目覚めたか?」
突然横から聞こえた声に、少女は息をのんだ。
「起きなくていい。」
ぶっきらぼうに言い放たれた声には少女を案ずる色が滲んでいた。
頭だけを横に向けると、眉間に皴をくっきりと刻んだ男が枕もとの椅子に腰かけていた。
少女は何度か口を開いては閉じを繰り返し、言葉を発しようとしたが喉の渇きによる痛みでうまく話せない。
それに気づいた男は水瓶から水を汲んできて、少女の体を支えながら飲ませた。
少女は乾いた喉に一気に水を流し込んだせいで激しくむせた。肺と背中が痛んだ。
「ゆっくり飲め。」
男は一度サイドテーブルにカップを置くと少女の背中を摩り、落ち着くとまた飲ませてくれた。
今度はゆっくり、ゆっくり少しずつカップの中身を飲み干した。
「もう一杯いるか?」
男が聞くと、少女は頭を左右に振った。
「いらない。」
「そうか。」
「うん。」
「もう一度、横になっておけ。」
少女は言われるがまま再びふわふわの物体に横になった。
もっといろいろ聞きたいことはあったはずなのに、横になった瞬間少女の意識はこと切れた。
次に目覚めると、やはりまた木の天井が見えた。
そのまま頭を横に向けると部屋全体が見渡せた。小さなキッチンに扉が一つ、窓が二つに中くらいのテーブルが一つ、ベッドのすぐ横にサイドテーブルが一つ、そして椅子がベッドの横とテーブルに一つずつ。
どれも古いがきちんと手入れされているようだ。
それよりも、少女はあの男がいなかったことにひどく落胆した。
あれは、少女の見た夢だったのかもしれない。
少女はベッドから降りた。
取りあえず水を飲もうとキッチンの方に一歩足を踏み出した途端、バランスを崩して顔から地面に転びそうになった。少女は咄嗟に目を瞑ったが、想定した痛みは襲ってこなかった。
恐る恐る目を開けると、あの男が少女の下敷きになっていた。
「・・・・・・。」
「・・・・・・どけ。」
少女は慌てて男の上からどいた。
男は体を起こすと少女の顔を覗き込み、手を伸ばした。
少女がビクッと体を竦めると、男のひんやりとした手が少女の額に触れた。
「よし。」
男はそう言うや否や立ち上がり、少女を抱き上げてテーブルまで運んだ。
一瞬の出来事に少女は暴れることもできず、されるがままになっていた。そのまま男はキッチンへと向かい、何か作り出した。
少しもしないうちにいい匂いが漂ってきた。
男はスープの入った皿を少女の目の前に置き、自分もベッドの横にあった椅子を持ってきて少女の向かいに座った。
「食べろ。」
そういうと、男自身もスープを食べ始めた。
男は固い黒パンをスープと一緒に食べていたが、少女の皿のスープにはすでにちぎって漬けられて柔らかくなったパンが入っていた。
少女はそれをを見て、恐る恐るスープを口に含んだ。
・・・・・・美味しい。
それから少女は貪るようにスープを食べた。
スプーンなど使わず、皿に直接口をつけ、ずぞぞぞっと、音を立てながらスープを飲んだ。
具材も手でかき集めて食べた。
少女はあっという間にスープを飲み干した。
男はその様子を呆気にとられながら見つめていた。
「もっと食べるか?」
少女は左右に首を降った。
「そうか。」
「うん。」
その後は特に会話もなく、男は食事を続けた。
少女は満腹の幸福感に浸りながら男が食べ終わるまで、黙って座っていた。