十八 始まるストーリー
何だか……今日一日は身体がついてこなかった。
俺は身体の専門家ではないし、自分のことも特別分かっているつもりないけれど、それでもこの後やる公演会が理由なんだろうとは分かっている。
全て思い出してしまった……いや、元々覚えてはいたが見ないようにしてきたものを無理やり引きずり出した。
あの記憶を蔑ろにしたまま、演劇部に参加するのも相変わらず断り続けるのも何となく嫌だったからだ。
「やあ、調子の方はどう?」
隣には日々野さんが立っている。
身長が高くてオーラもあって、目立つ人だと思っていたがどうやら隣に並ばれて声をかけられるまで、俺は気づくことができなかったらしい。
とりあえず、並んでいる席の一番前に腰掛ける。
それに習ってなのか、俺のリアクションも同時並行で見たかったのか、そのまま日々野さんも俺の隣に座った。
「君が、この席を選ぶなんて思わなかった。
ほら……演劇が好きなら席を選ぶ時真ん中とか、少なくとも後ろくらいに行くと思ったから」
「……理由なんて、ないです。
ただ、ここに座った方が良いって……そう思いました」
時間はいずれ訪れる。
放課後と呼ばれる時間、つまり掃除などが終わって部活が始まりそうなタイミング。
ようやく、周りが暗くなり始める。
人数で言えば、二十〜三十人くらいだろうか。
演目の話題性から、いつもより少し多いくらいは来ている感じがする。
「皆さん、今日はお集まりいただきありがとうございます。それでは劇、究極の二択……お楽しみください」
パチパチパチパチ……かかるまばらな拍手。
俺はその拍手に出遅れるくらいには、緊張感をおびている。
勿論、俺自身向き合わなければいけない部分が多いというのもあったりするが、それ以上に成功してくれ……友達が名を連ねるこの舞台には、そんな願いを込める。
ようやく舞台には光が灯る……始まるのだ。
「お兄ちゃん……お腹すいたよぉ」
「こら、困らせちゃダメだろ!?
お兄ちゃんは、さっきまでバイトしてたんだから忙しいんだよ」
最初は声のみ、俺たちは全員が高校生という都合上子供役をそのまま劇に出すことで、少し違和感を覚える時があったりする。
いわば工夫の一つ、単純に役者が少ない部分もこれでカバーできるというのも大きい。
……さて、ようやく舞台に姿を現したのは純だ。
つまり、主人公ということになる。
「ちょっと……ごめんな。
ふぁ、あ……やばい……このままじゃ寝る。
ちょっと窓開けよう」
このシーンはまさしく冒頭、主人公の大まかな人間性と苦労の多い人生であったことを表すシーンである。
部長に仕込まれた部分も多いだろうが、背景や小道具が予算の都合上どうしてもチープになりがちでも、何とか自然になっている。なにより……
「えっと今日は……そうだそうだ、何個かは明日に回すべきだってあいつに言われたばっかだもんな」
「それじゃちょっと味見……うん、よく出来てる。
ほら、そろそろご飯にするぞ〜」
「もう寝たか?……よしよし。
じゃあとりあえず、勉強だけしておくか……」
純の演技は自然に状況を作り出す。
あまりにも日常会話的に進められるこのパートは最早心地が良いレベルであり、普段演劇を見ない人なら演技が上手いことにすら気づくことはない。
「……ん?
はい、もしもし……あお父さん。
うん……うん……え、お見合い?
いや、俺はまだそんなこと考えてなかったけど。
…………いや、お父さんの紹介なら受けさせてよ。
………………分かってる、最後は自分で……うん」
まるで、カフェやレストラン……隣の人の会話が聞こえてきて、それを自然と耳にしているようなそんな感じ。
少なくとも、物語の導入としては完璧でつい作品に入り込んでしまう……純は初心者ながらここまで仕上げてしまったのだ。
どれほどの時間と努力を要したのか、考えただけでも身体がゾワっと震えてしまう。
「うーん、もうそろそろ寝るか。はぁ……」
ここでようやく暗転が入る、もう前回までとは質が違うとそう感じさせられた。
日々野さんも単なる遊びではないと、そう確信したらしい。
その顔は、観客というより自分の作品がどうなったのかを確かめにきた……まさしくプロの表情になっている。
次の場面はとある帰り道。
オレンジのライトに照らされ、主人公は相変わらず疲れ気味で家への最短ルートを進む。
それを追いかけるように現れた一人の女性。
……一瞬、後ろがざわめいたようだ。
仕方がない、ここまで俺もこの部活の演劇を何回か見てきたが俺以外の客は大抵、彼女を見にきているくらいだ。
「真斗、ちょっとだけ良い?」
「……おお、由香里か」
走ってくる所作、話しかける直前に髪を正す所作。
声をかける時の上擦ったような緊張感、若干の焦りから一瞬だけ声が途切れかけた様子。
総じて言えば、その演技力。
これが部長の本気、飛び抜けた演技センスからくる圧倒的タレント性だ。
「ちょっとだけっていうか、いつも由香里にはお世話になってるからな……全然何でも言ってくれよ」
「うん……でも、ちょっとだけで良いから」
部長……いや、由香里は一呼吸をおく。
それは細かく震えた、弱々しい息。
「あの……私、ずっと真斗のこと好きだった。
それで…………付き合って下さい」
序盤の見せ場、というやつだ。
厳密に言えば、本当はもうちょっとだけ展開はあったりする。
だけど、学校終わりの高校生たちに長時間の演劇を見てもらうと、飽きられたりするし時間が遅くなり次の日に影響したりすることだってある。
長くても三、四十分。
そんな中で省略はある程度必要だ。
隣の日々野さんをもう一度見る。
表情は変わらないまま、だけど手が何かをメモするように動いているのが分かる。
彼らの演技に原作者本人があてられているのだ。
省略により、未完成で没入感が落ちているはずなのに。
「え……えと。
ちょっとだけ待って……いや。
はい……よろしくお願いします」
複数の歓声が上がる。
高校生たちにとって共感性の高いこのシチュエーションはどうしてもテンションが上がってしまうようだ。
この後の展開を知らないなら尚更かもしれない。
不器用ながらに手を繋いで、その場を後にする二人。
この時点で少しだけど拍手が上がって、俺もそうしたいくらいには仕上がっていると思わされた。
……けど、この物語はここからなのだ。
いずれ出るであろう成島さんに、これから更に難易度を上げるであろうシナリオに、ここまでの本気を見せられたことによる期待感に、今はただ息を呑む。
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