そもそものはじまり
5時。定時に仕事を切り上げると、速攻で地下鉄に乗り込む。さいたまの自宅まで、地下鉄と電車をのりついで約1時間。愛娘が保育園で私を待っている。
「ママ~。」と笑顔で迎えてくれる娘。まりあさん。「おかえりなさい。」と微笑んでくれる保育士さん。「おつかれさま。」「さよなら。」と挨拶しあうママさん、パパさん。
32歳。大学職員。安定した仕事と、家族。3LDKの賃貸マンション。
リアルで、一見、幸せな風景。
まさか、6年後に、こんな生活が待っているなんて、26歳の私は想像もしていなかった。
6年前、私はJ大学付属病院、精神科に入院していた。入院直前、3週間の記憶は、ほぼない。娘を無事に出産し、産後の安堵と喜びに満ち溢れた私は、退院して、実家に戻ると、まもなく、発狂した。
夜中に、ろうそくをぼうっと見つめていた記憶だけが、ほのかにある。病院にいこうといいだした両親の顔が阿修羅のように見えて、すさまじい恐怖にふるえていたことも。
そもそもの始まりは、7年前。就職して間もない私は、大人社会の現実や組織というものに激しいいらだちや不満を抱えながら、なんとか、毎日の仕事をこなしていた。学生時代のバイト仲間から、メールがきたのは、そんなあわただしい日々の最中だった。「飲みに行かない?」差出人は、佐藤君。5歳年下の大学二年生だ。なぜか5年間も大学に通った私は、卒業までの半年間、春日部の予備校で、塾講師をしていた。何度かみなで飲みに行ったこともあったし、酔っ払って、「俺は沙希さん、一筋ですから!」という佐藤君の言葉も冗談以上には、とらえていなかったので、私は気軽にOKした。
「こないだ、早川の紹介で、Tさんと飲んだんですよ。なんか、早川さんが、佐藤君のこと紹介してほしいって頼まれたんだよねって言うから。いや~、でも、目が離れすぎてて、まあ、逆に気楽でしたけど。」「え~、Tさん、佐藤君に??気があったの?うわ、ありえない。」「でも、いいな~、私、告白なんてされたことない。」「俺がしてるじゃないですか?」
・・・? 横を見ると、佐藤君は意外に真面目な顔をしていた。
よく見ると、そう不細工でもない。背は私より、ちょっと高いくらいだけど、まあ、ハンサムと言えなくもない顔立ちだ。頼りないし、すぐ酔っ払うけど、悪い人ではない。5歳の年の差は大きいけど、そもそも私がちょっといいなあと思っていた井上君も、佐藤君と同い年。同じ大学だ。認めるのは、しゃくだけど、世間では、私の母校よりも優秀とされているM大学の二年生。まあ、年より、ずっとしっかりしてて、ジャズの好きな井上君とは比べるべくもないけど。
初恋の彼と別れてから、2年間。その間、ちょっと付き合った人もいたけど、基本的に片思いと玉砕を繰り返していた私は、ちょっと女としての自信を失いかけていて、また慣れない職場に必死に適応しようとする生活にちょっと疲れていたんだと思う。学生時代の延長線上で、バカ話ができて、バイト先の噂話ができて、私の愚痴をO型らしい、おおらかさで聞き流してくれる佐藤君は、意外と居心地のよい存在だった。
「ありえないし。」と笑い飛ばしながらも、私は、その後、彼からの5度目の告白に、つい、うっかり、(本当にうっかりとしか言いようがない)、オーケーしてしまったのだ。それが、私のその後の運命を大きく変えるターニングポイントになるともしらずに。
一年半の交際期間は、長かったとも、短かったともいいようがない。その間、佐藤君は「もう別れる!!」を10回くらい言ったけど、それも、私が同期とカラオケしてて彼の電話に気づかなかったとか(5回も着信履歴があった)、友達と2回くらい連続で旅行に行ってて、一週間くらいほうっておいたとか、福岡の友達の結婚式に行くと、私たちの結婚資金が貯まらないとか、そんな、本当にどうでもいいような理由で。しかし、ほとぼりがさめると、なにごともなかったように、「週末、サッカーの試合、見に行かない?」とかメールないしは電話してくるので、私たちは一年半もおつきあいを継続してしまったのだ。
そして、子供っぽい恋愛ごっこに、終止符を打つきっかけになったのは、子供っぽい恋愛ごっこにつきものの、私の予期せぬ妊娠だった。
そう、私の愛娘、まりあさん(もうすぐ6歳)は、実は、私が尊敬と安心感を持って、大切にしている今の旦那さまの子供ではなく、子供っぽく、わがままで、でも、若さゆえのがむしゃらな好意をくれた佐藤君の子供なのだ。