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三十二 母との会話

「ただいま」


 帰った時には当たり前に言う言葉だ。

 今日だって自然体であると強調するように、確かめるように言葉を吐く。

 

 ……先に言っておきたいのだが、決して俺は母親と仲が悪いわけではないし、それに気まずいわけでもない。

 ただ、あの時が絡んでしまうシチュエーションになるとどうしても息が詰まってしまう。

 それだけ、ヘビーな出来事であったということだ。


「おかえり、今日も遅かったね。

 また友達の家で映画とか見てきたの?」

「…………うん」


 お母さんがリビングの扉から顔を覗かせる。

 今まで自由にさせてもらっていたこともあって、俺はこんな風に遅く帰ることも友達との用事ということで誤魔化せている。

 特に冬休みは、毎日のように家を出ているがそれも母親自身が働いていることも相まって、特に違和感は出ていないようだった。


「さっさと着替えてご飯食べよー。

 ほら、最近母さん料理系のユーチューバー見てたりするじゃない?

 今日そのレシピのまま作ってみたら、確かに美味しくてさぁ……ごめんごめん、引き留めちゃったね」

「うん、すぐ戻る」


 部屋に戻ると、すぐに部屋着に着替える。

 次、またリビングに戻ってご飯を食べるタイミング……その時には、ついに話さないといけないのだ。

 一つ、呼吸を置く……最後にリラックスできるタイミングは今しかないかもしれないのだから。


 リビングに戻った時には、既にお母さんは席についていた。

 お母さんの正面、もう一つご飯が用意されていた場所に素直に座って、もういいよと目線を送る。


「それじゃ、いただきます」

「いただきます」


 ご飯を食べ始めて、流れているテレビに目線を映す。

 写っている内容が何かすら分からないほど、頭はパニクって、どうしても言葉は喉に詰まる。

 部活に入った時も、全国大会を目指そうと決めた時だって、俺は言おうと……そう覚悟していた。

 だけど、どうしても恐怖に包まれる。

 今も少しだけ、何とか誤魔化して合宿に行く方法を頭で探してしまっている。


「……あのさ、何かあるんでしょ?

 お母さんに言わなくちゃいけないこと」


 ……先にそう言ったのはまさかのお母さんだった。

 俺を見つめるその目は思ったよりも落ち着いていて、だから俺が演劇について言ったらどうなるのかまだ分かりはしない。


「……あの、お母さん」

「うん……待つよ、別に」


 時間が流れる、テレビの右下に映る時間が一つ進む。

 冷たい汗が、俺の額を流れて止まらない。


「……あの、部活入ってさ。

 それの、合宿……多分冬休み中に入ると思うんだけど。

 …………それが……用事だよ」

「それって、演劇部?」


 俺はあえて、隠したつもりだった。

 それでも、その動揺の仕方からなのか……それともやっぱり家族だからなのか、簡単に暴かれてしまう。


「……うん、演劇部」

「そっか、うんうん」


 お母さんは、よっぽど今日のご飯が美味しかったようで空になった容器に、更におかわりを継ぎ足しに行く。

 ……何だか、よく分からない気持ちだ。

 あまりに当たり前に、演劇部であることを認められて今も普通の時間が流れている。

 お母さんは、自分の席に皿を置いてそのまま俺の後ろに回る。

 テレビのリモコンは俺の後ろにある。

 俺の緊張のせいだと思っていたけどやっぱりよく分からない内容だったのかな……。


 お母さんは、俺のことをただ抱きしめていた。


「……母さん?……どう、したの」

「そっか、そっか。

 有生……演劇部に入ることにしたんだ」

「うん、そうなんだ」

「そっか……そうだよね。

 有生、ずっと演劇のこと好きだったもんね?」

「……うん」


 母さんはそのまま動かない。

 俺を抱きしめるその身体は熱を帯びていて、何だかいつも以上に人肌を感じる。

 とても、温かい。


「あのさ……お母さん。

 今度、演劇を一般の人に見せる芸術フェスってやつがあるんだけど、どうかな?」

「うん……行きたい」


 そこでようやくお母さんは、俺のことを離してくれた。

 洗面所まで行く、彼女の背中を見送る。

 やっぱりまだ視線はテレビの方を向いていて、それでも相変わらず内容は頭に入らなくて。

 だけど、その番組は昔よく見たバラエティであることを思い出して、ようやくやっぱり俺が冷静じゃないことに気付かされる。


 こんな時だけど、頭を巡るのはやっぱり部活のこと。

 部長にやって欲しいこと、皆に共有しておきたい色んな台本のこと。

 俺は気づけば、自分が関わる演劇についてもこんな風に好きになってしまっていた。

 ……今じゃなくても、いずれバレていただろうな。


「有生」


 戻ってきた母は嬉しそうに笑う。


「もしさ、その芸術フェス。

 お父さんの方のお爺ちゃんが来るって言ったらどうする?」

「お爺ちゃん!?

 …………そりゃ、嬉しいとは思うけど」

「だよね、そう言うと思った」


 そうやって、普通の日常は当たり前みたいに帰ってきて。

 それどころか、元から一切なくなる気配なんかなくて。

 それでいて、そこに俺が演劇部に居る言う事実をもう隠さなくても良いという状況が加わって、より一層過ごしやすくなった気がした。


「でも、わざわざ無茶することないんだよ。

 お母さんが来てくれるだけでも、全然嬉しいし」

「無茶なんかじゃないよ、その姿……お爺ちゃんに見せたいなーって。私自身がそう思っただけ」


 ようやく、俺もご飯を食べ終わる。


「ご馳走様」


 自分の部屋に戻る瞬間、お母さんは早速お爺ちゃんに向けて電話をしようとしていて。

 俺が演劇部にいること、前向きに捉えてくれているのだと何だか安心感が込み上げる。

 ……今なら思ってしまう、何で俺はずっと演劇部のこと言えなかったんだろう。


 部屋に戻ると、やっぱり身体が疲れを訴えてくる。

 これからはきっと大丈夫、だけどあの時はどうしても緊張してしまった。

 ふとスマホを眺める、目に映るのは拓馬と純と俺の三人グループ。

 何だか、人恋しくなってついメッセージを打ち込んだ。


 ―大丈夫だったけど、何か色々話したい。

  ちょっとだけ、通話してもいい?


 すぐについた二つの通知を見て、俺は電話ボタンに指を重ねる。

 今日は、本当に不思議な気分になる日だ。

 ベッドに大の字になりながら、スピーカーから聞こえる二つの声に耳を傾けてみる。

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